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第3話

 長い腕を弦につがえた矢のように引き、手長の拳が打ち下ろし気味に繰り出された。

 その一撃は易々と岩を砕くほどの破壊力を秘めている。


「ぬぅんっ!!」


 唸り声を絞り、孫八がそれを迎え撃った。

 研磨された丸太が、拳と激突する。

 鈍い音がして、衝撃を物語るようにビリビリと振動が大気が伝う。

 そこに生じる一瞬の停滞を狙って、杖に跨がった琴美が宙へ飛翔した。


「ハイル、西の風ゼフィルスよ!! 無意識の海を司る女神達よ、我に力を与えよ!!」


 呪文を読み終えると同時、渦を巻いたカマイタチが疾駆した。

 草木を切断し、小石や砂を飲んで兄弟鬼に迫る。

 しかし、下半身を担当する足長は巧みに動いて直撃を許さない。

 そして、傍らの木が旋風を受けて砕けるのを尻目に、お返しとばかり空中の魔女へ回し蹴りを見舞う。


 琴美の鼻先のすぐ近くを、高速で蹴りが通過していく。ただそれだけで張り手を喰らったような風圧が顔面を叩いた。


 バランスが崩れ、浮遊を保てなくなる。何とか直撃を避けて着地すると、今度はそれが即座に踵落としへと変じて襲いかかった。

 まるでブラジリアンキックだ。


「うわわわっ!!」


 無様に転がりながら、何とかこれも回避する。

 ズゴォンと爆発じみた音が伝播し、ほんの数秒前に立っていた位置の土へ深々と踵がめり込んでいた。

 まともに食らえば即死、運が良くとも重傷は免れない威力である。


「人間にしては、なかなかやるな。だが、時間の問題だ。男の方はデカいし肉も引き締まって、喰いでがありそうだぜ」


 手長が口元を笑みの形に歪めた。顔の下半分を、耳まで裂けた真っ赤な三日月が縁取る。

 鮫のようなギザ歯がびっしりと生え並んだその亀裂から、キキキと耳障りな哄笑が漏れた。


「兄者、俺は女がいいなぁ。見ろよ、あの白い肌、柔らかくて旨そうだ。それに、昔から坊主や祈祷師の肉が一番旨かったぜ」



 弟の足長も、琴美の全身に舐めるような視線を這わせて、同じように舌なめずりする。

 彼らにとって、食欲と性欲の境目は曖昧なようだ。



「くっ、こいつら……。冗談じゃないわ、まだ志郎にも数えるほどしか触らせてないのに」


 穢らわしい目で見られる嫌悪と羞恥で、琴美の顔が朱に染まった。


「嬢ちゃん、あまりそういうことは口に出さん方がいいぞ!!」


「分かってます。何故か軽く見られがちだけど、これでも慎みある女なんで」


 軽口を叩き合いながら杖と丸太を構え直し、再度攻撃を仕掛ける隙を伺う。


「くくく、どうした」


「来い、人間ども」


 一心同体とでもいわんばかり、兄弟鬼が息を合わせて、巨大な四肢を小刻みに揺すった。

 再び、滑るような足取りで、足長が仕掛けてくる。

 右がくれば左。左がくれば真上。

 次々と跳ね上がる蹴りが、二人を間断なく襲った。


 つま先や踵や足の甲が、超ロングリーチの鈍器となって飛んでくる。

 拳法の達人も顔負けの、変幻自在の蹴術だ。

 それを何とかかわしても、頭上から手長が腕を鞭のようにしならせ、拳や掌で殴り、叩き潰そうとしてくる。二段構えの連携である。


 攻防の激しさに、孫八と琴美は反撃のきっかけをなかなか見出だせない。





 志郎と残花も、やや敵に押され気味であった。


「チェストォォッ!!」


「チエエェイッ!!」



 示現流の気迫“猿叫”が木霊し、日本刀と大鉈が空を裂く。

 針女の髪が切断されて、束となって宙を舞った。

 しかし、それは瞬時にヒュドラのように元の長さへ伸び、新たな鉤針を生やして執拗に迫る。


「ちくしょう、キリがねえなこりゃ」


 頬に走った傷から流れる血を舐め、台詞のわりには楽しそうな口調で残花が笑った。


「って、ヘラヘラしてる場合かよ!!」


 疾風のような鉄鼠の一撃を刀で受け流しながら、彼女と背中合わせになった志郎が怒鳴る。

 地面すれすれ、棒が脛を払おうとしてくる。

 それを回避すると即座に先端が跳ね、眉間を狙う突きが来た。

 下段から刀身を摺り上げて軌道を反らす。今度は棒がプロペラのように回転し、横薙ぎの叩き込みへと変じた。

 単なる力任せの暴力ではない。年季が入った正統派の棒術だ。


「くっ」


 咄嗟に身を退いてかわし、反撃の一刀を叩き込もうとしたが、既に鉄鼠は彼の間合いから逃れている。

 まさしく鼠の素早さそのものである。



 針女と鉄鼠は、厄介なコンビネーションを発揮する敵であった。

 どれだけ切断されても再生し、縦横無尽に蠢く針女の髪の毛の包囲を突破する事は難しく、それに連携して鉄鼠も凄まじい速度で、ヒットアンドアウェーの的確な攻撃を加えてくる。


