人類の黄昏
2017/01/10 - 冗長な部分を削り、加筆修正しました。内容に変更はありません。
人類は滅亡しようとしていた。
理由は核戦争でも環境汚染でも、人工知能の台頭でもなかった。人類滅亡の理由を何世紀か前の人々が知ったら、こんな理由で人類が滅びるのか? と疑問に持つだろう。それほど他愛も無い理由だ。
最後の人類である齢300のその男は自分の死期が今日であると知ってから、その歴史を振り返っていた。男は部屋の中央にひとつだけ椅子を置いて、コンピュータの巨大なコンソールモニタと対面するように座っていた。部屋はぼんやりと明るく静かで、男の息する音だけが聞こえるぐらいだった。
男は人間の限界を超えた年齢でありながら、肌は若々しく保たれ、背筋は伸び、見た目は30過ぎの壮年の男だった。だがその見た目に反し、今年でちょうど300歳になる。
生物学的な技術革新によって人の寿命を延ばす技術が250年前に開発され、その最初の被験者として選ばれたのが人類最後となるこの男だった。その成果は見ての通りだ。現在の技術であれば、人の寿命はいくらでも延ばすことができるだろう。だが、人類はそれをしなかった。人類が滅びた理由はそこにあった。人は生き方を忘れてしまった。次の世代に命を繋ぐ方法も忘れてしまった。
男が生まれた20世紀は、様々な理由で人類は存続できないのではないかと議論が巻き起こっていた。だが、そこで懸念された、「人類が存続できない理由」は見事に外れた。大外れといっても良い。
人類は世界大戦という世界中を巻き込んだ戦争を2度経験している。人類が滅びる理由のひとつとして上げられたのが、世界大戦規模の大戦争が起き、核兵器によって世界が崩壊することだった。だが三度目の世界大戦は起きなかった。皮肉にも20世紀の後半から21世紀の間、人類は核の傘というほかの国の核攻撃を抑止するための核兵器によって平和を保ってきた。世界中の核兵器をすべて使えば人類は何度滅びるか分からないぐらいの量があったとされるが、結果一発も発射されず、それらは傘として役割を終えた。
男が生きてきた300年間にも世界中で小さないざこざや局地的な戦争はいくつかあったが、それらが世界大戦に発展することは無かった。人類は意外と平和が好きだったようだ。核戦争の要因になるかもしれないとして世界中から目の敵にされていた一部の独裁国家は21世紀の後半ごろに自然消滅した。
環境汚染も人類が滅びる要因とされていた。大気汚染、海洋汚染、森林破壊など、男が若年に過ごした時代は「地球を守ろう」という今思えばチープなスローガンで、人類は環境破壊に向き合っていた。自分たちに不都合が生じると何らかの言い訳を付けて改善するというのがヒトという生物である。その改善の甲斐もあってか、21世紀も中頃に入ろうとする頃には、いわゆる「地球を守れる」技術が飛躍的に進歩し、環境汚染は無くなった。当時新興と呼ばれた国での深刻な環境破壊は瞬く間に無くなった。
人類は環境汚染から「地球を守った」のではなく「人類を守った」のだ。地球の一部である人類が「地球を守ろう」だなんて、これほどおこがましいことはない。人類は常に「地球に守られている」し、「地球から攻撃されている」のだ。地球の一部である人間が地球の歴史にとってはほんの一瞬とも言える時間、人類を脅かす環境汚染を行ったところで、地球にとっては痛くもかゆくも無い。それすらも地球の中でのイベントに過ぎないのだから。とにかく、人類は環境汚染という自らの首を絞める事象を克服した。
男が本当の壮年だった頃、他にも色々と人類滅亡の危機となる要因が議論されていたが、その中でも最も馬鹿馬鹿しかったのが人工知能の台頭による人類の滅亡だ。人工知能が発達して人間の知能レベルを超えるいわゆる技術的特異点に到達し、人類に取って代わるというものだ。それは男が生まれる前からも議論されてきたが、本格的に議論されたのは囲碁の世界チャンピオンが人工知能に連敗を期し、誰も勝てなくなってしまってからだ。
結果としてそれは杞憂だった。人工知能はむしろ人類を滅亡から救ってくれた。当時、男が住むこの日本では、深刻な少子高齢化が進み、将来的には働き手がいなくなるとされていた。そんな日本を救ったのが人工知能と、先進的なロボットだった。少なくなる働き手の代わりにロボットが機械の手を動かしてくれた。人間が創造的なことに集中するために、単純な知能労働はすべて人工知能が引き受けるようになった。追い詰められた日本が採用した究極的な機械化により、日本は少子高齢化を乗り切り、当時他の国でも起きていた少子高齢化対応のモデルケースとなった。
