‡心臓を失った魔女の行く末‡
魔女のもとで多くを学んできたユリア。この世界の成り立ちも、どうして自分が選ばれることになったのかも、彼女は知っていた。重なり合う多くのことに、ユリアは何も文句を言ってこなかった。ただ、気になることはある。噂の“7番目の魔女であるはずだった魔女”。自分には無理だと言って、ユリアにすべてを押しつけて逃げてしまった彼女のことを、気にしたことがないと言えば嘘になる。ただ、彼女はもう表舞台には立てないようになったのだと聞いた。
そんな彼女に会いたいと思ったことはない。会ったところで、何にもならない。そう、何も変わることはない。憎しみだけをぶつけてしまうと、わかっていたからなのかもしれない。
だから、彼女が目の前に現れたとき、どう反応したらいいのかわからなかった。
「………ごめんなさい。どうしても、貴方に会いたくて。」
泣きそうな顔で、一人の女性がユリアを見つめていた。あぁ、どうしてこんな時に限って、ハナもカボスもいないのだろうか。
「とりあえず、中に入りますか?」
お互いに戸惑いながら、二人はユリアの家に入った。
ユリアの家は、聖界と魔界を繋ぐ森の奥深くに造った。森に聳える大樹と一体化したような、薄気味悪い家だ。まさに、魔女の家と言って良いだろう。そこでユリアはD.O.L.L.のハナと、ドラゴンのカボスと、三人で暮らしていた。
「どうぞ。庭で育ててるハーブで入れたハーブティです。」
「あ、ありがとうございます。」
出されたハーブティを口にして、深呼吸をする。
「あの、初めまして。私はクォーリュ=マンドラ。7番目の魔女だった、貴方に全てを押しつけてしまった、最低な魔女です。」
涙を溜めてクォーリュはユリアを見つめる。
「…………どうして、私のところに来たの?」
ユリアは尋ねる。
「謝りたくて……」
「何に? どうして?」
「っ、」
ユリアの言葉一つ一つに、どこか棘を感じた。それは、ユリア自身もわかっている。わかっているが自分で自分をコントロールできなくている。
「私が逃げ出した所為で、何の関係もない貴方に迷惑をかけた。ただの人間だったはずの貴方が、みんなの知恵と術を受け継ぐことになった。私なんかより、ずっと、ずっと責任の重いことをさせてしまって……」
あぁ、なんて浅はかなのだろう。
「ごめんなさいっ」
憎まれる対象であるとわかっていながら、ただ謝るだけに来るなんて。
「………それで、貴方は何かしてくれるの?」
「!」
低い声が、静まりかえった家に響く。
「私から家族も友だちも奪って、今までの生活を奪って、勝手に召喚して、魔女にして、責任も重くて、苦しくて、寂しくて、辛くて……、私に全てを押しつけたくせに、謝って許されるとでも思ってるの?」
心の奥底に終っているはずの、醜い感情が湧き上がるようだった。クォーリュのことを、興味本意でノアに聞いたことがあった。彼女たちは特別仲がよかったと聞いていたからだ。
そこで知った、クォーリュのこと。7番目として選ばれた彼女は力不足で、努力だけでは補えない壁に直面していた。任を降りることは、魔女としての誇りを捨てたことになる。もう二度とサドにも出ることは許されないし、他の者の前で魔女と名乗ることも出来ない。人の目を避けて生きなくてはならなくなる。きっとそれは、7番目であることよりも辛い人生だ。
けれど彼女は、計画を確実に成功させるために、自ら任を降りたのだ。
「殺したいくらい憎いってわかってるのに、何で私の前に現れたの!?」
あの時、クォーリュを庇うような言い方のノアに憤りを感じた。だから、この感情を心の奥底にしまったのだ。彼女は悪くないと、そう思えない自分が嫌で仕方なかったから。
「……………私も、ずっと考えていたんです。」
俯いてクォーリュは呟く。