 志郎と残花は、未だかすり傷すら二体の妖怪に与えられていない。


「ほほほほほ……やはり若い人間の血は美味ね」


 針女が真っ赤な唇を妖艶に歪めて笑った。

 無傷とはいかず、二人は既に数ヶ所、針女の髪の毛による傷を受けている。

 そして、先端の鉤針が血肉を抉るたび、針女の髪や肌が艶を増し、白い頬に紅のような赤みが差す。

 血肉と共に、彼らの生気を髪の毛から吸っているのだ。


「小僧、これだけではないぞ。我が妖力、とくと見よ!!」


 自信ありげに鉄鼠が笑い、喉を反らして甲高い声で天に吠えた。

 すると、草むらの至るところで茶や灰の体毛が蠢き、黒い眼が光る。おびただしい数のネズミだ。

 八万匹以上のネズミを従え、比叡山の経典や仏像を食い荒らしたという伝説の通り、鉄鼠は多数のネズミを僕とする力を備えているのだ。


「全身を食い散らかしてやれ、ネズミども!!」


 号令を受け、小さき者達の軍勢が志郎と残花へ殺到した。


 武器で斬り裂こうが、手足で叩き落とそうが、踏み潰そうが、すぐにそれに倍する数のネズミが飛びかかる。

 次々と鋭い歯で噛み付かれ、二人の手足が瞬く間に流血で染まった。


「くそ、ネズミなら長谷川も操れるのにな……!!」


 服によじ登ってくるネズミを払いのけながら、志郎が舌打ちする。

 琴美の扱う術のひとつには、小動物を意のままに操るというものがある。

 司令塔である鉄鼠さえ倒せば、逆にこのネズミたちを味方につけて使役することも可能だ。

 それを耳にした残花が、ヒュウッと口笛を吹いた。


「なるほど、あの魔女さんそんなことも出来んのか……いいこと聞いたぜ」


「何か策があるのか?」


「まぁ見てなっ!!」


 残花がネズミを振り払いながら空中へ飛び、数本の投げナイフを投擲する。

 地面に刺さった瞬間、それらのひとつひとつが小爆発を起こした。火薬を仕込んだ特製の爆弾だ。

 大量の鼠が巻き込まれ、バラバラになった頭や手足や臓物を撒いて破裂する。

 志郎は思わず「うぇっ」と呻いて顔をしかめたが、残花は笑みを絶やさない。

 そして、黒ずくめの身体が、群れの中央にぽっかりと開いた殺戮の証である血の海へ降り立った。



「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!!」


 横へ五回、縦へ四回。

 手刀で格子を描くように九字を切ると、周囲に不可視の壁が生まれた。邪を寄せ付けない霊気の結界だ。


「ちょっと時間がかかる、それまで持ちこたえてくれな」


 敵の侵入を許さない強固な結界の内部で、次々と印を結びながら、小さく呪文を唱えていく。

 何をするかは分からないが、彼女の術が完成すれば、恐らく今の戦況を変えることは出来る。

 そう判断した志郎の行動は早い。


「チェエエエーーイ!!」


 再度、猿叫を迸らせ、跳んだ。

 足下を埋め尽くす鼠どもを飛び越え、彼らを操る鉄鼠へ一直線に襲いかかる。


「おうっ!?」


