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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第9章「学園祭編」
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【9ー18】星になった英雄の幸福

 シリルはモニカをソファに座らせると、床に落ちていたブランケットを拾い上げて、モニカの肩にかけてくれた。

「私はそろそろ現場に戻るが……体調が良くなるまで、ここで休んでいろ」

「は、はい、あの……いろいろすみません、でした」

 力になるつもりが、逆に助けられてしまった。

 しかも、モニカのためにシリルがあれこれと気を回していたのだと思うと、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいである。

 だが、シリルはいつもの彼らしく、高慢に顎を持ち上げて鼻を鳴らした。

「この程度、殿下の右腕である私にとって、大した問題ではない。じきにメイウッド総務も戻るしな」

 こうして胸を張って、顎をツンと持ち上げていると「わぁ、いつものシリル様だ」と、不思議とモニカも安心した。

 最初の頃は、シリルの高慢な振る舞いを威圧的に感じていたけれど、最近はむしろ妙に安心する。

「シリル様、あの……」

「なんだ?」

 モニカは胸元の花飾りから垂れるリボンを摘んで、キュッと唇を噛み締める。

 シリルが仕事に戻る前に、どうしても礼を言っておきたかったのだ。

「……おまじない、ありがとう、ございました……おかげで、今日は、いつもより頑張れ、ました」

 いつも冷たいシリルの目元が、少しだけ柔らかくなる。

 彼の唇の端には、小さな笑みが浮かんでいた。

「……そうか」

 噛み締めるみたいに呟いて、シリルは部屋を出ていく。

 静かに扉が閉まる音を聞きながら、モニカは肩に羽織ったブランケットをギュッと手繰り寄せた。

 目眩はだいぶ治まっているけれど、倒れたばかりなのだ。もう少し休んでいた方が良いだろう。

 なんとはなしに窓の外を見たモニカは、夜空を煌めく星にほぅっと感嘆の吐息を吐く。

 セレンディア学園は町から少し離れているので、山小屋ほどではないにしろ、それなりに星がよく見えた。

 きっと今頃は〈星詠みの魔女〉も、夜空を見上げてこの国の行く末を占っているのだろう。

(……そういえば、〈星詠みの魔女〉様が言っていたのは、どういうことだろう)


『あたくし、国の未来と王族に関する部分を特に重点的に〈視て〉いるのだけど……もう十年ぐらい前から、フェリクス殿下の運命だけが読めなくなってしまったのよぉ』


 〈星詠みの魔女〉が〈視る〉ことができなかった、フェリクスの運命。

 ここしばらく、フェリクスの周囲では大きな事件が続いている。

 ケイシーによる暗殺未遂、チェス大会の侵入事件、そして今日、再び現れたユアンという刺客。

 どれ一つとっても、大きな事件である。それなのに〈星詠みの魔女〉は、それらの事件を一つとして予知することができなかった。

(あのユアンっていう人が言ってたことも、気になる……あの人の目的は、殿下の暗殺じゃなかった……なら、何のために、学園に侵入したんだろう?)

 ユアンは言っていた。


『至近距離で確認したから間違いないわ。あれは裏切り者のアルトゥールの仕事よ……あの方の読みは正しかった』


 ユアンは至近距離で、フェリクスの何を確認したのか? 裏切り者のアルトゥールとは何者なのか? ユアンの言う「あの方」とは誰なのか?

