【9ー15】人探し
モニカがグレンと話をしていると、周囲からチラホラと羨望の眼差しを向けられた。主に女子生徒達がグレンに話しかけたそうにしている。
きっとお芝居効果だろう。舞台の最後に贈られた盛大な拍手とその裏のドタバタを思い出し、モニカはこっそり苦笑する。
「そういや、今日はラナは一緒じゃないんスか?」
「えっと……会場に着いたら、ラナが『わたしがいたら、誘いづらいでしょ』って、別行動を……」
「誘うって……誰が誰を何に誘うんッスか?」
「わたしにも、よく分からないです……」
ラナの意味深な笑顔を思い出し、モニカは首を捻るばかりである。
とりあえず、この件についてはこれ以上考えても答えが分かる気がしないので、モニカはあっさりと考えることを放棄した。
「グレンさん、その服、とっても素敵ですね」
「へへっ、実はこれ、師匠が用意してくれたんスよ!」
「ル……〈結界の魔術師〉様が?」
うっかり「ルイスさんが」と口走りそうになり、モニカは慌てて訂正する。グレンはルイスとモニカが同期であることも、モニカの正体も知らないのだ。
(……ルイスさん、マメだなぁ……)
なにせ、今モニカが履いている靴もルイス・ミラーが用意してくれたものである。
あのルイス・ミラーが弟子の礼服や、モニカの靴やらをせっせと用意していたと思うと、なんだか妙におかしい。
「こんな立派な服、オレが貰って良いんッスかね? って師匠に訊いたら『経費で落ちるので』って言ってたんスけど……何の経費なんだろ。七賢人になると、弟子の服も経費で払ってもらえるんスかね?」
「………………あはは」
おそらく、ルイスの言う経費とは、第二王子の護衛任務に対する経費だ。モニカの入学費用もそこから支払われている。
グレンをセレンディア学園に送り込んだのは、モニカから目をそらすため──つまりは、護衛任務の一環である。グレンの入学にかかる費用は全て、必要経費として請求しているのだろう。
(あれ、でも、この任務って国王陛下直々の……)
ということは、ルイス・ミラーは国王に弟子の礼服代を請求したのだろうか。
もしかしてこの靴も……と、モニカは今更気づいて青ざめた。
あの図太い性格のルイス・ミラーなら、国王相手だろうが、しっかりきっちり経費を請求するだろう。
(わ、わたし……とんでもない物を貰ってしまったのでは……)
思わず足をもじもじさせていると、グレンが「あっ」と声を上げてモニカの背後を見た。つられてモニカもグレンと同じ方向を見れば、礼服姿のシリル・アシュリーが周囲を見廻しながら早足でこちらに向かってくるのが見える。その表情は少し焦っているようにも見えた。何かトラブルだろうか。
「副会長さん、こんばんはっス! なんか、困り事ッスか?」
「む? グレン・ダドリーとノートン会計か……この辺りで、楽団の指揮者を見ていないか?」
そう言えば、そろそろダンスが始まっても良い時間である。
シリルが言うには、楽団の指揮者が手洗いに行ったまま迷子になってしまい、演奏が始められずにいるらしい。
モニカは指をこねながら、シリルに訊ねた。
「え、えっと、その方の、容姿は分かりますか?」
「身長は私と同じぐらいだ。年齢は五十過ぎで小太り。毛先をカールさせた白髪。黒の礼服だ」
「えっと、足や腕の長さとか、顔のパーツの正確なサイズが分かると、精度が上がり、ます……」
「分かるかっ! ……いや、待て、精度とは何だ。精度とは」
モニカはシリルの問いには答えず、無詠唱で遠視の魔術を発動した。これで、遠く離れたところまで見渡すことができる……のだが、背が低いモニカでは、人の背中が邪魔をして遠くまで見えない。
「……う〜……」
モニカが背伸びをすると、グレンが何やら察した顔で、モニカの脇の下に手を突っ込み、その小さい体を持ち上げた。
シリルがギョッとしたような顔をする。
「貴様は何をしているんだ!?」
「こうすれば、遠くまで見えるッスよ! モニカ、指揮者さんはいたっスかー?」
グレンに持ち上げられているのは少し──否、だいぶ恥ずかしいが、おかげで遠くまで見回すことができた。
モニカは人間の身長や手足の長さを、見ただけで正確に割り出すことができる。
多少の距離があっても、グレンに持ち上げられている自分の高さ、相手との距離、角度等を計算すれば、ある程度正確な数値の算出は可能だ。
グレンに持ち上げられながら、ぐるりと周囲を見回したモニカは、視線を固定したまま口を開いた。
「……該当する男性を三名見つけました。一人目の方は髪を後ろで結んでいます。二人目の方は鷲鼻です。三人目の方は隣にご婦人を連れています……二番目の方は腕の長さが左右で少し違うので、何か楽器をされていたのではないかと思うのですが……」
「その鷲鼻の人物は、襟元にピンを着けているか? 楽団の人間なら、必ず着けている筈だ」
常人なら見えない距離であるが、遠視の魔術を使っているモニカには、その男性の襟元もよく見える。術を調整してピントを合わせれば、その男性の襟元のピンがバイオリンを模した形であることまで見てとれた。
それをシリルに伝えれば、シリルは「間違いない」と頷く。
「すまないが、その人物のところまで案内してくれ」
「は、はいっ!」
モニカは持ち上げてくれたグレンに礼を言い、シリルとともに指揮者の元へ向かった。
指揮者との距離はだいぶ離れていて、シリルがボソリと「よくこの距離で見えたな」と呟く。まさか、遠視の魔術を使ったと言うわけにもいかないので、モニカは曖昧に笑って誤魔化した。
「えっと、わ、わたし、目が……良い、ので」
これは、まるっきり嘘ではない。モニカは普段から暗いところで書き物ばかりしている割には、視力はそこそこに良いのだ。流石に会場の端から端まで見渡せる程ではないが。
モニカとシリルは無事に指揮者を見つけだすと、指揮者を楽団のところまで送り届けた。
シリルは曲の演奏が無事に始まったのを確認して、ホッと胸を撫で下ろしている。
「……正直、助かった。感謝する。今年は例年より楽団の規模が大きくてな……その分、予想外の事態が多い」
「いえ……あれっ、でも、楽団関係って、メイウッド様の担当では……?」
基本的に舞踏会の裏側の仕事は、ニールの担当である。
そういえば、準備の段階からシリルはニールを手伝っているようだったが、もしかして、モニカの知らないところで何かトラブルでもあったのだろうか?