 予想だにしなかった反撃に、鉄鼠が怯んだ。

 脳天に叩き落とされる一刀を六角棒で防いだものの、微かに体勢を崩す。


「ふっ!!」


 攻撃の手を休めず、続いて胴払いを繰り出す。


 ギャッ!! と耳をつんざく獣の悲鳴が轟いた。

 鉄鼠が痛みに身をよじり、腹から赤黒い血を散らせて飛び退く。


 咄嗟に後方へ逃げられ、致命傷にはならなかったが、決して浅くはない刀傷が腹部へ刻まれていた。


 鉄鼠が傷つけられた事で、彼の支配下にあるネズミたちも統制がとれず、動きが乱れ、攻撃の波が停滞する。


「しゃあっ!!」


 好機とばかり、身を捻りながら数本の棒手裏剣を投擲した。

 狙いは針女だ。

 鋭利な凶器が、女の顔面めがけて弾丸のように飛ぶ。殆どは弾かれ、叩き墜とされてしまうものの、たった一本が髪の毛を掻い潜る。

 見事に左目に突き刺さった。


「キャアアァーー!!」


 美貌が恐ろしい形相に歪み、金切り声を迸らせて、痛みに震える。


「よくも、よくも……たかが人間のくせに、私の顔に傷を!!」


 細く白い指が手裏剣にかかり、力任せに潰れた眼球から引っこ抜く。

 顔の左半分を流血と憎悪に染めた針女の視線が、真正面から志郎を射貫いた。


「たかがで結構。そっちこそ人間舐めんじゃねえぞクソアマ」


 罵倒を返し、ゆるりと切っ先を正眼に構える。

 ふと、目配せした残花が、ちょうど最後の印を組んでいた。

 術式の完成だ。


「バン・ウン・タリク・キリク・アク、式招来・急々如律令!!」


 赤、青、緑、黄、茶、白、黒、紫、橙、桃、金、銀。

 コートの中に仕込んでいたのか、広げた両手から翼に五芒星を描いた、色とりどりの折り鶴が飛ぶ。


 それらは瞬く間に空中で膨張し、黒々とした羽毛と真っ赤な眼をもつ大烏へと変じた。


「いけ、式神!!」


 鋭い爪と嘴を備えた十二の烏が襲来する。


「くそ、この、寄るな!!」


 いかに妖力による支配を受けようとも、上空からの捕食者の攻撃には本能的に抗う術を持たず、ネズミたちが次々と式神の餌食となる。

 鉄鼠と針女も肩や頭部をしつこく責められ、隙だらけの棒立ちとなった。


「キヒヒヒ、貰ったぁッ!!」


 それを見逃さず、残花が鉄鼠へと疾走した。

 地を蹴るたび、踏み込みの凄まじさを物語るように土埃が激しく跳ね上がる。


「チェストオオオッ!!」


 そして袈裟斬りに、剣風を巻きつけた大鉈が鉄鼠めがけて雪崩れかかる。


 左肩口から右腰まで、肉と骨を粉砕する手応えがして、人間ネズミの胴が大きく断ち割れた。

 肉の割れ目からおびただしい鮮血が奔騰し、真紅の飛沫を全身に浴びた残花が、壮絶な顔で口の両端を吊り上げる。

 笑っているのだ。


「馬鹿な……!!」


 上段に棒を振りあげた姿勢のまま、鉄鼠は固まっていた。その身体から、びゅ、びゅ、と止むことなく鮮血の雨が降る。


「うっせえぇーー死んどけネズ公!!」


 ダメ押しとばかり、立て続けに斬撃を浴びせた。

