【2ー3】最大の難関(自己紹介)
かつてモニカが通っていたミネルヴァの制服は、ダークグリーンだったりネイビーだったりと暗い色の物が多かったが、セレンディア学園の制服は真逆だ。全体的に白を基調とした明るい色でまとめられ、金糸銀糸で華やかな装飾が施されている。
女子生徒の制服は足首まである上品なワンピース。特筆すべきは、男女共に手袋をすることが服装規定で定められていることだ。
ミネルヴァでも貴族の子らは手袋をしていたものだが、服装規定で定められているわけではなかった。
セレンディア学園は貴族のための学園だ。それ故に、社交界に相応しい身嗜みと立ち振る舞いが常に求められている。
……が、当然モニカはそれどころではなかった。正直、気絶しないで立って歩いているだけ奇跡に近い。
慣れない白手袋の中の手は、既に冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
「こちら、編入生のモニカ・ノートン嬢です」
教壇の前に立たされ、クラスメイトに紹介をされているモニカは、審問台に立たされた罪人の気持ちだった。
クラスメイト達の視線は全てモニカ一人に集中している。あぁ、もし自分が新入生だったら、たった一人だけ注目を浴びるということもなかっただろうに。
「挨拶を」
教師に促されたモニカの喉はいよいよ痙攣しだした。人前に晒されるだけでも耐え難いのに、更に挨拶だなんて!
(何か、言わなきゃ……)
こういう時は、自分の名前に「よろしくお願いします」と一言添えて、お辞儀をするだけでいいのだとルイスに言われている。
だが、たったそれだけのことすら、モニカにとって途方もない試練だった。
モニカが黙って俯いていると、クラスメイト達の視線が微妙に変化する。挨拶が進まないことに対する苛立ち、見るからに緊張しているモニカに対する侮蔑、そういった視線がチクチクとモニカに突き刺さる。それがモニカは怖い。
挨拶をしようとモニカは口を開くが、結局口をパクパクさせるだけで、何も言えずに黙り込む。
「……もう結構。座りなさい。貴女の席は廊下側の一番後ろです」
老齢の男性教師は呆れたように息を吐いて、モニカに着席を促した。
モニカは返事をすることもできないまま、震える足で自分の席へ向かう。そんなモニカの覚束ない足取りを、クラスメイト達は冷ややかに見ている。
やがて授業が始まったが、教師の話はまったくモニカの頭には入ってこなかった。
* * *
「ねぇ、貴女」
休み時間になっても椅子に座ってじっとしていると、モニカのすぐそばで声がした。
もしかして自分に話しかけているのだろうか、でももし人違いだったらどうしよう、と顔を上げることもできずにいると、今度はトントンと肩を叩かれる。
「ねぇ、貴女に話しかけているのだけど。編入生さん」
モニカはビクッと肩を震わせ、オドオドと頭を持ち上げた。
モニカをじっと見下ろしているのは、亜麻色の髪の少女だ。色が白く、目が大きく、少し勝ち気そうな雰囲気がある。髪型は凝った編み込みが施され、耳元には金細工のイヤリングが揺れていた。
「わたしはラナ・コレット」
ラナと名乗った少女は、モニカのことを頭のてっぺんから靴の先までまじまじと眺めて、腰に手を当てる。
「ねぇ、どうして髪をおさげにしているの? そんな田舎娘みたいな髪型、この学校じゃ誰もしてないわ」
ラナの言う通り、モニカは薄茶の髪を二つに分けて緩く編んで垂らしている。
ルイスから貴族の令嬢らしい髪型を幾つか教えられたのだが、難解すぎてやり方が覚えられなかったのだ。
寮に侍女を連れ込んでいる令嬢達なら、侍女にセットしてもらうところだが、当然モニカには侍女なんていない。
「ほ、他の……やり方……分から、なくて……」