 考えれば考えるほど、疑問は尽きない。

 モニカは窓枠にもたれ、瞬く星をぼんやり眺める。

 あの星のどこかに、フェリクスの運命はあるのだろうか。

「………………あれっ?」

 モニカは夜空にフェリクスの運命を視ることはできない……が、その真下にある木のそばにフェリクスの姿を見つけて、思わず目を剥いた。

「な、な、なんで、あんなところに、殿下が……っ」

 モニカが口をパクパクさせていると、フェリクスは周囲を見回し──あろうことか、礼服姿で木を登り始めたではないか。

「ええええええええっ!?」

 このパーティの主役とも言える人物が、パーティを抜け出して何をやっているのか。

 なんにせよ護衛であるモニカには見逃せない事態である。

 モニカは慌てて部屋を飛び出し、フェリクスの元へ向かった。



 * * *



 フェリクスが登った木の形をモニカは覚えていたので、会場の外に出たモニカは、すぐにその木を見つけだすことができた。

 よくよく目を凝らせば、月の光を受けて輝くハニーブロンドが葉の隙間から見える。

「……でんっ、ででっ、殿下ぁっ」

 モニカが木を見上げて声をかければ、葉っぱがガサガサと音を立てて揺れた。

「相変わらず君は、『僕』を見つけるのが上手いな」

 フェリクスは木の上からモニカを見下ろしてクスクス笑うと、身軽に木の上から飛び降りて、モニカの前に着地した。

 あんなに高いところから飛び降りて大丈夫なのだろうか、とモニカはハラハラしたが、フェリクスはケロリとした顔で、髪についた葉を指先で摘んでいる。

「あの、パ、パーティは……?」

「ちょっとだけ、外の空気を吸いたくてね」

「ちょっとだけ外の空気を吸うのに……木に登る必要は、ないのでは……?」

 モニカが恐る恐る訊ねれば、フェリクスはイタズラっぽく──歓楽街で見せた笑い方をした。

「今日は星が綺麗に見えそうだったから」

「……星が、お好き、なんですか?」

「いいや」

 フェリクスはあっさり否定すると、頭上に広がる星を見上げて目を細める。

「僕は、それほど興味があったわけじゃないけれど、友人が詳しくてね。話を聞かされている内に、すっかり詳しくなってしまった。そのせいか星がよく見える日は、つい外に出たくなる」

 フェリクスはごくごく自然な仕草でモニカの手を取ると、反対の手をモニカの腰に添えた。まるで、これからダンスでも始めるかのように。

「あの、殿下、会場に、戻らないと……」

「少しだけ付き合っておくれ。どうせ君は、会場では私と踊ってくれないのだろう?」

 図星だったので、モニカは大人しくフェリクスにリードされることにした。

 それはダンスというよりは曲に合わせて歩くだけに近い。モニカのステップがデタラメで、ターンが無くても、フェリクスは気にする様子はなく、寧ろ楽しそうですらあった。

「以前、君にダンスを教えた時のことを思い出すね。あの時のキミは、スカーフの刺繍のことを考えていたのだっけ?」

「あ……う……えっと、正確にはスカーフの模様が適用される定理についてで……」

「じゃあ、あの時の私が言ったことなど、君は何も覚えていないのだろう?」

 またしても図星だったので、モニカは黙り込む。

 フェリクスはクスクスと意地悪く笑って、モニカの耳元に唇を寄せた。

「そのドレス、とてもよく似合ってる。可憐で、でもさりげなく華やかで、君の魅力を引き立ててくれているようだ。やっぱり、君には緑色が似合う。うん、深い森の緑も良いけれど、春の若葉のような色もいい」