 横薙ぎ、圧し切り、叩き潰す。たちまち全身へ彼岸花のように血花が咲く。

 完膚なきまでの滅多斬り。


「ぐげあぁっ!!」


 細切れの肉片を四散させ、臓腑をぶちまけた平安の大妖が、ついに地響きを立てて突っ伏した。


「む、無念……」


 血と泥にまみれた最期の呻きが地を這う。

 それを見届けた狩人が血みどろの鉈を天に掲げ、鬨の声を上げた。


「敵将、討ち取ったりぃーー!!」


 勝者の絶叫が轟く。

 これで、厄介なネズミを操る者はいない。


 志郎も、切っ先を真正面に留めて矢のように針女へと走った。

 四方八方から鉤針が襲いかかるが、それらをすべて紙一重で避け、断破する。

 鉤針の動きだけに気をとられず、全体で見れば、決して彼女の包囲は完璧ではない。所々に穴がある。

 鉄鼠の邪魔さえなければ、彼は一人の敵に集中できるのだ。


「いえええーーーっ!!」


 必殺の間合いに到達した。

 怪鳥の気迫を放ち、魂を込めて刃を突く。


 剣士として、命のやり取りに高揚を覚えるが、冷静さは失わない。

 狙いは心臓。下半身の捻りと腕の伸び、筋肉運動を一点に集約させる。


 ずしゅっ!!


「ぎゃああああーーーー!!」


 肉に刃物が食い込む異様な音と断末魔が連続し、驟雨のような血飛沫が噴出した。

 選んだ技は、右片手突き。

 槍のように遠間から伸びた鬼切丸の刀身が、肋骨を切断して針女の左乳房へ突き刺さっている。

 手裏剣で片眼を潰されたおかげで、左側の防御が甘くなっていたのも幸いした。


「お、おのれぇ……っ!!」


 穴の空いた胸を押さえ、針女がよろよろと後ずさる。

 破れた心臓から出血したのだろう。白い着物にじわりと赤色が滲み、口からは大量の鮮血が(あぶく)となって弾け、こぼれ落ちていく。



「おらぁっ!!」


 だが、まだ終わりではない。

 片手持ちに構えた刃を独楽のように水平に回転させる。

 真円を描くその一刀は、鹿島神道流“虎乱”。

 破邪顕正の鹿島剣法は見事に首の骨を切断し、銀髪をまつわりつかせた頭がスルリと地面に落ちた。


 首なしの胴体が、死の痙攣を伴ってぎくしゃく歩く。ほんの数歩でつまずいて前のめりに倒れ、あとは鏡のように滑らかな切断面から、激しく血が溢れた。

 その傍らには針女の首が、死の瞬間を切り取った怨嗟の表情のまま、道端の石のように無造作に転がっている。


「…………」


 切っ先を下段に鎮めたまま、志郎はじっと動かない。

 徐々に高揚は冷めて、胸に苦いものが到来した。

 生き血を啜る妖怪とはいえ、人間に近い姿をした女を斬ったのだ。どうしても良い気分にはならない。


 とはいえ、これで敵の半数は片付けた。





「長谷川、ネズミ使え!!」


 敵を片付けたパートナーの声が、手長・足長と対峙する魔女の耳へ届く。

 瞬時に、何をするべきか理解した。


「大地と地底とに絶対の支配を及ぼす地霊(ゲニウス・ロキ)よ。我が呼び掛けに応えよ!!

