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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第9章「学園祭編」
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【9ー12】傷つけるより、酷いこと

 ──モニカはシリルから「ノートン会計」と呼ばれるのが好きだ。生徒会役員の一人として認めてもらえたような気がして。



「たかだか呼び方が違うだけで、貴様は他人にこのような仕打ちをするのか?」

 雷の檻の向こう側から、こちらを睨んでくるシリルによく似たその男に、モニカは冷ややかな目を向けた。

「……シリル様の真似、やめてください」

 男は確かにシリルによく似ていた。特に顔はよく似せているから、大抵の人間は騙されるだろう──だが、モニカは間違い探しが得意なのだ。

 帳簿のミスを一瞬で見つけだしたように、モニカは一瞬で目の前の男のミスを見抜いていた。


 まず第一に、胴体に対する手足の比率が微妙に違う。モニカは人間の体を数字で覚える癖があるから、身近な人間の手足の長さやその比率は記憶しているのだ。目の前の男は服や靴で上手く誤魔化しているようだが、モニカの目は騙せない。


 第二に、本物のシリル・アシュリーは魔力吸収体質故、魔導具のブローチで魔力を常に体外に放出している。先ほど舞踏会の会場で会った時のシリルからは、確かにその魔力を感じたのだが、目の前の男からはそれを感じないのだ。よく似たデザインのブローチを身につけてはいるが、あれは魔導具ではない。


 そして、第三に……。


「……人間の耳って、一人一人、形が違うんです」

 モニカの言葉に、男はハッと己の耳に手を添える。

 チェス大会の時は、モニカは本物のユージン・ピットマンを知らなかったので、変装を見抜くことができなかった。だが、それが知り合いなら──モニカは絶対に見間違えたりはしない。

「その顔……肉体操作魔術で上手に再現してますね。でも、耳の形までは変えていない………………雑な仕事ですね」

 チェスの駒を動かして敵を追い詰める時のように淡々と告げれば、男の頬がひくりと引きつった。


「ふ、ふふ……」


 目の前の男の唇がゆっくりと持ち上がり、三日月のような笑みを刻む。その唇から溢れる笑い声は、蜂蜜を煮詰めて焦がしたように、甘ったるい声だった。

「雑な仕事ですって? 知人の耳の形まで覚えてるアナタが普通じゃないのよ。気持ち悪いわ……流石、七賢人様」

 モニカの肩がピクリと震えるのを見て、男は更に笑みを深くし、舌舐めずりをする。

「ふふっ、半信半疑だったんだけど、正解だったみたいね……正直、今でも信じられないのよ。まさか、七賢人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットが、こ〜んな小娘だったなんて!」