「えっと、あ、ありがとうございます」

 ドレスを褒められるのは、照れくさくもあるけれど、素直に嬉しかった。このドレスを用意してくれたラナを褒められたみたいで。

「髪型も可愛いね。その花のようなまとめ髪は、お友達がやってくれたのかい?」

「はいっ、ラナとお揃いなんです」

 モニカがはにかみながら微笑めば、フェリクスは唇の端を少しだけ持ち上げて──暗く笑った。

「……少し、妬けるな」

「…………え?」

 モニカの腰を抱く手に、力が込もる。

 音楽はまだ続いているのにステップが止まった。

 フェリクスの蒼く煌めく目が、どこか無機質にモニカの胸元の花飾りを見る。そうして彼は腰を抱く手はそのままに、反対の手をモニカの首元に伸ばした。

 細い指先が、モニカの首をつぅっとなぞる。


「……僕が贈ったペリドットは、着けてくれなかったのに」


 耳を震わす低い声に、モニカの体は無意識に跳ねた。

 今になってモニカは、昼間、フェリクスがモニカの首元をやけに気にしていた理由に気づく。

 どこか拗ねたような声は、あの夜の彼と同じだ。

「…………アイ、ク」

「うん」

「わたし……まだ、お洒落上級者では、ない、ので」

「それでも、あの首飾りを着けている君が見たかった」

 これではまるで、ラナが施してくれた花を模したまとめ髪や、シリルが贈ってくれた花飾りに、フェリクスが嫉妬しているみたいだ。そんなこと、あるはずがないのに。

 混乱するモニカを、フェリクスは妙に熱のこもった目で見つめる。

「宝石の輝きと星の輝きはよく似ているね。その首元でペリドットが輝いていたら、きっとボクは夜空の流れ星よりも、君に見惚れていたかもしれない」

 甘く整った顔に至近距離で見つめられ、モニカは目をグルグルと回しながら必死で思考を巡らせ、言葉を絞り出した。

「な、なな、な……」

「うん?」


「流れ星は私達の足元に落ちている小石よりも小さくて軽いんですけれども、何故あんなに綺麗に輝くのかと言うと、一秒の間にこの国から隣国まで移動するぐらいの途方もない速さで移動しているからなんです。高速で移動する物体は夜空の細かな原子や分子と衝突することで発光するので、宝石が輝く原理とはだいぶ違うと思います。そもそも宝石は魔力を付加した物でない限り、自分から発光しているのではなく光の反射で……」


 フェリクスは口元に手を添えて、肩を震わせた。クツクツと喉を震わせていたかと思えば、ふはっと息を吐くように笑う。よく分からないが、笑いのツボにはまったらしい。

「君は数字だけじゃなく、星のことにも詳しいんだな」

「…………えぇと」

 モニカは天文学を専門に学んだわけではないが、〈星詠みの魔女〉の依頼で、星の軌道の計算をしている。なので、天文学に関する基礎知識はそれなりにあった。

「……生物学は突き詰めていくと極小の数字の積み重ねなんです。それに対して天文学は、国家予算よりも遥かに大きい膨大な数字ばかりで……その、どちらも、数学的にとても面白い、です」

