【10ー4】バーソロミュー・アレクサンダーとの邂逅
魔術とは基礎教養の一環。最低限の知識さえあれば良いものであって、実践までは求められていなかった。
寧ろ彼が魔術を使うことは、クロックフォード公爵にとって非常に都合が悪い。だから、実践には手を出すなと言われていたけれど、不思議と人は禁止されたものほど触れてみたくなるものだ。
なにより彼は、どうしても使いたい魔術があった。
精霊石を使った、上級精霊との契約。
そのために彼は独学で魔術を学び、そして遂にその術を成功させた。
──貴方が、わたくしの新しい主人ですか?
術の成功とともに現れた精霊は、水色の髪の青年の姿をしていた。その顔は整っているが、どこか人の記憶に残らない、影の薄さがある。ごくごく薄い水色の目は、契約石のアクアマリンよりも薄い色をしていた。
彼は薄く笑って精霊に告げる。
「精霊ウィルディアヌ。僕の願いのために、君の力を貸しておくれ。この願いは、かつてアイリーン妃に仕えた君が叶えるに相応しい願いのはずだ」
──貴方の願い、とは?
細い声で問いかける精霊に、彼は薄い笑みを浮かべ……妄執に駆られた目で答える。
「夜空に輝かせたい星があるんだ」
* * *
微睡んでいた意識が浮上すれば、振動で自分が馬車に乗っていたことを思い出す。
フェリクスが軽く目頭を揉んでいると、すぐ隣から、なにやら楽しそうな声が聞こえた。
「ずるいですわ、ずるいですわ、絶対なにかカードに仕掛けが……」
「そんなもん無いっスよー。エリーが駆け引きに弱すぎるだけっス」
「わ、わたくしだって、経験を積めばこれぐらい……」
「ほい、あがりっス」
「あぁんっ、もうっ!」
グレンが手元のカードをひっくり返して手札を晒せば、エリアーヌは自身の手札を膝に散らして悔しそうな声をあげる。
二人が使っているカードは、イラストや文字が書かれたカードだ。恐らく市井の子らの間で流行っている遊びなのだろう。
「おはよう、楽しそうだね」
フェリクスが声をかけるとエリアーヌはピクッと肩を震わせ、あわあわとカードを隠しながらフェリクスの方を見た。
「お、おはようございますわ、フェリクス様。あぁ、騒がしくしてしまい大変申し訳ありません……っ」
「いや、気にしなくていいよ。ところで、そのカードは?」
「こ、これは、市井の方々の流行を知るための社会勉強の一環でして……」
エリアーヌは庶民の遊びに興じていたことに、バツが悪そうな顔をしている。
だが、グレンは気にした様子もなく、カードを集めながら言った。
「最近、街で流行ってるゲームっスよ。竜の爪、鱗、羽、目の四つのカードを集めて、先に竜を完成させた方の勝ちっス。パーツの種類で完成する竜の種類が変わって、強い竜を完成させるほど高得点なんっスよー。ちなみに一番強いのが黒竜で……」
グレンの説明を聞くと、なるほどよくできたゲームだった。初心者でも分かりやすいルールだが、戦略性が高く、案外奥が深い。
(恐らく、遊びながら竜の種類を学ぶために作られたゲームなんだろうな)
面白そうだね、とフェリクスが無難な感想を口にすれば、グレンは白い歯を見せて笑った。
「次は会長も一緒にどうっスか?」
「興味はあるけれど、そろそろ屋敷に着く頃じゃないかな」
フェリクスが窓の外に目を向けながらそう言えば、御者の男が「はい、もうじき着きますよ」と応える。
グレンは残念そうにカードを集めて鞄にしまった。鞄にはカードの他にも遊び道具らしき物や、おやつの干し果物やらが色々と詰まっている。護衛任務に役立ちそうな物が何も無いのが、いかにも彼らしかった。
レーンブルグ公爵家に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。
一行を出迎えたのは、白髪混じりの金髪をきちんと撫でつけた、生真面目そうな壮年の男だ。
「わたくし、今回皆様のお世話をさせていただきます、ピーター・サムズと申します。何かお困りのことがありましたら、なんなりとお申し付けください」
おや、とフェリクスは首を捻る。
ピーターの顔にフェリクスはうっすらと見覚えがあった。
「君の顔には見覚えがあるな。以前、お祖父様の屋敷にいなかったかい?」
フェリクスの言葉に、ピーターは驚いたように目を見開いた。
その顔に一瞬、焦りのような苦い表情が浮かぶ。それをピーターはすぐに取り繕い、使用人らしく頭を下げた。
「覚えていただき光栄です。はい、以前はクロックフォード公爵家でお世話になっておりました」
クロックフォード公爵とレーンブルグ公爵は親交が深いので、使用人が他家に紹介されることも珍しくはない。
ただ、ピーターが一瞬見せた焦りのような表情が、フェリクスはやけに気になった。
もしかしたら、クロックフォード公爵家で何かしらの粗相をして、他家に送られたのかもしれない。或いは、クロックフォード公爵とレーンブルグ公爵の連絡役か。
まぁ、それはこの場で指摘するようなことでもないだろうと判断し、フェリクスは本題を切り出す。