 やはり、男はモニカの正体を見抜いているのだ。

 この世界で、無詠唱魔術を使える人間はただ一人しかいない。もはや、隠し通す必要もあるまいと、モニカは口を開く。

「……その顔で喋るの、やめてほしい、です」

「やぁよぉ。だって、割と気に入ってるんですもの。綺麗な顔よねぇ……羨ましいわぁ」

 そう言って男はうっとりとした顔で溜息を吐き、シリルに似せた顔をするりと撫でる。

 それが、モニカにはやけに不快で仕方がなかった。何故だろう、胸がムカムカする。

「……大人しく、捕まってください」

「ふふっ……お・こ・と・わ・り」

 男は雷の檻に囲まれたまま、右手の袖を素早く振るう。その袖口から飛び出してきたのは、数十匹にも及ぶ、小さな蜘蛛だ。

 蜘蛛は雷の檻の隙間を擦り抜け、モニカの顔や首筋に貼りつく。シリルによく似た男の顔が、邪悪に歪む。



 * * *



 シリルに化けた男──ユアンは、勝利を確信して笑った。

 袖口に仕込んでいた蜘蛛でモニカの意識を引きつけると同時に、扉が開いて相方のハイディが飛び込んでくる。

 ハイディには、セレンディア学園の制服を着せて、廊下で待機させていたのだ。そして、ハイディは既に廊下で攻撃魔術の詠唱を終えている。


 戦闘はチェスと同じだ。手数が決まっている。


 一部の例外もあるが、魔術師が同時に維持できる魔術は二つまで。

 騎士が右手と左手にそれぞれ剣と盾を持って戦うように、魔術師も攻撃魔術と防御魔術を同時展開して戦うのがセオリーだ。

 そして今、〈沈黙の魔女〉はユアンを閉じ込める雷の檻の維持に「一手」を使っている。

 そこにユアンは、魔力で操った蜘蛛をけしかけた。この蜘蛛の対策に〈沈黙の魔女〉は一手を使うだろう。

 これで二つの魔術を維持しなくてはならなくなった〈沈黙の魔女〉は、ハイディの攻撃を防ぐ手段が無くなり、無防備で攻撃を喰らう。

 無詠唱魔術が使える天才魔女だろうが、魔力を二つ使わせた状態で不意をつけば、討ち取るのは決して難しくはないのだ。


「──貫け、氷槍」


 ハイディが放った氷の槍が〈沈黙の魔女〉を狙う。

 だが、〈沈黙の魔女〉は……ユアンが放った蜘蛛に、見向きもしなかった。意識を奪われることすらなかった。

 大抵の人間は、数十匹の蜘蛛を投げつけられ、蜘蛛が皮膚の上を這いずり回れば、嫌悪感や不快感を覚えるものだ。こんな小娘なら、涙目になってパニックになってもおかしくはない。

 しかし、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、ユアンが投げつけた蜘蛛を一瞥し、毒が無いと判断すると──蜘蛛を振り払うでもなく、悲鳴をあげるでもなく、無表情にハイディを見た。

 そして、ユアンを拘束する雷の檻を維持したまま、ハイディの放った氷の槍を炎の魔術で相殺する。その顔に、首筋に、無数の蜘蛛をまとわりつかせたままで。

 ハイディが咄嗟に隠し持っていたナイフを抜いて、〈沈黙の魔女〉に襲いかかる──が、ハイディがナイフを取り出した時にはもう既に、〈沈黙の魔女〉は次の魔術を繰り出していた。


「ハイディ! 足元っ」


 気づいたユアンが声をかけるが、間に合わない。

 〈沈黙の魔女〉は、ハイディの足元に雷の網を仕掛けていたのだ。ユアンを閉じ込める雷の檻の一部を引き延ばすようにして、さながら蜘蛛の巣のように。

 気づくのに遅れたハイディは足元に仕掛けられた雷の網に触れてしまい、全身を痙攣させて床に崩れ落ちる。

「……ぅ、ぐぅっ、ぁぅ…………ユ、アン……申し訳、あり、ま、せ……」

 〈沈黙の魔女〉はハイディが取り落としたナイフを拾い上げると、ユアンとハイディを無表情に見つめていた。

 蜘蛛の巣状に広がる雷の網の中心に立ち、その肌に蜘蛛を纏わせた姿は、まるで蜘蛛の化身だ。

 幼く素朴な顔は、ゾッとするほど無表情にユアンとハイディを見つめている。

 それは蜘蛛が糸に絡んだ蝶を捕捉し、無慈悲に食い殺すさまに似ていた。

 〈沈黙の魔女〉が無表情に指を一振りすれば、蜘蛛の巣のようだった雷の網は再び形状を変え、ハイディを囲む檻と化す。

 この魔女は、ユアンを閉じ込めたまま、更にハイディをも拘束したのだ。

 チェス大会で対戦相手を完封した時のように。無表情に、無感動に、そして無慈悲に、圧倒的な力の差を見せつけて。



 * * *



 モニカは己の肌を這う蜘蛛が、パタパタと力を失って地に落ちていくのを、無言で見つめた。

 この蜘蛛は最初からただの死骸だ。ユアンと呼ばれていたあの男は、蜘蛛の死骸に魔力を込めて、一時的に操っていた。

 モニカは見ていないが、フェリクスの肩についていた蜘蛛もこれである。普通の蜘蛛なら、窓に向かって投げた程度で死んだりはしない。あの蜘蛛は窓に叩きつけられて死んだのではなく、魔力の供給が絶たれて、死骸に戻ったのだ。

