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サイレント・ウィッチ  作者: 依空 まつり
第9章「学園祭編」
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【9ー10】彼は毎年、招待状を送り続けていた

 エリオット、ベンジャミンと別れたモニカは人の少ないところまで移動すると、誰にも見られていないのを確認して、木を見上げた。

「ネロ……いる?」

「おう、いるぜ」

 ネロは木の上から降りてくると、モニカの肩に飛び乗った。小鳥に化けているリンと違い、猫のネロに乗られるとそれなりに重いのだが、小声で会話をするためには仕方がない。

「あのね、ネロの魔力感知で、シリル様を探せる?」

 シリル・アシュリーは魔力吸収体質だ。それ故に、常に体内の余分な魔力を排出するブローチを身につけている。つまり、彼の周囲だけ魔力濃度が少し濃いのだ。

 魔力を感知することに長けたネロなら、それを察知できるのではないかとモニカは期待していたのだが、ネロは難しい顔で尻尾をユラユラさせた。

「ん〜、魔術を使っているわけじゃないなら、ちょいと難しいな。オレ様、弱い魔力は感知できねーもん。ある程度近づけば分かるけど」

「シリル様を一緒に探してもらってもいい?」

「おう、いいぜ。あのヒンヤリ兄ちゃんに、何か用事か?」

 相変わらず人の名前を覚える気のないネロに苦笑しつつ、モニカはネロを腕の中に抱き上げた。そろそろ肩が重くなっていたのだ。

「ハワード様がシリル様を探してたから、お手伝いできればと思って」

「お前も忙しいなぁ……おっ、反応ありだ。ちょっとだけどヒンヤリした魔力を感じたぜ。あのでかい建物の方だな」

「……ダンスホール?」

 セレンディア学園が誇るダンスホールは、校舎と渡り廊下で繋がっている。ちょうど、今モニカとネロがいる位置は、校舎とダンスホールの中間地点だ。だからこそ、ネロも感知できたのだろう。

 ダンスホールは式典やチェス大会でも使われた場所で、今夜の舞踏会の会場でもある。現在は夜の舞踏会の準備のために閉鎖しているはずだ。

 生徒会役員の人間なら、舞踏会の準備のために出入りしていてもおかしくはないのだが、舞踏会の準備は主にニールが担当の筈。何故シリルがこの時間に、ダンスホールにいるのだろう?

 モニカが首を捻っていると、ネロがテシテシとモニカの腕を叩いた。

「おい、モニカ。なんか怪しい女がいるぞ」

「……えっ?」

「あそこだ、あそこ」

 ネロが肉球で示した先では、一人の女がウロウロしていた。

 年齢は三十歳半ばぐらいだろうか。焦げ茶の髪の痩せた女で、身につけている物は質素な服とストール。

 ここが街中なら、女の格好は何もおかしくないのだが、貴族の子女が通うセレンディア学園の学祭会場にはあまりに不釣り合いだった。

 招待制のこの学祭にやってくるのは、大半が上流階級の人間か、その付き添いの使用人である。女の格好は貴族にも、その使用人にも見えない。

「なんかソワソワ、コソコソしてるし……あれだな! 人混みを歩いてるモニカが、あんな感じだ!」

「…………どうせわたしは、ソワソワ、コソコソしてますよー、だ」

 だが、ネロの言うことは実に的をいていた。

 人と目を合わさぬよう俯いて、端の方を歩き、大勢の人がいるところでは怖気付いたように物陰に移動する。特に声の大きい集団がいると反射的に隠れてしまうので、いつまで経っても目的地に辿り着けない。

 その姿は、人混みを歩くモニカにそっくりだ。

「どう見ても不審者だろ。もしかしたら、暗殺者かもしれないぜ」

 ネロはそう言うが、モニカには女が暗殺者には見えなかった。もし、あの女が刺客の類なら、もっと目立たない格好をする筈だ。地味すぎる女の格好は、この場では逆に浮いている。

