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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第10章「冬休み編」
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【10ー1】楽しい冬休み計画

 フェリクスは寮の自室のソファに腰掛け、懐中時計を磨いていた。銀細工で王家の紋章が施されたその懐中時計は特注品だ。

 だが、フェリクスにとって重要なのは王家の紋章でも、時計としての機能でもない。

 開いた蓋を一度閉じたフェリクスは、懐中時計の下部を少しだけ捻る。そうして再び蓋を開ければ、文字盤の下に隠された、もう一つの盤面が現れた。

 その盤面には、大粒のアクアマリンが嵌め込まれており、その周囲に精霊との契約を意味する魔術式が刻まれている。これが、彼の契約精霊ウィルディアヌとの契約の証だ。

 アクアマリン自体は珍しい石ではないが、濃い水色であるほど高価であるとされている。フェリクスの手元のアクアマリンは、まさに最高級と呼ぶに相応しい水色だ。

 かつてこのアクアマリンは、とある貴婦人の首飾りだった。この首飾りをつけていた貴婦人は、このアクアマリンのように、とても美しい水色の目をしていたという。

 フェリクスはその貴婦人のことをあまり知らないけれど、その貴婦人に負けずと美しい水色の目を知っていた。


 ──もう、その水色を見ることは叶わないけれど。


 パチンと懐中時計の蓋を閉じると、郵便物の仕分けをしていたウィルが控えめに声をかける。

「殿下、クロックフォード公爵から……お手紙が」

「見せてくれ」

 フェリクスはトレイに乗せられた手紙を手に取り、ペーパーナイフで封を切った。

 手紙に記されているのは、概ね予想通りの内容だ。

「外交のお仕事だ。レーンブルグ公爵領にファルフォリア王国の使者が来るから、そのもてなし」

「レーンブルグ公爵とは、確か……」

「そう、エリアーヌの父君だ」

 即ち、クロックフォード公爵の命令を要約するとこういうことだ。


 冬休みに入ったら、レーンブルグ公爵領に滞在し、ファルフォリア王国との外交で一定の成果を出せ。

 それと同時にレーンブルグ公爵家──エリアーヌの実家に滞在し、婚約者候補であるエリアーヌとの関係を深めろ。


 ファルフォリア王国はリディル王国東南に位置する、農業大国だ。外交の中身は貿易に関することで間違いないだろう。ファルフォリア王国は、リディル王国にとって重要な同盟相手だ。

 まして、帝国との関係が微妙な今、ファルフォリア王国と帝国が手を結んだら、リディル王国は挟み撃ちにされてしまう。

 貿易取引で一定の成果を引き出しつつ、同盟を強固にするべく丁重にもてなす必要があるだろう。

(エリアーヌのことは、まぁそのついでかな)

 フェリクスが実家に滞在するとなれば、エリアーヌはさぞ張り切ることだろう。

 なんと言っても、エリアーヌはクロックフォード公爵のお気に入りだ。クロックフォード公爵のお墨付きをもらったエリアーヌは、既に自分がフェリクスの婚約者になれた気でいるに違いない。

(……まぁ、クロックフォード公爵はエリアーヌ個人を気に入っているというより、父親のレーンブルグ公爵が扱いやすい人間だからこそ、エリアーヌを推しているんだろうけれど)

 なんにせよ、憂鬱な冬休みになりそうだ。

 他の生徒会役員は、みな帰省を楽しみにしているらしく、どこか空気が浮ついている。

 特に今年は珍しくシリルが浮かれていて、今からあれこれ土産の用意をしては、帰省の日を指折り数えているのだ。

 うらやましいなぁ、と溜め息混じりに手紙を読んでいたフェリクスは、最後の一文で目を止めた。その目がみるみる見開かれ、目元にサッと朱がさす。

 その様子を見守っていたウィルが、心配そうにフェリクスに声をかけた。

「……あの、殿下?」

「ウィル、ウィル、朗報だ」

 いつもの彼らしからぬ早口でそう言い、フェリクスは手紙の最後の一文を指でなぞる。


「〈沈黙の魔女〉に……レディ・エヴァレットに会える!」



 * * *



 ケルベック伯爵令嬢イザベル・ノートンはツンと顎を持ち上げて、ふんぞり返っていた。

「あぁ、家族と穏やかに過ごすべき新年に、貴女のような人間が我が家にいるなんて、わたくしとても耐えられませんわ! 貴女なんかがわたくしの身内だなんて思いたくもない! 精々、この冬は馬小屋で年を越すのね!」

 イザベルはモニカに憎々しげな顔で吐き捨てると、次の瞬間ガクリと項垂れ、その場に泣き崩れた。

「……という名目でお姉様を我が家にお連れして、一緒に冬至休みを過ごしたかったですわぁぁぁ」

 ボロボロと泣きじゃくるイザベルに、モニカは思わずオロオロしながら「す、すみません」と謝罪の言葉を口にする。

 ここしばらく、チェス大会と学祭で忙しかったモニカは、久しぶりにイザベルの私室に招かれてお茶会をしていた。

 そこで話題になったのが、冬休みの過ごし方についてだ。

 冬休みまであと一週間を切った今、誰もが冬休みの過ごし方について楽しそうに口にしている。

 セレンディア学園では年に二回、冬と夏に長期休暇があるが、冬休みだけは全生徒に帰省を促し、寮を完全閉鎖している。

 というのも、夏の長期休暇は社交界シーズン故の休みであり、そして、比較的王都に近いセレンディア学園は非常に交通の便が良いのだ。故に遠方から通っている生徒は、夏休みになると寮から直接王都のパーティに赴くことも珍しくない。