 万物の魂を自在に操る魔力もて、我は命じる。我が敵を打ち倒すため、汝の子らを差し向けるべし!!」


 杖を掲げ、凛とした声で命じると、ハーメルンの笛に操られたように、ネズミ達が手長と足長へ殺到した。

 鉄鼠の手下であったはずの小獣の群れが、大樹のように逞しい二人の手足を埋め尽くさんばかりに貼り付き、駆け登る。

 まるで飴玉に集る蟻の行列だ。


 ネズミたちは鋭い歯を妖力の象徴たる手足に突き立て、鬼兄弟の全身の肉を喰い千切っていく。赤い液体が、四肢を伝って河のように流れ落ちた。


「よ、寄るなぁ!!」



 その痛みに手長と足長が慌てたように身をよじり、バランスを崩した。千載一遇のチャンスだ。


「ぐははは、よくやった嬢ちゃん!!」



 そして、孫八が呵々大笑し、自らの得物である御柱を投擲した。


「うごっ!!」


 手長が、血混じりの奇妙な呻きを吐いて後方へと吹っ飛ぶ。


 投げ槍のように真っ直ぐ飛んだ鈍器が、過たず弟鬼の肩に担がれた兄鬼の胸を直撃したのだ。


「あああああ、兄者ぁ~~ッ!!」


 ぐらりと傾いで、真っ逆さまに地表へ落下していく兄の姿に、足長が悲痛な声を上げた。


「おっと、よそ見はダメよ」


 すかさず、ドッペルゲンガーの術を使い、二人に分身した琴美が、浮遊術を駆使して足長へ攻撃する。

 右は杖、左は剣。

 各々異なる武器を振りかざして、正面から仕掛ける。


「おのれ、小娘!!」


 対する足長が獰猛に吠え、鋭い爪を生やした腕を振るう。


 ギャリッと、互いの武器と爪が噛み合い、火花が散った。力比べだ。


「む……うぅっ!」


 琴美が苦しげな声を漏らした。手長がいなくとも、足長の腕力は彼女を軽々と凌駕している。

 杖と剣をそれぞれ片手で受け止めるだけでなく、徐々に押し返そうとしてくる。



「なめるな、お前なぞが二人に増えても負けるものか!!」


「二人?」


 ふ、と魔女が嘲笑を返した。


 次の瞬間には、鬼の背中へ槍が突き刺さり、穂先が胸元までを貫通している。


「残念、三人でした」


「なんだ、ど……っ!?」


 最後の方はまともな言葉にならず、ゲボゲボという血混じりの不明瞭な音だけが溢れていく。

 眼から、鼻から、口から。顔面の穴という穴から血が噴き出す。


 足長の背後に、黒の魔女装束を纏った、もう一人の分身がいる。


 悪魔の尾を現す三叉槍(フォーク)を持った三人目のドッペルゲンガーが、足長を後方より串刺しにしたのだ。


「私の奥の手のひとつだよ。卑怯かもしれないけれど、私は弱いんだ。勝つためには、このくらいはさせて貰うからね」


 ぐぼっと粘る音を引いて、ドッペルゲンガーが槍を引き抜いた。

 そして、三人が同時に呪文を唱える。


「手を縛る、歯を縛る、骨を縛る、舌を縛る、口を縛る、蛇の皮で縛る。

いつも不幸があるように!!」


 一人めが紀元前のメソポタミアを発祥とする、敵を捕縛して苦しめるという“蛇皮の呪い”を唱える。

 足長の全身に真っ黒な鱗模様のミミズ腫れが浮かび、鋼鉄のワイヤーを巻き付けられたように肉と骨が軋んだ。


「バーラ・フリー、バーラ・フリー、ローキー、ローキー、バーラ・フリー、バーラ・フリー!!」