「今日からお世話になるよ、よろしく…………ところで、レディ・エヴァレットはもう到着しているのかい?」
「はい……あぁ、噂をすれば」
廊下の奥からこちらに向かって歩いてくる人影が二つ。フード付きローブを着て、手に杖を持った小柄な人物と、背の高い若者だ。
小柄な人物はフードを目深にかぶっていて顔が見えない。それでも七賢人にのみ許された濃紺のローブと長い杖を持っていることから察するに、この人物こそが、フェリクスが焦がれた〈沈黙の魔女〉なのだ。
しかし、今のフェリクスは会いたいと切望していた〈沈黙の魔女〉よりも、その横に控える男に意識を奪われた。フェリクスはこの男と一度だけ会ったことがある。
少し癖のある黒髪、金色の鋭い目。口元に浮かぶ不敵な笑み──以前会った時、古風なローブを身につけていたその男は、今はいかにも従者らしいこざっぱりした服に身を包んでいる。
「……君は」
驚きを隠せないフェリクスを、エリアーヌとグレンが不思議そうに見つめている。
黒髪の男はニヤリと笑って、口を開いた。
「あぁ、そういや、王子には一度会ったことがあったな」
「……ご無沙汰だ。バーソロミュー・アレクサンダー氏」
フェリクスがその名を口にすれば、黒髪の男は得意げに胸を張った。
「いかにも、オレ様が〈沈黙の魔女〉の従者、バーソロミュー・アレクサンダーだ」
* * *
モニカは口から心臓が飛び出すのではないかというぐらい、驚いていた。
(待って待って待って待ってぇぇぇっ!?)
モニカは大ボラを吹いているネロの服の裾をグイグイと引き、廊下の隅に移動する。フェリクス達が、そのやりとりを不思議そうに見ているが、モニカはもうそれどころではなかった。
「おぅ、どうしたよ、ご主人様」
ニヤニヤ笑っているネロに、モニカは声を殺して詰め寄る。
「ななななんで、ネロが殿下と知り合いなの!?」
「んぁ? 言ってなかったか? ヒンヤリ兄ちゃんを男子寮に運んだ時に、遭遇したんだよ」
「きっ、聞いてないっ!!」
ヒンヤリ兄ちゃんとは十中八九、シリル・アシュリーのことだろう。だが、モニカがシリルの暴走を止めたのは、もう三ヶ月も前のことである。
あの時、ネロは気絶したシリルを男子寮まで運んでくれたが……まさかその時にフェリクスと遭遇していたなんて!
(あの時は「運んでおいたぜ」しか言ってなかったのにぃぃぃ!)
もし、ネロが人型でフェリクスと会っていたことを知っていたら、モニカは絶対に従者役なんて任せたりしなかった。
「しかも、バーソロミュー・アレクサンダーって、なに!? 別の偽名、考えてたよねぇ!?」
バーソロミュー・アレクサンダー氏は、有名な冒険小説の主人公の名前である。そんなの誰が聞いても偽名だし、怪しさ大爆発だ。
だが、ネロは悪びれもせず、あっけらかんと言った。
「偽名なー、あー、うん、忘れた。だってオレ様、興味のない人間の名前、覚えられねーもん」
「せめて、自分の偽名ぐらいは覚えて!?」
「いいだろ、バーソロミュー・アレクサンダーで。これなら、オレ様絶対に間違えないぜ!」
モニカは両手で顔を覆って、膝から崩れ落ちた。これはもう、完全にモニカの人選(?)ミスである。
だが、張本人のネロは何も問題ないと言わんばかりの態度だ。
「別に大騒ぎすることじゃないだろ、だって、この任務が始まってからオレ様の人型を見てるやつなんて、ほんの一部だぜ」
そうだ。セレンディア学園で「モニカ・ノートン」が人型のネロと行動を共にしているところを見ているのは、リンを除けば、暗殺未遂の時のケイシー、チェス大会の時のバーニー、この二人だけである。
人型のネロとモニカ・ノートンを繋げて考える人間は、少なくともこの場にはいない。
「……三ヶ月前に殿下と会った時、私の名前、出してないよね?」
「出すわけねーだろ。オレ様賢いもん」
「……その時に何を話したかは、あとでじっくり聞かせてもらうけど……とりあえず、今は真面目に従者してね?」
しつこく念を押せば、ネロは得意げに「おぅ、任せろ」と胸を叩く。不安だ、不安しかないが、フェリクス達をエントランスに立たせたまま放置しておくわけにもいかない。
モニカはフードを目深にかぶり直してフェリクスの前に立つと、膝を折って杖を足元に置き、そのまま片膝をついた状態でこうべを垂れた。王族に対し臣下が見せる、最大限の礼である。
だが、モニカが膝をついているのに、ネロはモニカの横に立ったまま踏ん反り返っていた。
「こいつがオレ様の主人の〈沈黙の魔女〉だ。名前の通り喋らない主人だから、取り次いで欲しい時は、オレ様に言え」
主人よりも態度のでかい従者に、その場にいる誰もが呆れ返っている。
そんな中、フェリクスが苦笑混じりに口を開いた。
「主人が膝をついているのに、君は立ったままで良いのかい?」
「なんで、オレ様がお前に膝をつくんだ? オレ様の主人は〈沈黙の魔女〉で、お前じゃねぇんだぞ」
「七賢人の上に立つのが王族だとしても?」
「オレ様、王族だろーが、なんだろーが、自分よりすげー奴にしか、膝なんてつかねぇよ」
(ネーーーーーーーローーーーーーーー!!)