 俯いている女の横顔は眉を下げた暗い表情で、途方に暮れているようにも見えた。そういうところも、人混みの中のモニカにそっくりだ。

 もしかしたら、あの女性は何か困っているのではないだろうか。

「わ、わたし……声、かけて、みるっ」

 人見知りのモニカにとって、初対面の人間に声をかけることは非常に勇気のいることである。

 だが、どうしてもモニカはその女を放っておけなかったのだ。

 ネロはモニカを見上げ、ニンマリと機嫌よく笑った。

「成長したじゃねーか。おぅ、行ってこい、行ってこい」

 そう言ってネロはモニカの腕から飛び降りると、近くの木に飛び乗った。ネロの助けは借りず、一人で行けということなのだろう。

 モニカはキュッと拳を握りしめて、足を踏み出す。

 モニカは人の多いところが苦手だ。今だって人混みが怖い。知らない人が怖い。

 それでもモニカは、ラナのように人混みの中で誰かの手を引いてあげられる……そんな人間に、ちょっとだけでも近づきたいと思ったのだ。

(大丈夫、今日のわたしには、シリル様のおまもりが、ついてる)

 シリル・アシュリーなら、来賓客で困っている人間がいたら、きっと声をかけるはずだ。

(わ、わたしだって、生徒会役員、なんだから)

 モニカは女に近づくと、勇気を振り絞って声をかけた。


「あ、あのっ……な、なにか、お困りでひょうかっ」


 噛んだ。

 シリル・アシュリーの堂々さとは程遠い現実にモニカが落ち込んでいると、女は戸惑うようにモニカを見た。

 地味で素朴な顔立ちの、どこにでもいそうな女性だ。言ってしまえばモニカとよく似たタイプである。

 特徴と言えば、口元に黒子があることぐらいか。

 女はためらうように一度睫毛を伏せ、小声でモニカに訊ねた。

「……シリル……シリル・アシュリーは、どこにいますか?」

 予想外の名前にモニカはキョトンと目を丸くした。彼女はシリルの知り合いなのだろうか?

「えっと、シリル様は、大ホールに……」

「……大ホール?」

「あ、案内しまふっ!」

 また噛んだ。



 * * *



 モニカの隣を俯き気味に歩くその女は、たまにチラチラと周囲を見ては、また気まずそうに視線を足元に落とす。

 モニカは何か話しかけた方が良いのだろうかと悩みつつ、口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じた。

(うぅっ、き、気まずい……)

 こういう時、どんな話をしたら良いのか分からない。


 ラナならどんな話をするのだろう? そのストール素敵ですね、どこそこ産の物ですか? と身につけている物から話題に入るのだろうか。

 フェリクスならきっと、学祭は楽しんでいただけましたか? もう、芝居は観られましたか? といった具合に、相手の反応を見つつ幅広い話題を提供するのだろう。

 グレンなら……「うちの肉を食べていって欲しいっス!」といったところか。


 こういう時、自分の知り合いならどうするかを想像してみたものの、どれも真似できる気がしない。

 結局何も話題を提供できないまま、モニカが指をもじもじと捏ねていると、女はモニカをチラリと見て、ポソポソと小声で言った。

「……貴女も、この学園の生徒さんなのかしら」

「は、はいっ、そうですっ、生徒ですっ!」

 制服を見れば、モニカが生徒なのは一目瞭然だ。それでもきっと、自分が痩せっぽっちのチビだから、生徒には見えなかったのだろうとモニカは考えた。

 そんなモニカに、女は目を伏せて小声で「ごめんなさい」と謝る。

「……失礼なことを訊いてしまったわね。制服を見れば分かることなのに……。貴女があまり……その、ここの生徒っぽくないように、見えたから」

 確かに、貴族の子らが通うセレンディア学園で、見るからに庶民のモニカは異質の存在だ。例え同じ制服を着ていても、立ち振る舞いを見ていれば、そういうのは自然と分かるものである。

 ちなみにモニカは、魔法伯という伯爵位相当の爵位を持っているのだが、本人はそのことを割とよく忘れている。

「……貴女は、シリルを知っているのかしら?」

「は、はいっ、いつもお世話になってます!」

 モニカが勢いよく頷くと、女はどこか困惑したように視線を彷徨わせた。そして最後は、薄茶の目を陰らせて足元を見る。

「……シリルは……貴女みたいな大人しい子に……居丈高に振る舞ったりしているのではなくて?」

「い、いえ……」

 シリルが居丈高な態度を取るのは、大人しいモニカにだけではない。フェリクスを除くほぼ全員、誰に対しても平等にあんな感じである。

 モニカはしばし、返す言葉に悩んだ。

 確かにシリルは高慢で高飛車で、プライドが服を着て歩いているのではないかというような人物である。

 初対面の時は、いきなり手枷をつけられて珍獣扱いだし、怒鳴られてばかりだったし、怖くて仕方がなかった。

 それでも、今はそれだけではないことをモニカは知っている。

「シリル様は、優しい、です。お仕事、いつもすごくすごく丁寧に、教えてくれます。わたしが倒れた時は、お仕事全部代わってくれて……あ、あと、美味しいチョコレートをこっそりくれました」