 何にせよ、毒のない蜘蛛を操ったところで、できるのは目眩し程度。だから、モニカは蜘蛛を払うのに魔力を使わなかった。蜘蛛が陽動だと分かっていたからだ。

 モニカはまだ肌に貼りついたままの蜘蛛の死骸を、静かに払い落とす。

「……わたし、蜘蛛は怖くないんです」

 モニカにとって、一番恐ろしいのはいつだって人間だ。

 そこに悪意が伴わずとも、正義という言葉に扇動された大衆が悪意なく人を踏みにじり、殺すことをモニカは知っている。


 父を奪った人間が恐ろしくて仕方がないモニカ・レインがこう囁く──恐ろしい人間など、いなくなってしまえばいいと。


 セレンディア学園で守りたい人達ができたモニカ・ノートンがこう囁く──もう何も奪われたくないと。


 そして〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、一つの結論を出す。


「わたしは、蜘蛛よりも、竜よりも、人間が一番怖い……です。だから、きっと、傷つけるよりも酷いことが、できてしまう」

「それって、脅しのつもりかしらぁ? アナタが考える『傷つけるよりも酷いこと』って? 拷問でもするつもり?」

 ユアンと呼ばれていた刺客が、シリルの顔でモニカをせせら笑う。

 お前のような小娘に、拷問ができるのかと。

 そんな彼の前で、モニカは一つの魔術式を口にしてみせた。魔力を込めた詠唱ではないので、術が発動することはない。だが、その魔術式を耳にしたユアンとハイディの顔色はみるみるうちに青ざめる。

 モニカが口にしたのは、このリディル王国では使用が禁止されている、精神関与魔術──人間を支配し、言いなりにする魔術だ。これをかければ、相手に目的を洗いざらい白状させることもできる。

 ユアンが引きつった声で呻いた。

「……ねぇ、ちょっと。それって、この国では禁術よねぇ?」

「七賢人のみが閲覧可能の禁書の中に、精神関与魔術に関するものもありました。理論さえ分かれば、再現は難しくありません」

 ユアンが抵抗するのなら、禁術の使用も辞さない。廃人にされたくなければ服従せよ、というモニカの脅しに、ユアンは白い喉を仰け反らせて笑った。

「ふふ、あはっ……ただの小娘かと思いきや……なかなかどうして、イカれてるじゃなぁい。チェスの駒を摘むみたいに、人の命も心も無慈悲に摘み取れる。それがアナタの素顔ってわけね、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット?」

 シリルの顔をした男が、モニカの残酷さを突きつける。

 この男の言うことは、きっと正しい。


 人間が数字の塊に見えるモニカは、これっぽっちも心を痛めず、人を傷つけることができるのだ。


 ……できて、しまうのだ。

 どんなにラナのような優しい人を真似てみたところで、モニカはラナみたいにはなれない。

(……それでも)

 心ない魔女と言われようと、それで大事な人が守れるなら、悪意の芽を摘むのに容赦する必要がどこにあるだろう。

「……これが、最後通告です……貴方の目的を、全て話してください」

「ねぇ、〈沈黙の魔女〉さん。本物のシリル・アシュリーは今、どうしてると思う?」

 モニカがシリルを最後に見たのは、舞踏会会場。それ以降、モニカはシリルの姿を見ていない。

 モニカの肩がピクリと震えるのを、ユアンは見逃さなかった。

「今、この状況をアタシの仲間が監視しているわ。アタシに何かあったら……アタシの仲間が、この顔の持ち主を、殺す」

 ユアンはシリルを模した顔に、とびきり意地の悪い笑みを浮かべる。

「この檻……解除してくれるわよね?」

「…………っ」

 数秒の葛藤の末、モニカが雷の檻を解除する。

 ユアンは無防備なモニカを床に押し倒し、馬乗りになってモニカの手首を押さえつけた。


「誰かのために残酷になれる人間ほど、その誰かに足をすくわれるものよねぇ、皮肉だと思わなぁい?」


 たとえ身動きが取れずとも、モニカにはこの男を殺すだけの力がある。

 だが、モニカがこの男に危害を加えれば、シリルが死ぬ。

 拘束されたモニカの口元に、起き上がったハイディが薬を染み込ませたハンカチをあてがった。

「んぐっ……んぅー……っ……!?」

 きつい刺激臭は意識を奪う薬の類か。咄嗟に息を止めたものの、少し吸い込んだだけで強い目眩がした。

 まずい。意識が混濁したら、まともに魔術が使えなくなる。

 モニカが息を止めて抵抗していると、ユアンはシリルを模した美しい顔に嗜虐的な笑みを浮かべた。

 そうして彼は身を乗り出して、必死で息を止めているモニカの首筋に舌を這わせる。

「ひぅっ……!?」

 悲鳴をあげたモニカは、その拍子に薬を強く吸い込んでしまった。頭の奥が痺れ、ぐにゃりと視界が歪む。

 正確な計算ができない。頭の中を駆け巡る美しい数式が、魔術式が、歪んで崩れていく。

「ぁ……ぁっ……ぁあ……」

 声にならない声を漏らし、弛緩した手足を痙攣させるモニカに、ユアンが舌舐めずりをしながら告げる。


「アタシは、傷つけるより酷いことのプロよ? さぁ、お望み通り、酷いことを始めましょう」


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