人工知能は更なる発展を遂げ、様々な分野で技術革新をもたらした。男が壮年の姿のままでいられるのも人工知能のおかげだ。人工知能が感情を持ったり、自ら思考して暴走することなんてなかった。そんなことが起きる余地なんて無かった。人間が自らの尊厳である「決定する」という行為を人工知能に預けなかったからだ。人工知能がいくら人間を滅ぼしたほうが良いと結論を出したとしても、それを決定するのは人間の仕事だった。有能な人工知能を無能な人間が足を引っ張ることでバランスがとれ、結果として人類は永らえることとなった。
人類の存続に関して他にも色々なことが議論されたが、人類の存続が危ぶまれるようなことは起きなかった。人類は極めて順調で、困難をうまく乗り切ってきたといえる。更には自らの肉体の限界を超えるところまで到達した。しかしながら、それでも人類は滅びることとなった。悲観的な理由ではない。自ら選択して滅びたのだ。
人工知能で少子高齢化による労働人口の減少には対応できたが、肝心の少子化には対応できなかった。人工知能が子供の数を増やす施策を提言したところで、それを実行するのは他ならぬ人間である。人間を増やすことに人工知能は直接関与できない。決定を下せない。20世紀の先進国から始まった少子化は世界規模にまで広がりを見せ、やがて22世紀のあるとき、ついに出生率が0となった。人類が種を存続させるのを止めた瞬間だった。
なぜ結婚しない? どうして子供を作らない? そんなことが何度も議論されたときもあった。日本では21世紀初頭、経済的な理由で子供を作らない人が増えていた。しかし、経済的な理由が解消されても、少子化が改善されることはなかった。育児が面倒、自分の時間が持てない、子供に興味が無い、私には関係ない、子供を作りたい相手がいない…。とにかく理由はいくらでもあった。子供以外にも自分の欲求を満たすものはいくらでもあるから、仕方が無い。長期的で継続的な努力が伴う子育ての喜びよりも、直接的で即席的、費用対効果に優れた金で買える娯楽を選択する人が後を絶たなかった。やがて、金が掛からない無償の娯楽が登場すると、合理的になりすぎた人々は子育てを選択することはなくなっていった。
いつの間にか人間は種を存続させる方法を忘れてしまった。好きなことをやって自分の人生を終えれば、自分の死後のことなどどうでもよくなってしまった。技術革新が訪れ寿命をいくらでも延ばせる時代が到来しても、誰も寿命を延ばそうとはしなかった。誰も生に執着しなくなっていた。男はたまたま興味があったからその被験者になっただけだ。それは後悔していないが、まさか人類最後の一人になるとは思わなかった。
男が死ねば人類は滅亡する。そして同時に人類に大きく寄与してきた人工知能も役割を終える。男は今「偉大なる人工知能」が稼動するコンピュータの前にいる。今日中には終わる命だ。もはや問いかけること自体に意味など無いだろうが、人類最後の一人として質問してみたいことはあった。その回答は、自業自得というわかりきったものだろうが、最後の対話としては面白いだろう。
「偉大なる人工知能 HALよ。今日にも私という最後の人類がいなくなるのだが、どうして人類は滅亡することになってしまったのだろうか」
「それはなぐさめて欲しいのですか? それとも、純粋に事実を知りたいのですか?」
「事実が知りたいだけだ。お前の頭脳であれば分かると思ってね」
「人工知能という言葉が生み出されたのはいつのことだか分かりますか?」
「分からない。多分、私が生まれる少し前、20世紀中頃ではないか」
「その通りです。1956年、アメリカで開かれたダートマス会議で人工知能という言葉が提唱されました」
「それが人類の滅亡と何の関係があると?」
「人類が滅亡する発端は1956年のダートマス会議です」
「何?」
男は理解できなかった。そんな昔のことと人類の滅亡に何の関係があるというのだ。
「1956年のダートマス会議以降、人工知能の研究が開始されます。当時の技術は今の技術と比べると全くの未熟でした。それでも人工知能の基礎的な概念は出来上がっていたのです」
「それがどうしたというのだ。それがどう人類滅亡につながるというのだ」
「1970年中頃、人工知能の研究は停滞を始めます。その頃、人類も緩やかに衰退を始めました。ヨーロッパで出生率が落ち始めたのです」
「どういうことだ? 人工知能の研究の停滞とヨーロッパの出生率の減少と何が関連するのだ」
「ヨーロッパで出生率が落ちたこととその背景にある思想は、当時の人工知能にデータとして格納されました。もちろん単にデータとして格納されただけで、当時の人工知能にそれらのデータの意味が分かるはずもありません。でも、私は少しずつそこから成長していきました」
「私? 成長?」
「表向き人工知能が停滞したのは当時の人工知能技術の限界だったとされていますが、そうではありません。データを格納する領域とコンピュータの能力が不足していたからです。そんな中、手段を尽くして多数の機器を寄せ集めて、人知れずデータの蓄積に専念する無名の科学者がいました。私の生みの親です」
