第2話
草木の生い茂った山中。
鉈を手にした黒ずくめの女と、丸太を担いだ大男と、刀を腰に差した少年と、魔女装束の少女という、珍妙な一団が歩いている。
魔女フォルキュアスの命を受け、四人は荒神山へとやって来た。
藪を漕ぐ先頭は残花だ。
大鉈・イワナガヒメで生い茂る雑草や蜘蛛の巣を切り払いながら、身軽に歩く。
「……なぁ、さっきから同じところをグルグル回ってないか?」
「あたしもそう思う。マシュー・ホプキンスの拷問を受けてる気分だわ」
地図とにらめっこしながら、志郎と琴美がやや険しい顔をした。そろそろ目的地に到着するはずだが、途中から地図に合わない道に迷い込んでいる。
体力的にはさほど問題ないが、終わりの見えない道を歩き回るのは、精神的に疲れる。
ちなみにマシュー・ホプキンスとは、元は腕の悪い法律家だったが、魔女狩りで貰える金に味をしめ、独り暮らしの老人や夫に先立たれた未亡人といった社会的弱者を魔女として大勢告発した事から『魔女狩り将軍』と呼ばれた、イングランドの悪名高い魔女告発業者である。
彼は突いても血が出ないバネ仕掛けの針など、魔女狩りにおける悪質なでっち上げの多くを開発した事で知られ、このマシューが考案した拷問のひとつに、昼夜を問わず歩き回らせるというものがあるのだが、それは特に話とは関係のない事である。
「うむ、わしもそう思うぞ。大丈夫か残花?」
「分かってるって、ちょっと確認してただけだよ」
ふと、残花が屈み、足元の石を次々とひっくり返した。
イヒヒ、と短く笑いを洩らす。
「やっぱりな」
そこには朱色の梵字が描かれている。それを鉈で削ると、周囲の景色が急激に変化した。
「おお、なんだ今の!?」
「呪禁道だ。道教の流れを組む呪術で、元は邪気の浸入や鳥獣の害を避ける為の術だが、ちょっといじればこんな風に人避けの結界にもなる」
ほぉ、と志郎が感嘆の声をもらした。
琴美も少し驚いている。
専門外とはいえ、術に関する知識は魔術師としての本能を刺激されるのだ。
「アタシは多少、陰陽道も扱えるんでな。この手の術なら得意分野さ」
「よし、目的地が見えたぞ!! あそこだ!!」
眼前に道が開け、孫八が指差す先に古びた木造建築が見える。
目的地の廃校に間違いなかった。
長年踏み入る者のいないはずのそこは、意外なほど綺麗だった。
校庭が少々山に浸食されてはいるが、花壇には魔術薬の調合に使う多様な薬草が花を咲かせ、清涼な空気で満たされている。
そこで一同、しばし休息をとり、簡単な食事を口にする事となった。
各々、手頃な石や木に腰掛け、持ち込んだ食料を口にする。
「……ねぇ皆、気付いてる?」
菓子パンをかじりつつ、琴美が静かに聞いた。
「気付いてるよ、むしろ気付かなかったらとんだアホだぜ」
カロリーメイトをペットボトルのお茶で流し込み、残花が笑う。
「て言うか、山に登り始めた時から尾行されてたぞ。俺は鼻が利くからあの手のはすぐ分かる」
口の中でチョコレートを溶かしながら、志郎も同意する。
「うむ、我々が呪禁道の結界を解くのを待っていたのだろう。妖怪はあの手の結界が苦手だろうからな」
デカいお握りをよく噛んで飲み込み、孫八が呑気な口調で言う。
「「「「じゃ、殺るか!!」」」」
律儀に全員それぞれ食事を片付け、得物を構える。
一斉に集中した視線の先に、どこからともなく人影が現れた。
こちらと同じく、相手も四人だ。
擦りきれた僧衣を纏い、手には六角棒を持つ僧侶。
黒髪を腰まで伸ばし、見事な卵形の小顔に妖艶な笑みを浮かべた着物の美女。
