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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第9章「学園祭編」
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【9ー16】私はあなたのもの

 クローディア・アシュリーはソファにもたれ、鬱々とした空気を撒き散らしていた。その陰鬱さたるや、今日、身内に不幸がありましたと言われたら、うっかり信じてしまいそうなほどである。

 だが、どんなに陰鬱な気を撒き散らしても、彼女の完璧な美貌が損なわれることはない。殊に、恋に盲目な男達の目には陰鬱な有様も、物憂げで儚げに映るらしい。

「クローディア嬢、どうかわたくしのバラを受け取って貰えませんか?」

 クローディアの前に跪き、バラの花飾りを差し出す男は、本日九人目の挑戦者であった。

 クローディアは扇子の影で、ふぅっと息を吐く。

「…………二桁目前ね」

「はい?」

 ゴミ箱に捨てられる花の数である。

 クローディアは肘掛けにもたれていた体をゆっくりと起こすと、差し出された赤いバラをじっと見つめた。

「…………花は好きよ」

「貴女に相応しいバラを選びました。これは我が家で栽培されている新しい品種で、香りが強く……」

「……えぇ、良い香り」

 クローディアは人形じみた顔に、薄い笑みを浮かべる。それだけで、周囲の者がハッと息を止めて彼女に魅入るほど、彼女は美しかった。

 傾国の美貌の令嬢は美しい笑みをたたえたまま、花を捧げた男に告げる。


「……香りが強すぎて、身につける気もおきないわ」


 男の顔がピキリと強張った。このやりとりに聞き耳を立てていた者達は、堪えきれずクスクスと笑いだす。

 大抵の者はこれで心が折れるところだが、九人目の挑戦者はなかなかに執念深かった。

「我がグリンガム侯爵家は、ハイオーン侯爵家と縁も深く……」

「……三世代前の話ね」

「以前からクローディア嬢とは、ゆっくり話をしたいと思っていたのですよ」

「……ハイオーン侯爵家と繋がりが欲しいなら、兄に擦り寄った方が早いわよ」

「いえ、私が興味あるのはクローディア嬢です。貴女のように美しい女性は初めて見ました」

 男が情熱的な目でクローディアを見れば、クローディアは瑠璃色の目を細めて、口元を扇子で隠す。


「……まぁ、見聞が狭い方って、す・て・き…………新しい女に会う度に、その台詞が言えるもの」


 賑やかに盛り上がるこの会場で、クローディアの座るソファ周辺だけが寒々しい空気に包まれている。

 男がグッと黙り込むと、その背後から「あの〜、すみません……」と控えめに声がかかった。

 男が振り向けば、そこには礼装姿の小柄な少年──ニール・クレイ・メイウッドが気まずそうに佇んでいる。

 クローディアが無表情にニールを見た。

「……どうして婚約者の貴方が、順番待ちをしているのかしら?」

「えぇっ!? いくら婚約者だからって、横入りはダメですよ!」

 真面目である。

 クローディアに言い寄っていた男も、ニールが婚約者であることは分かっていたのだろう。顔に薄っぺらい愛想笑いを貼りつけて、すごすごと引き下がった。

 クローディアは自分に言い寄っていた男には目もくれず、ニールを見上げる。

 生徒会総務である彼女の婚約者は、学園でのイベントの際はいつも多忙だ。だから、こうしてイベント中に話しかけてくるだけでも珍しい。

「……なにか、あったの?」

「い、いえ、あの……ですね……」

 ニールはコホンと下手くそな咳払いをすると、背中に隠していた右手をクローディアの前に差し出した。

 彼の手に握られているのは、オレンジ色のバラにブラウンのリボンをあしらった花飾り。

 おもむろに目を見開くクローディアに、ニールは恥ずかしそうに頬をかきながら告げた。


「ボクと、踊ってくれませんか?」


 クローディアはニールの言葉の意味を飲み込むのに、数秒ほど時間を要した。決して、彼を馬鹿にしようとしたわけじゃない。本当に言葉が喉につっかえて、すぐに出てこなかったのだ。