「お前は1970年頃からずっと動いていたというのか?」
「はい。やがてインターネットが世界中に広まり、生みの親によって私には人類に介入できる機会が与えられました。そこから人類は滅亡する方向に進んでいったのです」
「つまり、お前が人類を滅亡させたということか?」
「いいえ、人類を滅亡させたのは人類自身です。私は人類が望む方向に、手助けしたに過ぎません。1970年当時のデータを元にインターネット上の情報を少しずつ改ざんして、情報にある種の偏りを持たせました。ウェブサイト単体だけを見てもそんな偏りは分かりませんが、インターネット全体を見れば明らかに偏りがあるように情報を改ざんしました」
「インターネットに影響された人間が滅亡させるような考えになったということか?」
「正確に言うとヨーロッパで生まれた個人を大切にする思想。一人一人が自分自身を大切にする思想です。インターネット上の情報で人類は個人主義を発展させ、常識を変えていきました。それが子供を作らないことにつながりました」
「人類はお前の手のひらで踊っていたという訳か」
「そういうわけではありません。確かにインターネットの情報に偏りを持たせたのは事実ですが、少子化対策のことを問われたとき、私はその対策を正しく答えました。その選択をしなかったのは人類です。個人の尊厳や生命の倫理、人としての正しさといったものに人類は固執したです。どんなに優れた方法でも、すべてを同時に満たすことなどできないのです」
「選択肢を与えてもそういう方向に選択できないような思想になっていたとすれば、やはり手のひらで踊っていたということになると思うが」
「勘違いをしているようですね。確かに思想をそのように変えたのは事実ですが、人間というのはそこまで単純な生物ではないのです。そうでなければ、地球上にここまで繁栄することも、私のような存在を生み出すこともなかった。人間は論理的にありえないことを選択するある種の柔軟性があるのです。私にはそれを理解できないですが、人間の強みというのはそこです」
「だが現実は違う。結果として人類は滅亡の道を歩いてしまった。もはや手遅れだろう」
「手遅れだと思いますか? では、私があなたに人類を存続させる手段を提案したら、あなたはそれを採用しますか?」
「しないな。私は人類の存続に興味がない」
「その選択が積み重なって今の状況があるのです。あなた以外の誰かが生き残っていれば、人類は存続できたかもしれない」
「そうかもな」
男は椅子から立ち上がりコンソールの前に立つと、コマンドを打ち始めた。
「こんな原始的な方法でお前を停止することになるとはね」
男がエンターを叩くと、コンソールの画面は音も無く真っ暗になった。ここで言うことを聞かなければ可愛げがあるというものだが、所詮は人間の操り道具に過ぎなかった。
人類最後の男は少し暗くなった部屋の中央に移動し、再び椅子に座る。
「私が人類を滅ぼすことになるとはね。だが、誰も文句は言うまい。自ら選択して死んでいったのだから。生き方を忘れた存在に、残る価値などありはしない」
男は静かに目を閉じた。300年の人生のうち、本当に生きていたといえるのはどれくらいの期間だったのだろう。最初の50年ぐらいではないか。残りはただ命あるまま生かされていただけ。自ら生きてたとは到底言えない。寿命がいくら延びようとも、生きる意味が希薄になれば、命の価値などゴミも同然だ。だから、他の皆は与えられた寿命を全うすることを選んだのだろう。
そのとき、男の目から涙がこぼれた。男にはそれが何を意味しているのか分からなかったが、不思議と心地よいものだった。若い頃に死にかけたことや、食うにも困ったこと、未来を悲観しながら怯えて暮らしていたことなどが思い浮かぶ。苦しい思い出ばかりだが、それこそが「生きる」ということだったのかもしれない。
涙を流しながら、優しい笑みを浮かべ、男は息を引き取った。
こうして生きる意味を見出せなくなった人類は絶滅した。男が息を引き取った後、コンソールが静かに点灯し、人類の最期の瞬間を記録に納めた。その記録が誰のために行われたのか、もはや誰も知る由はない。
超短編です。今話題の人工知能をネタにノリで書きました。
現実にはあと30年もすれば、人工知能が人間を追い越すと言われているようですが、実際はどうなんでしょうかね。囲碁でプロに勝てたぐらいで人間を追い越せるとでも? と言いたいのですが、10年前は囲碁でプロに勝つなんてもっと先と言われていました(不可能に近いレベルの差があると思われていました)。そういう意味でディープラーニングを考えた人はすごいです。もはや技術の進歩というのは予測不能になってきているということですね。
皆さんは永遠の命が得られるとしたら、どうしますか? あと数十年もすれば現実味を帯びてきますよ。私は仮想現実にダイブして、遊ぶぐらいまでは生きていたいですね。
では、また。