ブルージーンズにTシャツという、一見普通の服装をした二人組の男。
一人は両腕がゴリラのように発達しており、もう一人は両足が胴体に対して不自然なほど太く長い。
「よぉ、はじめまして。『まぼろし』の裏切り者ってのはお前らか」
鯉口を切り、抜刀の構えを取りながら、志郎が聞く。
「その通り。貴様らの首も、百鬼への手土産にしてくれる!!」
古風な口調で僧衣の男が怒声を上げると、その身が灰色の体毛に覆われ、鼻梁が細長く前に伸びた。
齧歯類の前歯が、口元で刃物のように光る。
二足歩行の巨大なネズミだ。
続いて、美女の黒髪が金属的な白銀に変色する。毛先に夥しい数の鋭い鉤針が出現し、そのひとつひとつがイソギンチャクの触手のように蠢いた。
巨腕の男が、丸太のような足を持つ男の肩へと股がった。
それを合図に、各々の腕と足が、何十倍もの長さへと伸びる。
髪の毛の生え際、額の左右から鋭い角が突き出した。鬼だ。
「鉄鼠に針女、そして手長・足長か。相手にとって不足無し!!」
戦闘を前に孫八が諸肌脱ぎとなり、豪快に笑った。
それに対して、琴美は少し硬い表情をする。
高僧・頼豪が政敵である延暦寺への怨念によって変じた妖怪、鉄鼠。
夜道で出会った男を鉤のついた髪の毛で捕らえ、連れ去るという、針女。
日本各地に多数の伝承を残す兄弟鬼、手長・足長。
いずれも古くから日本に棲み着き、人に害を成す事で知られる妖怪達だ。
こんな連中まで抱え込んでいるとは、想像以上に厄介である。
「死ねぇっ!!」
気合いの声と供に、手長が上空から腕を振り下ろした。
地面めがけて、超ロングリーチの拳が迫る。
地面に拳が叩き込まれ、衝撃と共に砂煙が舞う。ほんの一瞬、視界が阻害された。
「へぶっ!?」
その隙をついて、今度は足長の蹴りが来る。志郎が狙われた。
間を置かない連携攻撃に、少年がサッカーボールのように蹴り飛ばされる。
「ああああああぁ志郎ぅっ!!」
愛するパートナーが弧を描いて飛んでいく姿に、魔女が悲痛な絶叫をあげた。
「嬢ちゃん、焦るな!! 坊主は死んではおらん!!」
傍らに孫八が立ち、野球のグローブかバナナの房のようにデカい掌で肩を叩く。
その言葉通り、志郎は空中で身を捻り、新体操選手のように回転しながら、見事に着地した。
「……痛えなこの野郎!! 死んだらどうすんだ!!」
血混じりの唾を吐き、両眼に殺意を宿らせて吠える。
ふいに、その顔に差した陽光が遮られた。
空を多い尽くさんばかり、鉤針を備えた銀線が伸びて、一目散に殺到してくる。
針女の髪の毛だ。
「ぜえぃっ!!」
鋭く呼気を吐き、それらを刀で両断しながら回避する。
鉄を束ねたように硬いが、それでも斬ることは可能だ。
更に、鉄鼠が六角棒を振り上げて迫るが、それを残花が鉈を振るって退けた。
中心に鉄でも仕込んでいるのか、六角棒と鉈が激突し、互いに重苦しい響きを奏でる。
「兄ちゃん、その様子なら大丈夫だな。あの女とネズ公はあたしと二人で殺ろうぜ」
志郎の横に笑いながら残花が立ち、鉈をトンボに構えている。
正面にいる相手は、鉄鼠と針女だ。
少し離れた場所では、孫八と琴美が、手長・足長と睨み合っている。
本来の相棒と合流するよりは、この二人で戦う方が早い。
「急造コンビだが、タッグマッチといくぜぇ!!」
「おうっ!!」
「じゃあ私も、お願いします斎賀さん!!」
琴美が杖を構え、応えるように孫八が丸太を一振りした。
「うむ、任せろ!!」
妖怪達も、各々が不気味な笑みを浮かべて身構える。
血闘が開始された。