 女はハッと目を見開き、驚いたようにモニカを見る。

 モニカはちょっとだけ胸を張って、胸に飾った白バラの花飾りに指先で触れた。

「このお花も、シリル様がくれたんです。わたしが今日、恥ずかしい思いをしないようにって、おまじないを、してくれて」

「シリルが…………そう……」

 女の顔が一瞬、泣きそうに歪んだ。そしてゆるゆると首を振り、足を止める。

 シリルのいる大ホールは、もう目と鼻の先だ。だが女は足を止め、それ以上進もうとはしなかった。

「あの、シリル様は、この大ホールに、います……よ?」

「いいえ、やっぱり……まだ、あの子には会えないわ」

 そう言って首を横に振る女は、どこか穏やかで、安心したような顔をしていた。

「せっかく案内してくれたのに、ごめんなさいね」

「い、いえ……」

 女は大ホールに背を向け、歩きだす。そして、途中で足を止めてモニカを見た。

「私に声をかけてくれてありがとう。優しいお嬢さん」

「いえ、あの、あまりお役に立てなくて、すみません……」

 モニカが恥ずかしそうに視線を彷徨わせると、女は淡く微笑んだ。


「貴女の話が聞けて良かった。あの子が……貴女みたいな子にも優しくできるなら……」


 最後は独り言のように呟き、そして再び女は歩きだす。

 もう、彼女が大ホールを振り返ることはなかった。


 * * *



 モニカが大ホールの扉を少しだけ開けて中を覗いてみると、シリルとニールが忙しそうに、使用人達に指示を出していた。

 食事や飲み物の最終確認、食器の数の確認、楽団の待機位置や椅子の配置、その他諸々、舞踏会ギリギリまでに確認すべきことは幾らでもある。

 あんまり忙しそうなので声をかけて良いものかどうか迷っていると、ニールがモニカに気づき、声をかけてくれた。

「あっ、ノートン嬢。どうされたんですか?」

「あ、あ、あのっ、えっと、シリル様に……用が、あって……」

 モニカがもじもじしながら答えると、ニールはすぐにシリルを呼んでくれた。シリルはリストを確認する手を止めて、モニカの方に早足で近づいてくる。

「ノートン会計か。校舎の方で、何かトラブルでもあったのか?」

「い、いえ、そうではないんですけど、ハワード様がシリル様を探してて……舞踏会前に確認したいことがあるから、声をかけてほしいと仰ってました。あの、ハワード様は校舎の一階にいらっしゃるそうなので……」

「確認事項? ……あぁ、楽団の方で何か変更があったのかもしれんな。分かった、ここの確認が終わったらすぐに行く」

 シリルは本当に忙しそうだった。あまりモニカの話に付き合わせるのも気が引ける。

 だが、あの女性のことはどうしても話した方が良い気がして、モニカはもじもじと指をこねながら口を開いた。

「それと、あの……さっき、招待客で、女性の方がいらっしゃって……シリル様を、探してた、みたいで」

「……私を?」

「ご、ごめんなさい。お名前聞きそびれちゃったんですけど……えっと、焦げ茶の髪で……あっ、そうだ、口元にホクロがありました」

 訝しげに眉をひそめていたシリルが短く息を飲み、ゆっくりと目を見開く。

「その女性は、今、どこに?」

「えっと、さっきまでご一緒してたんですけど、やっぱりまだ会えないからって、お帰りに……なられて……」

 モニカの言葉に、シリルの顔が一瞬歪んだ。

 まるで、泣き笑いのように。その顔をシリルは片手で覆う。

「……来てくださったのか」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな小さい呟きは、モニカに聞かせるためのものではない、独り言じみた呟きだ。

「シリル様?」

 モニカが戸惑いがちに見上げれば、シリルは深々と頭を下げた。

「私の大事な客人を案内してくれたこと、感謝する」


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