モニカは無言で立ち上がると、ネロの背中を拳でポカポカ叩いた。
(殿下に! 失礼なのは! ダメでしょ!)
モニカの言いたいことを察したのか、ネロは不満そうに唇を尖らせている。
モニカはネロの頭を下げさせようとしたが、小柄なモニカではどんなに手を伸ばしても、長身のネロの頭に手は届かない。
フードの中を見られないように気をつけながら、モニカは背伸びをしてネロの頭を下げさせようと奮闘した。
そんなモニカとネロのやりとりに、フェリクスがフフッと息を吐いて楽しそうに笑う。あれだけ失礼なことを言ったにも関わらず、怒りも不快感も見せない大人の態度であった。
「そうか。では、いつか君が膝をつきたくなるような存在になるべく、努力しよう」
「おぅ、がんばれ」
モニカは無詠唱魔術を使って問答無用でネロの頭上から風の塊を叩き込む。
ネロは「ふぎゃっ!?」と悲鳴をあげて、床にベシャリと這いつくばった。
「なにすんだ! ……ふぎゃあぁっ!?」
モニカは容赦なく二発目を放ってネロを沈黙させ、フェリクスの前に跪いた。
(うわあぁぁぁぁぁんっ、すみませんすみませんネロが失礼なことしてごめんなさいぃぃぃぃぃ)
モニカが額を床に擦りつけて震えていると、小さな呟きが聞こえた。
「……今のが、無詠唱魔術……」
どこか感動するかのように声を震わせているのはフェリクスだった。
フードの下で、モニカがチラッとフェリクスを見上げれば……フェリクスは感極まったように目を輝かせている。
「頭を上げてください、レディ・エヴァレット」
モニカはヒィッヒィッと引きつった声が出そうになるのを懸命に堪え、フードの下が見られないギリギリの高さまで顔を上げる。
フェリクスはモニカの前に膝をつくと、モニカにだけ聞こえるような小声で囁いた。
「シリルを助けてくれたのも……〈螺炎〉から、私を救ってくれたのも、やはり貴女だったんですね」
「──!?」
何故、フェリクスが〈螺炎〉のことを知っているのか。あの件は、ルイスとモニカと当事者のケイシーしか知らない筈なのに。
動揺するモニカの片手をフェリクスが手に取り、その手の甲に口づけを落とす。
「お会いできて光栄です、レディ」
〈沈黙の魔女〉を見るフェリクスの頬は薔薇色に紅潮し、碧い目はどこかうっとりとしている……まるで、ただの恋する青年のように。
モニカは今になって、歓楽街でアイクと名乗っていた彼が〈沈黙の魔女〉を絶賛していたことを思い出した。
──……すまないね、実は大ファンなんだ。〈沈黙の魔女〉のことになると、つい雄弁になってしまう。
(あ、あああ、あれって、本当だったんだぁぁぁぁぁ)
ポーター古書店でカミングアウトされた時は、ショックではあったけれど、どこか他人事のように受け止めていたのだ。
だが、こうして現実に詰め寄られると……モニカの掌に、じわりと汗が滲みだす。
モニカがフードの下で顔を引きつらせていると、エリアーヌがどこか苛立たしげに声を張り上げた。
「ピーター! ピーター! まずは、到着したばかりの殿下達にお茶をご用意してさしあげて!」
「はい、お嬢様」
公爵令嬢の命令にピーターは速やかに反応し、一行を応接間へと促す。
フェリクスの手から解放されたモニカは、早鐘を鳴らす心臓をローブの上から押さえた。どうしよう、このままだと緊張で吐きそうだ。
声を殺して、ふぅふぅと荒い息を吐いていると、フェリクスがうっとりとモニカに笑いかける。
「さぁ、行きましょう。レディ」
できれば自分はこの場に残りたいところだが、モニカはフェリクスの護衛なのだ。まして王族に促されたら、無視はできない。
モニカは杖を胸に抱きしめて、俯き縮こまりながら、一行の後に続いて応接間へ向かった。
……床で伸びているネロのことは、すっかり忘れたままで。