 二人めが北欧神話の悪神ロキの名を込めた呪文を唱え、虚空に生じた炎を足長へ叩きつける。


「ハイル、西の風ゼフィルスよ!! 無意識の海を司る女神達よ、我に力を与えよ!!」


 そして、最後の三人めが特大の暴風を巻き起こした。


 透明な蛇に動きを封じられた鬼が炎に焼かれ、それを煽る風に切り刻まれる。


「ギャアアアアアアアアアアアアア!!」


 山野を揺るがさんばかりに凄まじい絶叫が轟くが、炎を飲んだ竜巻も、それを上回る勢いで火柱を立てる。


 やがてその声が失せ、風と炎が収まると、塔のようにそびえる巨大な黒焦げの塊だけが残った。足長のなれの果てだ。


「なんとか、勝った……」


 分身を消し、地面に降りた琴美が疲弊した表情で安堵の息を吐く。

 実戦経験が不足している彼女は、常に全力を出しきる精神的・体力的にギリギリの勝利だ。それでも大妖の足長を倒せたのは大金星である。




「わっははは、これで残るは貴様だけだな。

 いざ、尋常に八卦良し!!」


「おのれ、おのれぇ……。鉄鼠に針女だけでなく、俺の弟までをも!!」


 たった一人残った手長が、孫八と対峙しながら憤怒と憎悪に歯ぎしりする。

 血の涙を流さんばかりに両目が爛々と輝き、ゴリラのような太い腕に逞しい筋肉の瘤が盛りあがった。


「何を言う、主である白波殿と『まぼろし』を裏切った貴様らが悪いのだ。

 我々を恨むのは筋違いというものであろう!!」


「やかましい、あの腰抜けは人を喰うな殺すな、人と共に生きよと下らん事をほざいて我らを抑圧したのだ!!

 妖怪の玩具であり食い物にすぎん人間に媚びを売る、あの河童こそ裏切り者よ!!」


 それを聞いて、孫八が喜悦の表情を作る。

 目の前の敵は、遠慮なく叩き潰し、殺戮の限りを尽くせる相手だと認識した。


 巨腕が唸り、拳が連続で繰り出される。

 孫八は巨体に似合わぬ素早さで乱打をかい潜るが、激しい攻撃に対し、ひたすら回避の姿勢を取った。

 虎視眈々と勝機をうかがっているのだ。


「ちょこまかと!!」


 ひときわ強く吠えて、手長が跳躍した。

 そして、両手を組んで高い位置から打ち下ろす。ハンマーパンチ。

 まさに鉄槌のような重量と殺傷力を持った一撃が、怒濤のように叩き落とされた。

 しかし、孫八は紙一重で横に身体をずらし、直撃を許さない。

 優れた武術家が有する、見切りの技術である。

 空振りしたハンマーパンチは地面に激突し、拳が土中へと深く没していた。大技は威力が大きいぶん、それを外すと致命的な隙が生まれる。


「おおぅっ!!」


 必殺の一撃を避けた狩人が、拳の残像が消え去る前に踏み込み、初めて仕掛けた。

 鼻っ面への張り手。ばぁん、と肉をはたく高い音が鳴いた。

 そして、鼻を潰す手応えをそのまま内包して、五指に力をこめる。顔面を捕まえた。


「ぐああ、離れろ、はなれろぉおおっ!!」


「ぬっふふふ、離すものか」


 手長も必死にもがき、押し返そうとするものの、恐ろしく太い指がこめかみに突き刺さり、食らい付いている。


 頭蓋骨が軋み、赤黒い血が太い指の間からトマトを握りつぶしたようにゴボゴボと溢れていく様は、さながら往年の名プロレスラー、フリッツ・フォン・エリックのアイアンクローがごとし。