その一言で、モニカを見る周囲の目が「やっぱりな」と言いたげなものに変わる。
モニカは今の発言で、自分に侍女がいないことを露呈してしまった。寮に侍女を連れてきていない者は、よっぽどの貧乏人か、爵位を持たない末席の者のいずれかだ。
「貴女、育ちはどこ?」
ラナの問いにモニカは言葉を詰まらせた。モニカは生まれも育ちも王都から比較的近い町なのだが、今はケルベック伯爵家の関係者のふりをしなくてはいけない。
「……リ、リ、リェンナック、です」
伯爵領の町の一つを挙げると、ラナは「まぁ!」と大きな目を見開いた。
「国境沿いの大きな町ね! あそこは隣国の珍しい布が入ってくるでしょう? ねぇ、今リェンナックではどんな模様が流行っているの? ドレスの型は? スカーフはどんな物が?」
ラナの質問攻めに、いよいよモニカは困り果ててしまった。
そもそもモニカはリェンナックの人間ではないし、仮にそこに住んでいたとしても、流行の物なんて何一つ知らなかっただろう。
「わ、わた、わたし、そういうの、よ、よく、わから……なくて…………ごめんなさい」
モニカがモゴモゴと謝れば、ラナはムッとしたように唇を尖らせた。
「ねぇ、どうして貴女、お化粧をしてないの? せめて白粉と口紅と眉墨ぐらいはするものでしょう? ねぇ見て、この口紅の色。王都の化粧品店の最新作なのよ」
それからラナは、次々とモニカの服装にダメ出しをする。
やれ、手袋は縁に刺繍のある物が可愛いのだとか、アクセサリーの一つも付けていないなんて正気じゃないとか、靴のデザインが古すぎるとか。
モニカは震える声で「よく分からないです」「ごめんなさい」と言うことぐらいしかできない。だって、本当に彼女の言うことが何も分からないのだ。
ラナは髪型も凝っているし、美しい髪飾りを挿している。手袋はフリル付きで、襟元のリボン飾りは華やかな刺繍入りだ。モニカと同じ制服でも、まるで印象が違う。
モニカが困っていると、周囲の女子生徒達が扇子を口元に当てて、何やらヒソヒソと話し始めた。
「ねぇ、また成金男爵の令嬢が、田舎者相手に成金自慢してるわよ」
「他に誰にも相手にしてもらえないから、あんな田舎者に絡んでるんでしょ」
「お金で爵位を買ったからって、必死よねぇ」
いくら小声と言っても、モニカに聞こえるぐらいの声量なのだ。当然、ラナにも聞こえている。
ラナは細い眉をヒクヒクと震わせていたが、やがて亜麻色の髪をかきあげると、フンと鼻を鳴らした。
「もういいわ。こんなダサい田舎者と話してても、つまんないもの」
「…………ごめんなさい」
つまらないは、モニカにとって言われ慣れた言葉だ。
モニカは自分がつまらない存在であることを、嫌になるぐらい自覚している。
みんなと同じ話題で盛り上がれない、流行りの物が何一つ分からない。興味があるのは数字と魔術だけ。
自分が何かを言って相手を嫌な気持ちにさせるぐらいなら、その場にいない存在として扱われた方がまだマシだ。
だからモニカは俯いて、誰とも目を合わせないように、じっとしていることしかできない。
今もそうして俯き石のように固まっていると、ラナは突然手を伸ばし、モニカの三つ編みをむんずと掴んだ。
モニカがヒィッと恐怖に息を呑むと、ラナは鋭い声で「じっとしてなさいよ」と言う。
そうして彼女は、モニカのおさげを何やら器用にまとめて、ピンで固定した。この場に鏡は無いので、自分の頭はどんなことになっているのかまるで分からない。
だが、ラナは「これでいいわ」と満足そうに頷いた。
「ほら、これぐらい簡単なんだから! できるようになりなさいよ!」
そう言ってラナはズカズカと大股で自分の席に戻っていった。
モニカはおっかなびっくり自分の頭に指先で触れる。
触れた部分はピンで固定され、柔らかな手触りのリボンが揺れていた。