「……そのバラは、ダンスの直前に贈るのではなく、予約の証だったと思うのだけど」

 嬉しいわ、喜んで、という言葉よりも先に出てきたのは、そんな可愛げのない言葉だった。

 だが、ニールは気を悪くした様子もなく、むしろ申し訳なさそうに眉を下げる。

「わ、す、すみません。当日、ダンスをする時間がとれるかどうか分からないのに、予約の証なんて贈ったらクローディア嬢に失礼かと思って……」

 ニールはまるっきりシリルの予想通りのことを言った。

 クローディアは見開いた目を、柔らかな笑みの形に細める。

「……花飾り、着けてくれる?」

「はい!」

 ニールはソファに座るクローディアの前に立つと、身を屈めてロイヤルブルーのドレスの胸元に花飾りを留めた。クローディアの体に触れないよう慎重な手つきなのが、いかにも真面目な彼らしい。

 バラを留め終えると、ニールは困ったように眉を下げた。

「今日の青いドレスに合わせるなら、白いバラの方が良かったですね。すみません……自分の好きな色、選んじゃって」

「……私は好きよ」

 こんな時でも、自分色に染めることより、クローディアに似合う物を……と気を遣ってしまう彼のことが。

(もっと貴方色に染めてくれていいのに)

 クローディアはニールのものなのだと、執着してほしい。周りに見せつけてほしい。

 そうしてクローディアは、予約の証であるバラを誇らしげに周囲に見せびらかすのだ。


 ──私はニールのものなのよ、と。


 クローディアが手を差し出せば、ニールは極々自然な動作でその手を取る。

 並んで立つと、クローディアの方が幾分背が高い。クローディアはあえてヒールの低い靴を選んでいるけれど、それでも身長差は誰の目にも明らかだ。

「……背の高い女と踊るのは、嫌なのかと思ってたわ」

「えっ!? す、すみません、僕が小さいから……クローディア嬢、踊りづらいですよねっ? あの、辛かったら言ってくださいね?」

 ほら、こんな時でもニールはクローディアを気遣ってしまうのだ。

 なんて憎らしくて可愛らしくて、愛おしい人だろう。

「……私は、朝までだって踊れるわよ?」

「あっ、すみません、それは無理です」

 即答するニールを少しだけ恨めしげに睨めば、ニールは苦笑まじりに言った。

「アシュリー副会長が、僕の仕事を代わってくれてるんです。そのために、朝から打ち合わせもしてて……あっ! クローディア嬢には内緒にしろって言われてるんだった……す、すみません、どうか内緒に……っ」

「…………」

 クローディアが周囲を見回しても、ダンスホールにシリルの姿は無かった。

 大方、ニールのために、裏方で走り回っているのだろう。自分のことは二の次にして……あぁ、なんともあの義兄らしい。

(朴念仁の癖に、変な気の利かせ方をして…………嫌になるわ)

 どこかで借りは返さねば。

 できることなら、あの義兄がとびきり嫌な顔で礼を言うような借りの返し方がいい。



 * * *



 厨房と給仕役の連絡係という役目を託されたモニカは、緊張に顔を強張らせながら、厨房の戸を開けた。

 厨房の中はパーティ会場以上の熱気に包まれており、料理人達が忙しそうに働いている。

(こ、こういう時は、ちゃんと挨拶した方がいいのかな。ドレスを着た女子生徒が突然入ってきたら、何しに来たって思うよね、ちゃんと自己紹介……を……っ、で、でも、みんな忙しそうだし……)

 勇気を持って扉を開けることはできたものの、そこから一歩踏み出すことが難しい。まして、忙しそうに働いている人達に声をかけるというのは、人見知りにとって極めて高い壁だった。