 自らの得物である“権太御柱”を操る為に、彼がどれ程の握力を有しているか。この攻撃はそれを示しているのだ。


「どっせいっ!!」


 更に頭突きを一発ぶちかます。

 何かが壊れるような音がして、鬼が勢いよく吹っ飛ぶ。額の角が片方ボキリと折れて、鮮血が飛沫いた。


 ベットリと掌に付着した返り血で、孫八が顔面に鮮やかな隈取りを描く。


 相撲の起源は垂仁天皇の時代、大和国(やまとのくに)に住まう怪力自慢の暴れん坊・当麻蹴速(たいまのけはや)と、出雲国(いずものくに)において同じく剛力を知られた勇士・野見宿禰(のみのすくね)の戦いとされている。

『日本書紀』によると、戦いの末に勝者となった宿禰は蹴速の背骨をへし折り、彼を死ぬまで踏み続けたという。

 これによって宿禰は蹴速の土地と財産を得て朝廷に重用され、貴人の墳墓へ生き埋めにされる贄の代わりとして埴輪を考案するなど、多大な業績を残したのである。

 かつての相撲とは、互いの命と名誉の全てをかけた殺し合いであった。


 歌舞伎役者が隈取りを施して演じる役になりきるように、今の血化粧をした孫八にも、その神話の時代の力士の魂が憑依しているかのようだ。


「来い!!」


「……ッガアアアアア!!」



 不敵な笑みを浮かべて、孫八が手招きした。それに魅入られた狂走のように、手長が突進してくる。


 腰を低く沈め、孫八が迎え撃つ姿勢をとった。

 手長の腕が左右へ翼のように広がる。


「ふんっ!!」


 と、そこで手長が左手を振るった。掌から土と砂利が飛び、散弾となって孫八の顔面を打った。目潰しだ。


「あぁ、汚ねえ!!」


「大丈夫ですか、斎賀さん!!」


「いや、あんなの喰らう方がマヌケだぜ!!」


 戦いを見守る志郎、琴美、残花が各々異なる反応をする。


「死ねええぇーーーーっ!!」


 視界を遮られ、動きが止まった孫八の脳天めがけて、右手刀が唸りをあげた。

 絶体絶命のピンチと思われたが、彼は避けなかった。

 頭上で腕を交差させて、必殺の手刀を受けとめる。

 骨にヒビでも入ったのか、分厚い筋肉と脂肪に鎧われた腕に、朝顔のような青紫の内出血が浮かぶが、それでも笑っている。


 そして、


「ぬぅおおおおっ!!」


 懐へもぐり、手長の胴体へ手を廻し、渾身の力で締め上げる。鯖折りだ。


 肋骨の砕ける総毛立つ音がして、鬼が赤黒い血を吐いた。

 そこから姿勢を沈め、股下へ頭をくぐらせながら、膝を取る。


「トドメだぁっ!!」


 膝から相手を押し上げ、上体を反らしながら、後方へ投げ飛ばした。

 ブレーンバスターのようにも見えるが、相撲の決まり手のひとつ“居反り”である。


 孫八の怪力、自らの重量、落下速度の全てを乗せて、手長の頭が岩に脳天から叩き付けられた。

 呻き声すら上がらず、大の字を描いて仰臥した手長は、もはやピクリとも動かない。即死である。


「あんな目潰し程度でわしを仕留められると思うな、阿保め」


 取り組みを終えた力士のように、手刀を切って孫八が笑う。


 苦戦し手傷は負ったものの、結果的には死者ゼロ、敵全滅の圧勝だ。

 やはり、この四人は強い。



「さて、邪魔が入ったが、そんじゃ目的のもんを回収すっか」


「……そうだな」


 残花が鉈をかつぎ、校舎へと向かっていく。志郎も刀を鞘へ納め、それに同意して後を追った。


 殺戮の時間は去り、本来の目的を果たすべく、四人は錬金術師の研究施設である校舎へと入っていった。

本編との整合性は特に考えていないので、あくまでもパラレルやif展開と考えた方が良いかもしれません。

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