【10ー7】小麦をめぐる攻防
ファルフォリア王国の使者は予定通りに到着し、リディル王国第二王子フェリクス・アーク・リディルを交えての外交取引が始まった。
ファルフォリア王国は、元々はファル王国とフォリア王国という別々の国だったという歴史がある。
それが連合国家の体制を取り、ファル=フォリア連合王国と名を変え、月日を経て、今のファルフォリア王国になったというわけだ。
そのために民族間でも統治者間でも、伝統的にファル王国の末裔とフォリア王国の末裔が競い合う傾向があり、内政は決して安定しているとは言い難い。
今回、ファルフォリア王国側の使者は八名いるのだが、筆頭外交官であるバロー伯爵とマレ伯爵の二人が、部下を含めて四対四になる形で対立しているようだった。
旧ファル王国の末裔であるバロー伯爵は比較的リディル王国に対して友好的──というより、へりくだった態度をとるのだが、旧フォリア王国の末裔であるマレ伯爵は、リディル王国との貿易拡大に難色を示している。
マレ伯爵はおそらく、リディル王国より帝国の顔色を窺っているのだろう。旧フォリア王国は帝国領と隣接しており、伝統的に帝国と協力関係にあるのだ。
(……つまり、いかにマレ伯爵を落とすかが、鍵だな)
フェリクスは外交資料を読みながら、隣国の使者達をさりげなく観察する。
小太りなバロー伯爵は、リディル王国との同盟を強化したいのだろう。さっきから分かりやすくフェリクスをおだててくる。
一方痩せ型のマレ伯爵は、気難しい顔をしていて、到着してから殆どフェリクスの顔を見ようとしない。
だが、あえてフェリクスはマレ氏の方を見て、ニコリと笑いかけた。
「ファルフォリア王国のワインは、やはり別格ですね。私も先日、ペルル・ダンデの新作を試飲したのですが、今年は特に出来が良かった」
あえて本命の小麦ではなく、ワインの話を持ち出してみれば、マレ伯爵は細い目を更に細めて、油断なくフェリクスを見る。
「……えぇ、我が国の名産は何と言っても極上の葡萄から作るワイン。ですが、貴殿の本命はワインではなく、それに合わせるパンでしょう?」
マレ伯爵の言う通り、今回はいかにファルフォリアから輸入する小麦の量を増やせるかが本題だ。
リディル王国に近づきたいバロー伯爵は今回の話に乗り気だが、マレ伯爵は露骨にそれに反対している。
「なんでも貴国では、このレーンブルグ公爵領内に、竜騎士団の駐屯所を増やす予定らしいですな」
マレ伯爵の言葉に、やはりここに食いついたか、とフェリクスは笑顔の裏で考える。
リディル王国の中でも特に竜害が多いのが東部地方。故に、王都から竜騎士団を派遣しても到着に時間がかかることが、以前から問題視されていた。
そこで、リディル王国南東部に竜騎士団を常駐させるための砦を作る……というのは極々自然な流れである。
だが、この駐屯所建設は他国から見ると、意味合いが少し違ってくるのだ。
竜騎士団とは、その名の通り竜討伐に長けた騎士団のことであるが、常に竜だけと戦っているわけではない。戦争になれば当然、他国の人間に刃を向けることになる。
そんな竜騎士団が滞在する施設を、帝国にもファルフォリア王国にも近いレーンブルグ公爵領に作るのだ。
帝国やファルフォリア王国側からしてみれば、これは牽制にも見えるだろう。
まして、マレ伯爵は親帝国派。この基地の建設を見逃せるはずがない。
(……まぁ実際、マレ伯爵の懸念は正しいのだけど)
今回の駐屯所計画は、フェリクスの祖父、クロックフォード公爵が発案者なのだ。
そして、クロックフォード公爵は、いずれは帝国との戦争を視野に入れている。
(……十中八九、帝国との戦争になったら、竜騎士団駐屯所を補給基地にするつもりなんだろうね)
クロックフォード公爵は、竜害対策という名目を掲げ、国内東部の軍事力を強化したがっているのだ。
マレ伯爵は、クロックフォード公爵の思惑を見抜いているらしく、口髭を弄りながら慎重に口を開く。
「新しい駐屯所を作るのなら、備蓄は大量に要りますなぁ。それこそ小麦もワインも、多いに越したことはない」
そう、だからこそ今回の取引でファルフォリアからの輸入量を増やしたいのだ。
特にこのレーンブルグ公爵領は、ファルフォリア王国から比較的近いので、輸入した食糧を新設の駐屯所に運び込みやすい──つまり、輸送費が大幅に節約できる。
「しかし、本当に駐屯所など必要なのですか? 失礼ながら、貴国は今までも竜害対策は充分にされてきましたでしょう?」
「それは地方領主の努力あってのことです。ですが、一部の領主達には重い負担になっている……だからこそ、領主達の負担を減らすためにも駐屯所は必要なのですよ」
フェリクスが淀みなく答えても、マレ伯爵はいまいちピンとこないという態度を見せていた。
そんなマレ伯爵の言葉をフォローするかのように、同じファルフォリア王国のバロー伯爵が前のめり気味に発言をする。
「他国の事情に口を出してしまい大変申し訳ありません、フェリクス殿下。マレ伯爵の領地は旧フォリア王国領内……比較的、竜害が少ない地域なのです。マレ伯爵は竜害の恐ろしさにいまいち実感を持てていないのですよ」
