【10ー5】大体目を合わせてはいけない集団(=七賢人)
グレンは今回の任務を命じられた時、師に一つの疑問を口にした。
「〈沈黙の魔女〉さんって、どんな人なんスか?」
グレンの問いにルイスは真底呆れた顔で、ずれた片眼鏡を直す。
「そもそもお前は、七賢人を何人知っているのです?」
「えーっと、師匠と……〈星詠みの魔女〉と〈砲弾の魔術師〉と……あと、誰っスかね?」
まさかの半分以下である。
ルイスは眉間に細い指を添えて、悲痛な顔で溜息を吐いた。
「七賢人の弟子が七賢人の名前を言えぬとは、なんと嘆かわしい。良いでしょう、お前がレーンブルグ公爵の前で恥をかかぬよう、七賢人について解説してあげます。そのスッカスカの頭に、しっかり叩き込みなさい」
はーい、と返事をしてグレンがお行儀の良い犬のように姿勢を正すと、ルイスは細い指をピンと一本立てた。
「まず一人目。お前も知っている〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイ。占星術の達人で、七賢人最年長。目が合った美少年はとりあえずつまみ食いする色情狂です」
「オレは美少年じゃないから、セーフっスね」
グレンはあっけらかんとそう言うが、彼はまぁまぁ愛嬌があり人好きのする顔である。あと数年若かったら、メアリー・ハーヴェイの毒牙にかかっていたかもしれない──無論、グレンは無自覚だが。
ルイスは二本目の指を立てる。
「次に二人目。〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグ」
「魔女なのに男の人みたいな名前っスね」
「男ですよ。〈茨の魔女〉は屋号のようなものです」
魔術の名家では、魔術師としての称号を襲名することがしばしある。ラウル・ローズバーグは五代目〈茨の魔女〉なのだ。
「ラウル・ローズバーグは現在の我が国において、最も魔力量が多い化け物ですが、そのくせ魔術を使わず、植物絡みの研究をしている才能無駄遣い野郎です。目が合うと自家製野菜を押し付けてきます」
「近所のおばちゃんに、そういう人いるっス!」
グレンの平和なコメントを聞き流し、ルイスは三本目の指を立てる。
「三人目。〈深淵の呪術師〉レイ・オルブライト。呪いのプロフェッショナル。若い女性と目が合うと突然『俺のこと愛してる?』と言って詰め寄る色ボケ野郎です」
「オレは女の子じゃないんで、大丈夫っスね」
「四人目。〈砲弾の魔術師〉ブラッドフォード・ファイアストン。ドッカンドッカンが口癖のオッサンで、目が合うと魔法戦を挑んでくる戦闘狂です」
「……師匠、だんだん説明が面倒くさくなってきたんスね?」
「よく分かっているではありませんか」
ルイスは悪びれる様子もなく、五本目の指を立てた。
「五人目〈宝玉の魔術師〉エマニュエル・ダーウィン。付帯魔術の使い手で、魔導具の発展に貢献した人物ですが、金にがめつく貴族に取り入るのが上手い典型的な小悪党です」
「すごいっす! なんか一周回って一番まともに見えるっす!」
「ちなみに、クロックフォード公爵とべったりの第二王子派で、私のことを目の敵にしています。その弟子のお前の場合、目が合ったら確実に因縁をつけられることでしょう」
七賢人の中で最も政治色の強い〈宝玉の魔術師〉は、第一王子派のルイスとは天敵なのだという。
グレンは政治のことなどよく分からないが、第二王子があの生徒会長だということぐらいは知っている。
(あれ? じゃあ、第一王子派の師匠は、生徒会長とは敵なんスかね?)