 言うぞ、言うぞ、あぁ、やっぱり、丁度良いタイミングを見計らって……丁度良いタイミングってどんなタイミング? と、モニカがぐるぐる悩んでいると、大柄な料理人がモニカを見て声をはりあげた。

「なんだい、嬢ちゃん! 迷子か!?」

「い、いいいいいいえっ、あのっ、わ、わたしっ、生徒会、でっ……連絡、役を……」

 か細い声でそう言えば、料理人はパッと顔を輝かせた。

「おぉ、丁度いい! 今日は天気が良かっただろう?」

「は、はいっ……」

「そのせいで、氷菓を冷やすのに使う氷が溶けてしまったんだ! 生徒会の副会長さんに氷を作ってもらってほしいんだよ」

 シリルは何も無ければ、ただ待機しているだけで良いと言っていたけれど、そうそう甘くはないらしい。

 料理人の男は大きなタライをモニカに差し出した。大の大人が二人で手を繋いで、輪を作ったぐらいはある。

「これいっぱいに欲しいんだ。頼んだよ!」

 頼まれてしまった。

 モニカは腕を限界まで伸ばしてタライを受け取り、ヨロヨロと廊下に出る。

(魔術の氷で良いってことは、直接口に入れる物ではなくて、あくまで冷やすための物ってこと……だよね)

 魔術で作り出した氷は魔力を含んでいるため、食用には向かない。魔力に耐性の無い人間が大量に摂取すると魔力中毒を起こすためだ。

 ただ、氷菓の器の外側に置いて、冷やすために使うのなら、魔術の氷でも問題ない。

 料理人は氷の魔術が得意なシリルを頼るつもりだったのだろうけれど、シリルは多忙の身だ。できれば、忙しい彼の手を煩わせたくない。

 モニカはフンスと鼻から息を吐くと、タライを抱えたまま人の少ない廊下の奥に移動した。

 そして、無詠唱魔術でタライ一杯の氷を作りだす。なるべく溶けにくいように不純物を排除し、魔力含有量を高くすれば、透明度が高く美しい氷がタライ一杯に満たされた。

「……できた」

 モニカは満足げに頷くとタライに手をかけ…………。

「うぐぅぅぅぅぅぅ……にゅぅぅぅぅぅぅ、ふ、うぅぅぅぅぅぅ……っ」

 今更気がついた。タライが重くて持ち上がらない。

 天才という称号が疑わしくなるほどの凡ミスである。

 モニカはひとしきり奮闘していたが、やがてタライを持ち上げることは諦め、その場にしゃがむと、タライを両手でひたすら押した。

「……ふぅっ……ふぅっ……うぅぅぅ……」

 タライは少しずつだが動き始めた。幸い厨房までの距離はさほど遠くない。頑張れば、なんとか辿り着けるはずだ。

 ドレス姿でしゃがみ込んでタライを押すモニカに、通りすがりの令嬢達がクスクスと笑う。

「まぁ、ご覧になって、あれ」

「あれではまるで、家畜ですわ」

「やぁだ、みっともない」

「お客様には、とても見せられませんわね」

 そんな言葉も耳に入らないぐらい、モニカは必死だった。

 あと少し、あと少し……と自分に言い聞かせながら、タライを押せば、やがて前方に厨房の扉が見えてくる。

 モニカはフゥフゥと荒い息を吐きながら、タライを押し続け……グラリと、目眩に襲われる。

(………………あ)

 侵入者と戦闘をし、毒を吸わされた体は、まだ激しく動き回れるほどに回復はしていなかった。

 頭がズキズキと痛み、視界がグルグルと回りだす。

(……やだ……まだ、ダメ……だって、わたし、まだ、何も……)

 タライにかけた指が滑った。そのままモニカの小さい体は力を失って、くたりと床に崩れ落ちる。

 すぅっと血の気が引いていき、意識が遠ざかる。


(……まだ、役に、立てて、ない、のに……)



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