 一方、冬休みはというと、リディル王国では冬至は家族で過ごすものとされているので、生徒達は帰省を促される。

 この国では、一年で最も夜の長い冬至を闇の精霊王エルディオーラが眠りにつく日、一年で最も昼の長い夏至を光の精霊王セレンディーネが眠りにつく日としている。

 そして一年で最も夜の長い冬至の日、闇の精霊王が眠りにつき、光の精霊王が目覚めた翌日を新しい年の始まりと定めているのだ。

 冬至の日までの一週間、貴族も平民も家族とともに静かに過ごすのが、この国の習慣となっている。

 そして、冬至が終わった新年になると、城では新年の儀を行い、一週間かけて、諸地方の貴族達が国王陛下に新年の挨拶に訪れるのだ。

 この新年の儀、いわば一週間かけた宴会のようなものなのだが、これに七賢人であるモニカは初日から出席を義務付けられている。

 なので、遠方にあるケルベック伯爵領に赴くことはできない、というわけだ。

「本当に、すみません……」

「あぁ、あぁ、お姉様、どうか謝らないでくださいまし。これはわたくしのワガママなのですから! あぁ……でも……お姉様と冬至のミートパイとジンジャーケーキが食べたかったですわぁぁぁ。他にも他にも、我がケルベック伯爵領の見所をご案内してさしあげたかったのに……っ」

「お嬢様、お嬢様、〈沈黙の魔女〉様が、困っていらっしゃいますよ」

 侍女のアガサがおっとりと窘めれば、イザベルはハッと顔を上げ、ハンカチで顔を拭った。

「いけませんわね、簡単に涙を見せては悪役令嬢の名折れ……悪役令嬢が流す涙は、嘘泣きだけと決まっているのですわ」

「そ、そんな厳しい決まりがあるんですか……」

 思わずモニカが慄けば、イザベルはグシャグシャに泣き崩れていた顔をキリリと引き締めた。

「お見苦しいところをお見せしました。お姉様と一緒に冬休みを満喫したいという気持ちに変わりはありませんが……今の状況を思えば、無理にお呼びするのは良くないですわね」

 今の状況、の一言にイザベルとアガサの表情が暗くなる。


 ──我が国に竜害の兆候あり。


 この国一番の預言者〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイがその預言をしたのは、今から一週間前のこと。国王はすぐに国中に触書をだし、国民に竜を警戒するよう命じた。

 本来、寒さに弱い竜が活動的になるのは、春先である。冬は一番、竜害が少ない季節なのだ。

 しかし〈星詠みの魔女〉の予言ともなれば、誰しも警戒せざるをえない。彼女は過去に何度もこの国が傾くほどの災いを予言してきたのだ。

 そして仮に竜害が起こるとすれば、一番危ういのは山脈地帯の多い東部地方。ケルベック伯爵領もここに含まれる。だから、イザベルは無理にモニカを招くことはできないと嘆いているのだ。

「りゅ、竜害対策に、竜騎士団だけじゃなくて、七賢人も動く……らしくて……もしかしたら、わたし、イザベル様のお家のそばに、派遣されるかも、しれない、です」

「まぁ! もしそうなった時は、是非是非是非是非、お声かけくださいませ! わたくし、全身全霊全力をもってお姉様を歓待いたしますっ! ケルベック伯爵家が総力をあげて、モニカお姉様の竜退治をサポートいたしますわ!」

「あ、あの、わたしは大丈夫なので……どうぞ、領地の警備に人手を割いて……ください……」



 * * *



 イザベルの部屋を後にしたモニカは、廊下を歩きながら去年の新年のことを、なんとはなしに思い出していた。

 七賢人であるモニカは、新年の儀が始まる初日から、城に滞在していなくてはいけなかった。

 ところが当時、山小屋で新しい魔術式の開発に明け暮れていたモニカは、新年の儀をすっかり忘れており……結果、新年早々、飛行魔術をかっ飛ばしてきたルイスに首根っこを掴まれ、城まで連行されたのだ。

(あの時のルイスさんは、怖かったなぁ……)

 当時を思い出してしみじみとしつつ、モニカは梯子をのぼり、物置小屋の戸を押し上げる。

「よいしょ。ただいま、ネロ」

「おかえりなさい」

 戸を押し上げて屋根裏部屋によじ登ったモニカに声をかけたのは、ネロではなかった。ついでに言うと、リンでもない。

 窓枠に足を組んで座っているのは、栗毛を三つ編みにし、片眼鏡をかけた美貌の魔術師──〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーである。

 モニカはたっぷり十秒ほど沈黙した末、震える声で訊ねた。

「きょ、今日って……新年の儀の日、でしたっけ?」

 いつものルイスなら「同期殿は目を開けたまま寝ぼけていらっしゃるようだ、目を覚ましてやりましょう」と頭に拳をねじ込むぐらいするのだが、今日の彼は酷く沈痛な顔で短く告げた。


「……非常にまずい事態になりました」


 ルイス・ミラーという男は、大抵の「まずい事態」でも、余裕の笑みを浮かべているか、ヤケクソで笑っているような男である。

 そんなルイスが沈痛な顔で言うからには、これは本当にまずい事態なのだ。

 それも、「これから新年の儀だ馬鹿娘」と首根っこを掴んで引きずられていく方がマシなレベルの。


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