秋空のcantabile【金木犀の季節に 二次創作】
ぞっ―――――――とするほどの美しい歌声が、金木犀の中、響いていた。
私は思わず足を止めて、その、丘の上を見上げる。
一瞬、あの人の背中に見えた。
「―――――っ…!」
そんなわけない、あの人は、もう……もう、いないんだ。
そういくら自分に言い聞かせても、もう、その背中はあの人の―――奏汰さんのそれにしか見えなくて。
「か、奏汰さん――――――ッ!」
背に背負ったヴァイオリンケースががたがたと悲鳴を上げるのにもかまわず、私は走りだしていた。
でもまあ、「そんなこと」はあるはずがなくて。
ばたばたと走ってきては立ち止まった途端、しゃがみこんで泣き出してしまった私にびっくりした「彼」は、
「え、何?」
ひどく困惑した顔で私を見た。
.。o○.。o○.。o○
その子は、私と同じ年くらいのようだった。
背は決して高くはないけれど、マッチ棒みたいな身体。ちょっとやせすぎともいえるかもしれない。そして――――
ヘッドフォン。
やけに大きなそれを彼は外そうともせず、ただおろおろと泣き続ける私の周りを歩き回っていた。
「え、えっと………落ち着いた?」
「………ごめんなさい、何とか」
「あ、それはよかった」
これ、どうぞ。そんな風に言って彼が差し出したハンカチにまた、泣きそうになった。いつだったか、奏汰さんもこうやってハンカチを差し出してくれた。もうそれがいつだったかも定かではないけれど――――
「………何か、あったの?」
彼の言葉に、我に返る。
薄紫の、優しい瞳がまっすぐに私だけを見ていた。
「………大好きな人が」
あれ、私何を言っているんだろう。
「いなく、なっちゃったの」
こんなこと、初めて言葉をかわす人に言うこと、ないのに。
「その人は、ちゃんと未来を見ててっ、」
どうして、言葉が止まんないよ――――――
「分かってるのにっ………泣いちゃだめって分かってるのに」
「耐えられないの………私はあの人と離れたくないのっ……………!!」
ああ―――――駄目だ。
言ってしまった。
どんな顔してるかな、「彼」。
震えたまま顔を覆って、目をふさいで。私は、恐くて顔が上げられない。
彼は、しばらく黙っていた。
しばらくして、彼は音も無く私の隣に、ひざを抱えるようにしてしゃがみこんだ。あたたかい、何かが背に触れる。それが掌だと気がついたのは、ゆっくりとそれが動いたからだった。
「 」
音が、聞こえて。
私は、ゆっくりと目を見開いた。
この、曲は―――――
「カヴァレリア・ルスティカーナ………オペラだよ。その中の、一曲」
そうだ、やっぱり……奏汰さんが、弾いていたあの曲だ。彼は、背を私の背を撫でつづけながら、ゆっくりと言葉をつないだ。
「………君に何があったのかは知らないし、僕に出来ることはきっとないんだけど。ごめんね、僕は、歌うことしかできない」
「音は、色だ」
「見えるんだよ―――君の涙がどれだけの苦しみで出来てるかくらいは。吐き出して。それじゃあいつまでも楽になれない」
優しい言葉だ。
心にすぅ、と沈み込んで、響き渡るような。
「…………ごめんなさい」
私がやっと放ったくぐもった声に、彼は首を振った。
「いいよ、別に。ここに来たのだって、もう少しで金木犀が散っちゃうから、見とこうかななんて、そんな軽い気持ちだったし」
「………でも」
「それは?」
彼が私が脇に置いたヴァイオリンケースを指さした。……無理矢理、話題を変えるらしい。
「ああ………これは、ヴァイオリン」
「習ってるの?」
「…………うん、まあ」
「聴かせてよ」
ゆっくりと顔を上げる。涙とか鼻水とかですごい事になってると思うけど、不思議と気にならなかった。彼の優しい瞳は、やっぱり私をまっすぐに見つめていた。
「…………私が、ヴァイオリンを弾くの?」
「? 他に誰が弾くの」
…………ですよね。
彼は肩をすくめて笑った。
「ほら、ね?」
その笑顔が、あまりにまぶしかったから。
だからだよ―――――
そう、心の中で呟いて、私はゆっくりとヴァイオリンのケースを、開いた。
一度だけ、ふぅ、と息を整えて、私はヴァイオリンをかまえる。
背に這い上ってくるこの感覚。この感覚が、私は好きだ。|ヴァイオリン(この子)と身体を一緒にして―――――歌うんだ。
奏でるのは、タイスの瞑想曲。
修学旅行明けのコンクールで、弾く予定の曲。泣いたせいで腕が強張って動かない………だけど、金木犀の残香の中で弾くのはどこか、気持ちよく感じた。
彼は薄紫の瞳を閉じて、私の演奏をじっと聞いていた。弾き終わると、彼は目を開いて、ゆるい息を吐き出した。
「…………ちょっとそれ、貸してくれるかな」
手を伸ばす。その手にヴァイオリンを託すと、彼はじ、っとそのヴァイオリンを見つめて、G弦に触れた。
「…………この弦、音、ずれてる」
「えっ、嘘」
「嘘じゃない。これどうやって音調整するの? 音程高くしたい」
「えっ、と………ここ、回して………」
「ここ?」
「そう」
無造作に、彼はこちょこちょと手を動かした。そして、はい、と手渡されたそれを受け取った私は―――目を丸くした。
「これ、どうやってあわせたの?」
「なんとなく」
あたりまえのように彼は言う。「弾いてみてよ、どう?」
試しにヴァイオリンをかまえる。
怖すぎるほどに、ぴったりだった。
もう一度、目を見開いた私に、彼は目を細めて、うなずいた。
「僕のお母さんはね、オペラで歌ってたんだ」
歌って『いた』?
私の不思議そうな顔には答えず、彼はどこかを見たまま続けた。
「だからかな―――分かるんだよ。音、全部。お父さんにちょっと教えてもらっただけでこんなに。……と言っても僕自身は特別な事をしてる気はないからあれなんだけどさ」
「………そうなんだ」
彼は頷いて、
「落ち着いた?」
と首を傾げた。鮮やかな瞳に、一瞬吸い込まれそうに感じた。
私がうん、と頷くと、彼は満足そうに笑って立ち上がった。腕に巻かれた時計をみて、あ、と顔をしかめる。
「………やばい、お父さんに怒られる」
ぱたぱたと歩き出したその背中に必死に声をかける。
「あ、待って――――」
「私はかなで……藤井花奏。あなたの、名前は」
振り返った彼は、私を不思議そうな顔をして、次に肩をすくめて笑った。
「秘密。…………その代わり、いい事、教えてあげるよ」
私は、その控え目な笑顔に、また目を丸くする。そして彼は言った――――――
「金木犀の花ことばは、『謙虚』『陶酔』そして、『初恋』」
.。o○.。o○.。o○
『君の初恋に、金木犀を』
end....
九谷先生、コラボさせてくれてありがとう!!
遅筆&駄文でごめんなさい!
『金木犀の季節に』めちゃくちゃ綺麗で洗練された文章が魅力の先生最新作です。ぜひ読んでみてください(ジャンル別15位のすごい作品でもありますよ!!)