第1話
その日、志郎と琴美は唐突に本部へ呼び出された。
とにかく急ぎの用がある、ただそれだけの電話が首領から直々に入ったのだ。
「何だと思う?志郎」
「さぁ、でも重要なことではあるんだろうな」
「むぅ……あんたはそれでいいの?」
首領フォルキュアスは普段は本部の自室に籠る研究の虫だ。連絡等についても弟子である三幹部に任せている事が多い。
故に、恐らくは緊急事態である。
本部へ続く人気のない道を、二人して歩く。
琴美はやや不満げである。
今日は土曜日で、本来なら二人で遊びに出かけるはずだったのに。
デートを潰されたというのに、素知らぬ顔で隣を歩く鈍感な想い人に、魔女は怒りを募らせる。
「……おい、俺なんかしたか?」
「なんでもなーい!!」
そっぽを向いて、先を歩く。
何かは知らないが、はやく用事を済ませて埋め合わせたい。
しかし、その先へ待っているのは平和とは程遠い、血で血を洗う死闘の誘いである。
そして、本部についた二人を出迎えたのは、意外な顔だった。
首領の部屋の来客用ソファーに、男女二人組が座っている。
一人は浴衣姿の樽のように太い胴体に、これまた逞しい手足を生やした、筋肉の塊のような男だ。
その傍らには、黒ずくめのコートを纏った女が座っている。
先日知り合った顔だ。
「あんたら確か」
「灯上さんに、斎賀さん……?」
「いかにも!!また会ったな坊主。それに魔女の嬢ちゃん!!」
「イヒヒ、久しぶり~」
灯上残花。
斎賀孫八。
吸血鬼バンテイン・ピーン襲撃の際、二人を助けた同盟の狩人に間違いなかった。
「お、いい茶葉つかってんじゃねーの」
ホットパンツにタイツを履いた脚を組み、残花がテーブルに置かれた紅茶をすすり、菓子を貪る。あまり行儀はよくない。
「私が呼んだのだ。ちょっと手が足りなくてな」
黒檀の机に座って、分厚い魔術書を読みながら、小柄な魔女装束の少女が言う。
『ファウスト』の首領、魔女フォルキュアスだ。
見た目よりも歳を食っているが『ロリババア』『若作り』等の言葉は禁句である。
「早速だが、用件を伝える。『まぼろし』で内部抗争が起きた」
「『まぼろし』……どんな組織なんですか?」
琴美は知らない組織だ。
怪訝な顔で聞いてみる。
「ようは妖怪の寄り合いだが、まぁ人間でいうならヤクザもんだな。実際祭りの時にそこの連中はテキ屋とか出してる。
トップにいたのは白波という河童の親分だ。
多少ワンマンだが彼のお陰で『八百万』と懇意で、人間にも友好的な組織だったのだが、百鬼どもの干渉でそれが崩れた。白波は現在、クーデター派に監禁されている」
「なるほど、ようはそいつら全員ブッ殺せばいいわけだ」
「うむ、腕が鳴るな!!」
狩人二人は、はやくもいきり立っている。
それを気のないそぶりでフォルキュアスが抑えた。
「まぁまぁ、まだ話を聞け。
で、もう既に故人なのだが、その白波と生前友人だった高名な錬金術師がいてな。クーデター派が白波を拷問して、その錬金術師の研究所の場所を吐かせたようだ。
場所は県下北部、荒神山の中腹にある廃校だ。奴らはこの研究成果を手土産に、百鬼の傘下に入るつもりらしい」
荒神山は、かつて農民による一揆が起きた際に多くの死者を出した古戦場だ。
縁起の悪い土地なので地元住民はめったに近寄らないし、実際不気味な怪談話にも事欠かない。
逆を言えば人気はないし霊的磁場も強いという事なので、心霊や魔術の研究には良い環境だろう。
「この研究が奪われるのは色々と不味いのだ。現在、他のメンバーと同盟の狩人達が白波の救出に向かっている。お前たちは別動隊として、荒神山に向かって欲しい」
「つまり、俺達はその錬金術師の研究成果を守るのが仕事って事か……」
「もちろん、邪魔が入るのは確実だ。どうやら『まぼろし』の内部でも腕のたつ連中がクーデターに参加している。お前ら二人だけでは少し不安だから、こうして同盟からも助太刀を頼んだというわけさ。
どうせ生きてるだけムダな連中だ。迷わず殺せ」
わかっています、と返すものの、志郎は釈然としない顔をする。
共闘する以上は覚悟しなければならないが、殺しと血に酔うタイプの残花や孫八とは、あまり合わない。
「……おい志郎、いつからそんな甘ちゃんになった?
以前のお前はもっとギラギラしていたと思うが、女が出来て腑抜けたか?
一人にしとくと危なっかしい奴だから、私の秘蔵っ子をパートナーに選んでやったつもりだが、どうやら失敗だったか」
揺れる内心を見抜いたか、小馬鹿にした口調でフォルキュアスが言う。その視線が横へ流れ、若い魔女を見据えた。
「首領、それは……!!」
「黙っていろ、未熟者。惚れた男だからといって、お前もこいつをあまり甘やかすな」
思わず琴美が声を荒げるが、更に畳み掛ける。
悪意・敵意を以て相手を睨み付ける事で魔力を発揮する、邪視が妖しい黄金の光を帯びた。
「ハルマンや獅子吼とは、個人的に少し面識がある。少々気に喰わないのは確かだが、クズどもから奪うのは大いに賛成だ。
ファウストはそうやって拡大してきた組織だし、私の弟子である明久も依子もシュレックもそれで強くなった。逆にお前たちは少々お人好し過ぎる」
蛇に睨まれた蛙のように、全身が固くなって動けない。それでも視線を外す事はできず、フォルキュアスの冷淡な言葉が、正面から二人の心を揺さぶった。
「便宜上、自警団を名乗っているが、我々はあくまで研究機関だ。知識の探求こそが全てである。
市民を怪異や魔術の被害から守るのも、そこに利益があるからに過ぎない。
慈悲は確かに美徳であるが、それではいつか足下を掬われるぞ。所詮、非合法は非合法である事を胸に刻んでおけ」
悔しいが、言い返せない。
しかし、目を背けるわけにもいかなかった。
安い正義感や倫理観に逃げて、それを忘れてはならない。
自分達も殺人者には違いないのだ。
「わかりました……行きます」
ようやく志郎が、自由の利かない口で一言絞り出す。
満足したか、フォルキュアスの瞳から黄金の光が消え、束縛が解けた。
「よし、では頼むぞ。そこの二人もな。どうか、この甘い若造どもを助けてやってくれ」
「おう、任せておけ!!」
「キヒヒ、じゃあいくぜぇ!!」
残花と孫八が凄惨な笑みを浮かべて応えた。
これから四人を待ち受ける戦いの凄まじさを物語るように。