「あ、あの、メイウッド様に、なにかあったんですか? わ、わたしも、何か手伝った……方が……」
「いや、そういう訳じゃない」
シリルはゆるゆると首を横に振ると、少しだけ気まずそうに視線を彷徨わせる。
「その……メイウッド総務が自由に動ける時間を捻出したくて、私が交代を申し出たんだ」
「…………??」
モニカが首を捻っていると、受付役の生徒がシリルのもとに早足で近づき、なにやら耳打ちした。シリルは細い眉をピクリと動かし「そうか、すぐに行く」と告げる。
そして、シリルはモニカの顔と胸元の花飾りを交互に見ると、何故か苦い顔をした。
「……ノートン会計、一つ頼まれてくれ」
「は、はいっ! なんでしょうかっ!」
「……受付の方でトラブルがあった。早急にそちらの対処に向かいたいが、厨房の連絡役が足りていない。交代の生徒が来るまで、厨房の連絡役を頼まれてほしい」
厨房の連絡役は、主に会場と厨房の伝達係だ。基本的には給仕役と料理人が直接やりとりをするのだが、そのどちらでも対応できない事態の時、連絡役が必要な物を手配したり、トラブルを解決したりするのだ。
今まで、シリルはこの手の仕事をモニカに割り振ったことがない。対人能力の低いモニカに割り振られるのは、いつも裏方の数字を扱う作業だった。
だからこそ、シリルも不安なのだろう。当然、モニカもだ。今までだったら「む、むむ無理ですっ」と首を横に振っていた。
(でも、今のわたしには……おまじないが、あるん、だから……)
モニカは胸元の白バラの花飾りを見つめる。シリルがくれた恥をかかないおまじない。それをしっかりと目に焼き付けて、モニカは顔を上げる。
「……や、やりますっ」
シリルはやはり苦い顔をしていた。恐らく、彼も葛藤しているのだろう。モニカの人見知りぶりは筋金入りだ。任せて良いものか不安に違いない。
「……何事もなければ、ただ待機しているだけでいい。何かトラブルがあったら、私を呼べ」
「は、はいっ!」
* * *
「フェリクス様……わたくしと、踊ってくださいまし?」
エリアーヌがそう声をかければ、フェリクスは甘く柔らかく微笑み、エリアーヌに手を差し伸べる。
「勿論、喜んで」
丁度そのタイミングで曲が始まった。
フェリクスは甘く美しく微笑み、ダンスホールにエリアーヌを誘う。
二人が手を取って踊りだせば、周囲の視線はたちまち彼ら二人に集まった。美貌の王子と公爵令嬢のダンスに、誰もがうっとりとしている。
完璧なダンスを披露する二人は、進行方向を切り替える僅かな瞬間、各々視線を周囲に巡らせた。
エリアーヌはグレンの姿を探した。グレンは軽食テーブルで肉を頬張っている。当然、ダンスホールなど見てもいない。
フェリクスはモニカの姿を探した。モニカはシリルとなにやら話し込んでいる。当然、ダンスホールなど見てもいない。
(あら、あら、あら……わたくしよりも、食事に夢中なんて、どういう神経をしているのかしら? こちらを見て羨ましがりなさいグレン・ダドリー! わたくしと殿下のダンスを指を咥えて見てなさい、腸詰め肉なんて咥えてないで!)
(モニカは花飾りの意味を理解していなかったようだけど……意味を教えずに「おまじない」と偽って花飾りを贈って他の男を牽制しておいて、ちゃっかりモニカをダンスに誘うのはズルくないかな、シリル?)
(わたくしがフェリクス様と踊っているのよ? もっとこっちをご覧あそばせ? わたくしに興味を持ちなさい?)
(きっと私が誰と踊っても、興味が無いんだろうなぁ、うん知ってたけれど。この間、一夜を共にした仲なのだから、もう少し意識してくれても良いんじゃないかな?)
再び視線を交わしたフェリクスとエリアーヌは、互いに非のうちどころのない完璧な笑顔を向ける。
「こうして殿下と踊れるなんて、夢のようですわ」
「それは光栄だ」
二人は美しく微笑みあいながら、まるで違う方向を気にしていた。