「ふん、竜害対策など、使い捨ての傭兵で充分ではないか」
バロー伯爵とマレ伯爵が言い争うのを聞きつつ、フェリクスは内心苦笑した。
元々は小麦の輸入の話だったのに、駐屯基地と竜害の件に話がズレている。
この場は一度、仕切り直しをする必要があるだろう。その上で、マレ伯爵を説得する方法を考えなくては。
フェリクスは壁際に控えている護衛〈沈黙の魔女〉を横目に眺め、胸の内で呟く。
(……できれば、レディ・エヴァレットの前で格好良いところを見せたいのだけどね)
* * *
外交会議が行われている部屋の隣室で、グレンは〈沈黙の魔女〉の従者、バーソロミュー・アレクサンダーとテーブルを囲み、カードで時間を潰していた。
二人は非常事態の際にすぐ駆け付けられるよう隣室で待機しているわけだが、はっきり言って暇だったのである。
二人が遊んでいるのは、グレンが持ち込んだ竜を完成させるカードゲームだ。
「ほい『水竜』完成。あーがりっス」
「うぉぉぉ、また負けたぁぁぁ」
バーソロミューは悔しそうに手札をテーブルに広げる。その手札を見て、グレンは目を丸くした。
「バーソロミューさん、また『黒竜』狙いだったんっスか?」
このゲームで一番高得点かつ、狙うのが難しい役が「黒竜」である。
このゲームは交代に山札から手札を引いていき、七枚の手札の中で役を作るのだが、「黒い翼」「黒い鱗」「黒い爪」「金眼」そして「魔力」カードを三枚揃えなくては成立しないのが「黒竜」だ。ポーカーで言うところのロイヤルストレートフラッシュである。
「どうせ狙うなら、大役に限るだろ。ちまちま雑魚い竜なんざ作ってられっか」
「そんなこと言って、今のところ全敗じゃないっスか〜。それに、水竜は全然雑魚じゃないっス」
「いーや、雑魚だね。ろくに意思疎通もできねぇ下位種じゃねーか」
竜とは実に種類が多いのだが、大雑把に下位種、上位種に分けることができる。
下位種の中で最も多いのが翼竜、草食竜。
次に多いのが火竜、水竜、地竜だ。この三体は学問上では中位種と分類することもあるが、基本的には下位種と同じ扱いをされている。
そして、上位種とされるのが、赤竜、青竜、緑竜、黄竜、白竜、黒竜──つまり、色を名に持つ竜である。
赤竜は火竜の、青竜は水竜の、緑竜は翼竜の、黄竜は地竜の上位互換と言われており、鱗の色や骨格が似ているが、頭二つ分大きく、戦闘能力の高さも桁違い。
そして何より、上位種は人間の言葉を理解することができるのだ。中には高度な魔法を使う者もいるらしい。
とりわけ白竜と黒竜は下位互換のいない特殊な竜で、その存在自体が半ば伝説じみている。だからこそ、このゲームでも最高得点の役なのだ。
「そういや、上位種の竜って滅多に見ないんっスけど、みんな人間の言葉を喋るんっスかね?」
そもそも上位種とは、人間と同等かそれ以上の知能を持っている竜である。故に、滅多に人前には現れないし、人間を襲うことも少ない。
グレンの素朴な疑問に、バーソロミューはカードの絵柄を眺めながら答えた。
「上位種の竜は人間の言葉を理解していても、それを発声する声帯を持ち合わせてねぇ。だから、喋るのは精霊どもと同じ言語だな。まぁ、大抵の人間にゃ理解できねぇよ」
「そうなんっスか?」
「変化して声帯弄りゃ、人間の声も発せるけどな」
傍若無人で礼儀知らずな従者かと思いきや、意外に博識らしい。
グレンが素直に感心していると、バーソロミューは山札のカードを広げながら口を開く。
「なぁ、ところで声デカ坊主」
「グレンって呼んでほしいっス」
「この『呪い』ってカードは何なんだ?」
グレンの主張を無視して、バーソロミューは山札の中から「呪い」と記されたカードを引っ張り出す。
「種類は何でも良いんで竜を完成させて、かつ、手札にその呪いカードがあると、『呪竜』って役になるんスよ」
「呪竜は高得点なのか?」
「この役を作ると、自分はマイナス十点、それ以外のプレイヤーはマイナス二十点っス」
下位種、上位種問わず、呪いを受けた竜のことを呪竜と呼ぶ。周囲に呪いを撒き散らすその存在はまさに災害と言っても良い。
もっとも、呪竜も滅多に見かけるものではないので、白竜黒竜に並ぶ稀有な存在である。歴史上でも片手の指の数ほどしか目撃情報がない。
「なるほどよくできたゲームだな。よし、もう一回やろーぜ」
バーソロミューがそう言ってカードを集めた時、扉がノックされ使用人が入ってきた。
ピーターと呼ばれている、生真面目そうな壮年の男だ。
「失礼いたします。隣室の皆様が、この後、狩りに出かけられるとのことですので、護衛の皆様もご同行をお願いいたします」
「狩りって、この辺でやるんっスか?」
「はい、馬で少し走った先にある森です。皆様の馬も用意してありますので」
その言葉に、グレンとバーソロミューは顔を見合わせる。
「声デカ、お前、馬乗れる?」
「乗ったことないっス」
捌いたことはあるんスけど、と小声で付け足す肉屋の息子に、ピーターとバーソロミューはギョッとしたような顔をした。
リディル王国は一部地域で馬食文化もあるお国です。
カツレツみたいにして食べます。