「君は将来、学者になりたいのかな?」

「………………どうでしょう」

 フェリクスの問いにモニカは言葉を詰まらせ、曖昧に笑う。

 モニカは今までの人生で、一度だって「何かになりたい」という夢を見たことがない。

 何になりたいか分からないまま、人に怯えて、流されて生きて……気がついたら七賢人になっていた。

 七賢人になってからは、竜退治をしたり、他の七賢人に頼まれた計算の仕事をしたりもしていたが、メインはやはり魔術式の研究である。

 そういう意味では、既にモニカは魔術の研究者であると言っても良い。それも、恐らく国内最高峰の。

 だが、それをフェリクスに言うわけにもいかず、黙っていると、フェリクスは真摯な態度でモニカに告げた。

「君が専門で進みたい道があるというのなら、私の方からケルベック伯爵に話をつけてもいい」

 フェリクスの提案にモニカはギョッと目を剥き、慌てて首を横に振った。

「い、いえ、だ、だだ、大丈夫、です」

「セレンディア学園を卒業した女子生徒の進路を知っているかい?」

「…………?」

 キョトンとするモニカにフェリクスは告げる。


「結婚さ」


 セレンディア学園の生徒は貴族の子女ばかり、ともなれば、それはごくごく自然なことだった。そして、貴族の子の殆どが結婚する相手を選べない。

「君は、誰かと結婚したいと思っている?」

 フェリクスの問いに、モニカは即答した。

「いいえ」

 これだけは明確に否定できる。

 恋も愛も分からない──それどころか、人間が恐ろしくて仕方ない魔女に、どうして温かな家庭を築く未来があるだろう。

 きっと自分は、セレンディア学園を去った後は、また山小屋に引きこもる日々に戻るのだ。そうして、数字や魔術式とだけ向き合って生きていく。


 このセレンディア学園での思い出を、宝物のように胸に抱えたまま。


 モニカが虚ろな目で俯いていると、フェリクスがおもむろにモニカの手を取った。

 瞬きをしてフェリクスを見上げれば、彼は柔らかな笑みをモニカに向ける。

 これは殿下の笑い方? それともアイクの笑い方? 答えを出せぬモニカに彼は告げた。

「以前、僕が友人から貰った言葉を、今、君に贈ろう。


『他の誰のためでもなく、君自身のために、夢中になれるものを見つけてほしい。君だけの好きなものを、楽しいものを、いっぱい見つけてほしい』」


 それは以前、歓楽街を歩いた時に彼が口にした言葉だ。

 だから、彼は自分が楽しいと思えるものを、夢中になれるものを探しているのだと……そう言っていた。

「きっと、僕に残された自由は少ないから。この願いは君が引き継いでくれると嬉しい」

 その言葉に、モニカは諦めのようなものを感じた。

 今の彼は、きっと──アイクなのだ。

「……貴方、は……アイクは?」

 彼は、ずっと胸に抱いていた友人の言葉を諦めようとしている。その言葉に込められた願いを全てモニカに託して。

 そう気づいた瞬間、モニカは初めて、目の前にいるこの青年に、危うさのようなものを感じた。

「そのお友達は、アイクに、好きなことを見つけてほしいって、言ったんですよね? それを……やめちゃうん、です、か?」

 ぎこちなく言葉を紡ぐモニカに、フェリクスは眉を下げてどこか寂しげに笑った。

「……友人の願いを反故にしてでも、叶えたい願いがあるんだ」

 そう言ってフェリクスはモニカから視線を逸らし、夜空を見上げる。

 そして、東の空で一際大きく輝く星々を指さした。

「ご覧、あそこの大きい星を台形に二つ繋いだのが『英雄ラルフ座』だ。初代国王ラルフは死の間際に、自分の存在が人々に忘れられていくことを恐れていた……だから、ラルフの妻アメーリアは、闇の精霊王エルディオーラに頼んで、死んだラルフを星座にしてもらったんだ。夜空を見上げれば、人々がすぐラルフのことを思い出すように」

 何故、急に神話の話などするのだろう?

 最初はモニカの問いをはぐらかすためなのかと思ったが、そうではないとモニカの勘が囁いている。

 モニカは今、恐らく目の前にいる青年の根幹に関わる何かに触れている。

 英雄の星を見上げるフェリクスは、どこか恍惚とした──夢見るような眼差しだった。



「……死してなお、英雄ラルフのようにその輝きを夜空に残せるとしたら……それは、とても幸せなことだと思わないかい?」



 モニカの首筋が、ゾクリと粟立つ。

 フェリクスはいつだって穏やかに優しく微笑んでいた。アイクを名乗っている時は飄々として楽しそうで、何かに対する執着を殆ど見せたりしなかった。

 たとえクロックフォード公爵の傀儡と言われようとも、彼はお行儀の良い人形のような模範的な王子様だった。

 だが、今目の前で星を見上げている青年の目には、確かな執着の炎が宿っている。

 そこにモニカは、静かな妄執と狂気を感じた。

 フェリクスは視線を星空からモニカに戻すと、いつもの彼らしい穏やかで優しげな笑みを浮かべる。

「あぁ、そろそろ冷えてきたね。寒かっただろう? 中に戻ろうか」

 その甘い声も、優しい笑顔も、全ては彼の本心を隠すためのものだ。

 きっと、これ以上訊ねても、彼は本心に触れさせてはくれない。

 モニカは青白い顔で頷き、フェリクスの後に続いた。






 パーティ会場を抜け出したフェリクスとモニカの会話を、バルコニーの上でこっそり聞いている人物がいた。

 その人物とは美貌の令嬢、生徒会書記ブリジット・グレイアム。

 彼女は美しい顔に鋭い怒りを滲ませ、会場に戻ろうとするフェリクスとモニカを見下ろす。

 やがて二人の姿が見えなくなると、ブリジットは隠し持っていた小さなブローチを取り出した。

 それは、安物の琥珀をあしらったブローチ──先日、モニカ・ノートンが落とした物だ。それを華奢な手の中できつく握りしめ、ブリジットは低く呟く。


「……返してもらうわ。あたくしの、殿下を」


 とろりと美しい琥珀色の目には、剣呑な光が宿っていた。

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