グレンはあの生徒会長に恩があるので、できれば敵対したくないなぁというのが本音である。
(うちの肉を美味しく食べてくれる人に悪い人はいないっス! あれ? でも、生徒会長はオレのことを〈結界の魔術師〉の弟子って知ってたし……もしかして、オレのことも敵って思ってるのかなぁ……)
そうだとしたら少し寂しい。グレンは、平民であるグレンを馬鹿にしないあの生徒会長が割と好きなのだ。あと、意外とノリが良いし。
グレンが腕組みをして、うんうん唸っていると、ルイスが六本目の指を立てた。
「そして六人目、最年少の七賢人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット」
「オレの友達に同じ名前の子がいるっス」
「限りなく偶然です。どこにでもある名前でしょう」
まぁ確かに「モニカ」は珍しい名前ではない。そういう偶然もあるのだろう、とグレンはあっさり納得した。それに友人と同じ名前なら、ちょっぴり覚えやすくて良い。
「〈沈黙の魔女〉は私と同時期に七賢人になった、いわば同期。現存する魔術師の中で唯一の無詠唱魔術の使い手です」
「あ、思い出したッス! 七賢人選考の魔法戦で、師匠をボッコボコにした……」
ルイスは美しく微笑みながら、弟子の脛を蹴った。大人気ない。
恨めしげな目をしているグレンに、ルイスはすまし顔で語る。
「〈沈黙の魔女〉殿は極度の人見知りで、対人技能はド底辺。七賢人選考面接では緊張のあまり過呼吸を起こして卒倒したのに合格というアホみたいな伝説の持ち主です。目を合わせると、緊張のあまり白目を剥いて失神するほど脆弱……ゴホン、繊細な方なので、くれぐれも顔を覗き込んだり、質問攻めにしたりしないように」
グレンはフンフンと頷きながら、七賢人に関する情報を頭の中で彼なりに整理した。
〈結界の魔術師〉:師匠。怒ると怖い。
〈星詠みの魔女〉:占いがすごい人。目が合うと食われる(美少年限定)
〈茨の魔女〉 :魔女だけど男。目が合うと野菜をおしつけてくる。
〈深淵の呪術師〉:呪いの人。目が合うと『愛してる?』と訊いてくる(女性限定)
〈砲弾の魔術師〉:ドッカンドッカンしてる人。目が合うと戦闘を申し込まれる。
〈宝玉の魔術師〉:師匠と仲が悪い。目が合うと因縁をつけられる(グレン限定)
〈沈黙の魔女〉 :昔、師匠をボコボコにした人。目が合うと白目を剥いて倒れる。
グレンは大変なことに気づいてしまった。
「師匠、これじゃあ七賢人の半分ぐらいの人と、目を合わせられないっス」
特に最後の三人あたりが。
困っている弟子に、ルイスはどこか得意げな顔で、顎を持ち上げて笑った。
「これで、いかに私が有能でまともか、よく分かったでしょう? もっと師を敬いなさい」
「師匠、他者を貶めて自分の評価を上げるのは良くないって、ロザリーさんが言ってたっす」
妻の名を出されたルイスは美しい笑顔のまま、こめかみに青筋を浮かべてグレンの脛をゲシゲシ蹴った。今度は二回も。
痛みに悶絶しているグレンを尻目に、ルイスは咳払いをして言葉を続ける。
「とにかく、これで七賢人の説明は以上です。覚えましたか?」
グレンは蹴られた脛を撫でながら、素直な感想を口にした。
「なんか、七賢人っていうより七変人って感じっスね!」
「私を含んでいないでしょうね、馬鹿弟子?」
ルイスが右手の拳を握り始めたので、グレンは慌ててブンブンと首を横に振った。
ルイスの拳は鉄板でも仕込んでいるんじゃなかろうかというぐらいに、硬くて痛いのだ。風の魔術で吹っ飛ばされた方が、まだ痛くない。
グレンは慌てて話題をそらす。
「えーっと、そ、そうだっ! 七賢人の中で一番強いのって、誰なんスか? やっぱ師匠?」
その質問に、ルイスは拳を下ろすと、何とも言い難い複雑そうな顔をした。
「勿論、私です……と言いたいところですが、実際は状況次第ですな」
いつも自信家で高飛車なルイスにしては、珍しく歯切れの悪い言葉である。
〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーはリディル王国における、単独での竜討伐数で歴代二位を誇る武闘派魔術師だ(なお、不動の一位は、引退した七賢人で〈雷鳴の魔術師〉グレアム・サンダーズという)
弟子の贔屓目を抜きにしても、グレンが知る限り、魔術を使った戦闘においてルイスの右に出る者はそうそういない。
だが、ルイスは顎に指を添えると、難しい顔で口を開いた。
「その時の状況や、得手不得手の問題もあるのです。七賢人の中で戦闘向きなのは、私と〈砲弾の魔術師〉殿、〈沈黙の魔女〉殿の三名。単純に火力だけを見るなら、魔力量が多く、六重強化術式の使い手である〈砲弾の魔術師〉殿がトップになるでしょう」
火力の高さは、特に対竜戦闘で重要になってくる。生半可な威力の魔術では、竜を傷つけることはおろか、足止めをすることすらできないからだ。
〈砲弾の魔術師〉は攻撃魔術の威力に特化しており、竜の弱点である眉間を狙わずとも大ダメージを与えられる稀有な存在である。
「対照的に〈沈黙の魔女〉殿は、術の発動スピードと精度に特化しています。私が短縮詠唱の術を一つ起動する間に〈沈黙の魔女〉殿は、二つの大型魔術を起動できてしまうのです。しかも命中精度が恐ろしく高い」
魔術師にとって最大の弱点が、詠唱に時間がかかるということだ。戦場で数十秒のロスは生死を分ける。どんなに強い魔術が使えようと、間に合わなければ意味がない。
だが〈沈黙の魔女〉は、ほんの一秒かそこらで術を発動できる。戦闘開始と同時に、目の前の敵の首を刎ねることができてしまうのだ。
(ひぇぇ……勝てる気がしないっス……)
説明を聞きながら、グレンは考える。では、グレンの師匠〈結界の魔術師〉はどうなのだろう?
