【10-2】世界一高価な物干し竿
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット殿……貴女に、第二王子フェリクス・アーク・リディル殿下の護衛任務が言い渡されました」
ルイスが放った言葉に、モニカはしばし困惑した。
「……あのぅ、それって、今の状況そのもの、です、よね?」
今まさに、モニカは正体を隠して第二王子の護衛をしている真っ最中である。
非常にまずい事態というから、身構えていたモニカは思わず拍子抜けしたが、ルイスはやはり沈痛な顔のまま首を横に振った。
「これは非公式な護衛任務ではありません。公式な護衛任務です」
「…………へっ?」
「近日、ファルフォリア王国の使者が、我が国のレーンブルグ公爵領を訪れます。そこで外交取引が行われるのですが、これに第二王子が出席することが決まりました」
隣国との外交取引にフェリクスが出席するのは珍しいことではない。彼は十代前半の頃から外交の場に立ち、幾つもの重要な取引をまとめてきた実績がある。
「取引の場となるレーンブルグ公爵領は、この国の南東部……竜害警戒指定地域です」
だんだん事情が飲み込めてきたモニカは、頬を引きつらせながらルイスに問う。
「ご、護衛って……まさか、その取引、の?」
「そうです。しかも公式な護衛任務なので、貴女は第二王子の前に姿を現し、〈沈黙の魔女〉として行動を共にしなくてはならない」
絶句するモニカに、ルイスは更なる衝撃の事実を告げた。
「……そして、更に悪いことに」
「これより悪く、なるんですか……っ!?」
「悪くなるんです。うちのバカ弟子が、その護衛任務に同行することになりました」
ルイスの弟子──即ち、いつも元気で声の大きいグレン・ダドリー君である。
そして、グレンはモニカが七賢人であることを知らないのだ。
「ど、ど、ど、どうして……そんな、ことに……」
「元々は私と貴女の二名が、この護衛任務を受ける筈だったのですよ。しかし、竜害の予言に怯えた中央のジジイ共が〈結界の魔術師〉は王都にいてもらわねば困るとゴネやがりまして」
防御結界に関して、この国でルイスの右に出る者はいない。
結界を張る速度だけなら、無詠唱のモニカの方が早いが、結界の強度や精度、持続時間などは圧倒的にルイスの方が上なのである。故に、ルイスのことを「国の守護神」などと呼ぶ者もいるぐらいだ。
「『おや、そういえば〈結界の魔術師〉殿には、優秀なお弟子さんがいるらしいですなぁ。それならば、護衛任務にはそのお弟子さんを行かせれば良い。これで一件落着ですな、ハッハッハ』……というのが、腐れ大臣共の意見です。この意見がポーンと通ってしまい、今に至るわけですよ。えぇ」
どうやら学祭の舞台でのグレンの大活躍が、大臣や騎士団長の目にとまったらしい。
そこで彼らは、あんなに優秀なお弟子さんなら、殿下の護衛も務まるでしょう、と考えたわけだ。
無論、ルイスは反対した……が、現在国内は竜害対策で、とにかく人手不足。
あのアホ弟子を行かせるぐらいなら、〈沈黙の魔女〉一人を行かせた方が、まだマシだというルイスの主張は通らなかったらしい。
ルイスの言葉は端々に怒りが滲んでいるし、美しい顔は凶悪に歪んでいる。
だが、モニカはそんなルイスに怯えるどころではなかった。
(〈沈黙の魔女〉として公式に殿下を護衛? しかも、グレンさんと一緒に? 正体を隠したままで……っ!?)
どう考えても無謀である。どんなにフードを目深にかぶって顔を隠しても、口を開けば一発でバレてしまうではないか。
「あ、ああああ、あのっ、それっ、わたし、喋ったら、すぐ、バレて……」
「……なので、貴女には貴女の言葉を代弁してくれる従者をつけることを考えています。どなたか知り合いで、貴女の正体を知っていて、口が固い人間はいませんか?」
非常に悲しいことに、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットに、そんな知人はいない。
モニカの知人でモニカの正体を知っている者となると、バーニー・ジョーンズぐらいだが、伯爵家を継ぐために忙しい彼に、従者役をさせるわけにもいかないだろう。
(そうなると……ネロに人間に化けてもらって、従者役をやってもらうしか……)
だが、あのネロに、大人しく従者役が務まるだろうか?
まして、今回はモニカの代弁役もしなくてはならないのだ。もう、ただただ不安しかない。
モニカがキリキリ痛む胃を押さえていると、ルイスもまた、頭痛を堪えるような顔でこめかみを揉んだ。
「……とにかく、この件に関しては決定事項です。速やかに従者を選定なさい」
「は、はい……」
「うちの馬鹿弟子に関しては、〈沈黙の魔女〉殿に必要以上に話しかけるな、迷惑をかけるなと、重々言い含めておきます」
「お、お願いします……」
グレンは誰に対しても人当たりの良い青年なのだが、それ故に距離が近すぎる。
〈沈黙の魔女〉さんは、なんでフードを被ってるんスか? なんで喋んないんスか? ──と、興味津々の顔で近づいてくることは容易に想像できた。
「それと、今回は正装のローブと杖が必要になります。どちらも山小屋にありますね?」
モニカはコクコクと頷く。
七賢人には、専用のローブと杖が与えられている。ただ、正体を隠してセレンディア学園に潜入するのに、七賢人専用装備を持ってくるわけにもいかないので、山小屋に置いてきたのだ。
「時間が惜しいので、私が飛行魔術でひとっ飛びして回収してきます。ローブはタンスに?」
「は、はい……」
モニカは殆ど服を持っていないので、洋服ダンスはいつもスカスカである。正装用のローブもそのタンスに突っ込んであるので、探すのはさして難しくはないだろう。
問題は杖である。
「杖はどちらに? まさか、書類に埋もれているとか?」
「い、いえ……杖は……そのぅ………………あまり、使わない、ので……」
魔術師にとって杖はシンボルマークのようなものだが、実際は無くとも魔術を使うのにさほど支障は無い。
杖とはいわば魔導具の一種で、魔力を安定させたり、一時的に増幅させたりと便利ではあるのだが、正直、七賢人クラスともなると、杖の補助など殆ど必要ないのである。
しかも、魔術師の杖は位が上になるほど長くなるため、魔術師の最高峰である七賢人の杖は無駄に長い。
それこそモニカの身長よりも長い上に装飾も多く、場所をとるので、山小屋の中に置いておくと何かと邪魔なのだ。
「……杖は……庭の……」
「庭?」
「……物干し竿がわり、に……」
ルイス・ミラーは、その美しい顔を過去最高に歪めて絶句した。