「師匠は、この二人には勝てないんスか?」
「状況によりけりと言ったでしょう。〈砲弾の魔術師〉殿は火力は高いが防御が苦手。しかも威力を上げるほど詠唱に時間がかかる。〈沈黙の魔女〉殿は術の速度も精度も申し分無いが、戦闘慣れしておらず、飛行魔術もろくに使えぬ程、身体能力が低いのです」
なるほど、とグレンは納得した。
〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは攻撃魔術も防御魔術もレベルが高く、かつ、それらを器用に使い分けることができる。おまけに身体能力が高く、頭もキレる。騙し合いにも殴り合いにも強いのだ。
攻撃特化が〈砲弾の魔術師〉、速度と精度特化が〈沈黙の魔女〉、バランス型が〈結界の魔術師〉といったところか。
「つまり、師匠は器用貧乏……アイタタタタタタタっ!」
ルイスはグレンの顔面を右手で鷲掴みにし、その細く繊細な指で弟子の頭蓋骨を圧迫しながら、言葉を続けた。
「ルールありきの魔法戦なら、〈沈黙の魔女〉殿が最強でしょうねぇ。えぇ、私も以前それで負けましたし? ですが、ルール無しの戦場なら私が勝ちますよ。あんな小娘など一捻りです」
魔法戦とは特殊な結界の中で行われる戦闘のことだ。
その結界内では魔術でしかダメージを与えることができず、ダメージを受けても怪我をすることはないが、受けたダメージの分だけ魔力が減る。
比較的安全に実戦訓練ができるので、魔術師養成機関のミネルヴァや魔法兵団でも魔法戦はよく行われていた。
そして七賢人選考試験でも、この魔法戦が行われているのだ。そこでルイスは〈沈黙の魔女〉に惨敗したことを、今も引きずっているらしい。
「つまり、師匠は泥臭い戦場が得意……師匠、痛い痛い痛いっスーーーーーーー!!」
* * *
グレンはルイスとの会話と、アイアンクローの痛みを思い出しつつ、目の前に座っている〈沈黙の魔女〉をまじまじと眺めた。
小柄な体に、ぶかぶかのローブを身につけ、縋りつくように杖を握りしめている。その姿は、どこから見ても魔術師ごっこをしている子どもだ。
(うーん、とても師匠をボッコボコにした人とは思えないっス)
レーンブルグ公爵家を訪れて公爵に挨拶を済ませた一行は、晩餐会の時間までこちらでお寛ぎくださいと、ゆったりとした広い部屋に通されていた。
どうせなら、広い屋敷を探検してみたかったのだが、ここで待機するように言われてしまえば、勝手に歩き回ることもできない。なにせ、今のグレンはフェリクスの護衛なのだ。
屋敷の中は家具も壁紙もカーテンも、どれもが見るからに高そうなのだが、柄と装飾が多くて目がチカチカするというのが本音である。
エリアーヌは着替えのためにと自室に引っ込んでいるので、今、室内にいるのはグレン、フェリクス、〈沈黙の魔女〉、そしてその従者のバーソロミューという男である。
このバーソロミューという男がまた胡散臭いのだ。
〈沈黙の魔女〉の従者を名乗っているが、主人よりも態度がでかいし、名前は明らかに偽名だし。今もソファに踏ん反り返って、呑気に大あくびなんぞをしている。
あまり〈沈黙の魔女〉を質問攻めにするなと師から釘を刺されていたけれども、グレンは退屈だったので〈沈黙の魔女〉に話しかけた。
「〈沈黙の魔女〉さんって、昔、七賢人選考会で師匠をボコボコにしたって、本当っスか?」
従者の影で縮こまっていた〈沈黙の魔女〉はビクリと肩を震わせ、隣に座る従者の服をクイクイと引っ張った。恐らく、代わりに答えてくれと従者に頼んでいるのだろう。
だが、従者の男は大あくびをしながら「知らね」と雑な返事をする。
「だってオレ様、その頃のことよく知らねぇもん。まぁ、でもうちのご主人様なら、どいつが相手でも楽勝だったんじゃねーの?」
〈沈黙の魔女〉はブンブンと必死で首を横に振っているが、従者は意に介していないようだった。
そんな中、今まで神妙な顔で黙っていたフェリクスが口を開く。
「実に良い質問だね、ダドリー君。二年前の七賢人選考会、私は非常に残念ながら立ち会うことはできなかったのだけど、後で紙の記録を見た限りだと、レディ・エヴァレットは魔法戦で広範囲攻撃魔術を連発し、他の候補者を寄せつけなかったらしい。特に遠隔術式と節制術式の複合魔術を無詠唱で行うという離れ技は当時の七賢人達も絶賛していてね。高威力かつ広範囲の魔術を彼女がノータイムで連発できたのは、この節制術式のおかげで、これが〈結界の魔術師〉との勝敗を分けたんだ」
気のせいか、フェリクスはいつもより早口である。
そして、グレンは魔術を学んでいる身だが、フェリクスの言っていることが半分も理解できなかった。
「よく分かんないけど、すごかったんっスね!」
フェリクスはニッコリと微笑み、淀みなく続けた。
「どれぐらいすごかったかと言うと、節制術式とは消費する魔力量を大幅に削減することができる代わりに詠唱に恐ろしく時間がかかるという特殊な術式で、初級魔術でも三十分、上級魔術に組み込むと数時間はかかってしまうという本来なら実戦に向かない術式なんだ。これを無詠唱にするというのがどれだけすごいことか魔術を少しでもかじった者なら分かるだろう? レディ・エヴァレットは通常の半分以下の魔力量で大型魔術が連発できる。だから〈結界の魔術師〉は最終的に押し負けてしまったんだ」
やっぱりグレンには、フェリクスの言っていることがよく分からなかった。
ただ(会長は勉強家なんだなぁ)と思ったので、その気持ちを素直に口にする。
「会長、めちゃくちゃ詳しいっスね?」
驚きを隠せない様子のグレンに、フェリクスは誰が見ても非の打ち所のない完璧な笑みで答えた。
「王族だからね」
「王族ってすごいんっスね!」
* * *
(絶対、王族とか関係ないぃぃぃぃ!!)
ソファの上で縮こまっているモニカは、あわあわと口をわななかせた。
この部屋に案内されてからというもの、フェリクスはずっと〈沈黙の魔女〉に話しかけたそうに、うずうずしていたのだ。
一度口を開いたフェリクスは目がキラキラしているし、いつも以上に舌の回りが滑らかだし、もう色々と隠せていない気がする。グレンは気にしていないようだけど。
フェリクスの〈沈黙の魔女〉に対する憧れの気持ちは本物だ。正直、半信半疑だったけれど、今のやりとりを見たらもう否定のしようがない。二年前の戦闘記録をしっかり読み込んでいるなんて、もはや熱烈なファンではないか。
〈沈黙の魔女〉について饒舌に語るフェリクスを「王族ってすごい」の一言で納得するのなんて、グレンぐらいのもので……。
「はー、オレ様よくわかんねーけど、王族ってすげーんだなぁ」
訂正。グレンとネロぐらいのものである。
(そっか……ネロは、殿下が〈沈黙の魔女〉をどう思っているか、知らないんだ……)
つまり、この場でフェリクスが〈沈黙の魔女〉を慕っていると知っているのは、モニカ一人だけ。
その事実にますます胃が痛くなるのを感じながら、モニカはフェリクスの〈沈黙の魔女〉トークを聞き続けるのだった。