「ただ謝るだけじゃ許されない罪を、私は犯しました。その所為で苦しむことになった貴方に、どうしたら許してもらえるのか………、いいえ、許さなくていいんです。私を憎んでくださっていいんです。罰を与えられることで許されるなら、どんな罰でも受ける気でいました。この生命だって。けれどそれでは、あなた自身は何も救われない。」
罰を与えることで罪が軽くなることを、クォーリュは望まなかった。それはユリアのためでもあり、自分のためでもあった。これは許されてはいけないことなのだと、背負って生きていかなくてはならないものだと、彼女は悟っていたのだ。
「だから、これをあなたに……」
「え?」
そう言って、クォーリュは胸元からあるものを取り出した。
「!」
その手の上にあったのは、赤黒い光のような、気体のような、煙のような、ゆらゆらと揺らめく球体だった。
「そんな、だって……、こんなことしたら!!」
ユリアは声をあげた。それが何か、彼女にはわかったのだ。わからないわけがない。それは、魔女なら誰でも知っているものなのだから。
「私のこの生命、あなたになら喜んで差し上げます。」
クォーリュの瞳は本気だった。迷いも恐れもない、とても綺麗な瞳だった。
「6人の魔女の知恵と術を得たあなたは、至高の魔女となった。そんなあなただから、これを持っているべきだと思ったんです。いつ、どんなとき、必要になるかわからないから。」
「……………」
クォーリュの言葉と共にそれを受け取ると、ユリアはそれを見つめた。そして、呟く。
「“魔女の心臓”」
「はい。」
魔女の心臓。それが、クォーリュがユリアに渡したものだ。もちろん、その魔女が誰を示すのかは言うまでもない。
「あなたの心臓を、本当に私が持っていていいの?」
「あなたの好きに使ってください。自分のためでも、誰かのためでも、世界のためでもいいんです。私の心臓があなたの糧になるなら……」
そう、それはクォーリュ自身の心臓なのである。
「心臓を無くした魔女の行方を、知っていて?」
「もちろんです。」
魔女の心臓が、至高の一品であることは誰もが知る事実だ。けれど、魔女はこの世界においても貴重な存在であり、魔女たちは仲間意識が強い。誰かの心臓を奪い取ろうなど誰もしなかった。また、誰かに差し出すこともしなかった。その代償はあまりにも大きいから。
心臓を無くした魔女がどうなるのか、それは魔女のみが知る。
「………………」
ユリアはクォーリュの心臓を魔法瓶にしまった。そして、大事に抱きしめる。
「ありがとう。」
ほんの少し頬を赤くしてユリアが礼を述べると、クォーリュは驚いたように目を丸くした。こんな風にユリアが喜んでくれるとは思っていなかったからだ。快く迎え入れられることはないとわかっていたため、クォーリュはユリアの笑った顔を見れるはずないと思っていた。
「しまってくるから、ゆっくり飲んでいて。夕食、食べていくでしょ。」
それが善意であれ悪意であれ、ユリアからの誘いをクォーリュが断れるはずがない。もちろん、最初から彼女に断るつもりなど欠片もなかった。
「ありがとうございます。」
クォーリュも、笑って答えた。怯えた顔よりも、悲しそうな顔よりも、罪悪感に打ち付けられた顔よりも、なにより、彼女には笑顔が似合っていた。
魔法瓶を片付けてきたユリアはさっそく夕食を作り始める。お客として座っているのも申し訳なくて、クォーリュは手伝いを申し出た。二人で並ぶには少し狭い台所で、二人は仲良くおしゃべりをしながら夕食を作った。ユリアとクォーリュ、そして出かけている二人の分もである。
ちょうど夕食が出来上がり、食卓に並べている途中に家の扉が開いた。幼い赤毛と青毛が帰ってきた。
「どういうことよ、ユリア!」
クォーリュの姿を見て、ハナの顔色が変わる。彼女に対して隠しようもない殺意を向け、ユリアを叱りつけた。ユリアは「まぁまぁ」といいながら説明する。彼女がわざわざ私に謝罪をしに来てくれたこと、話してみると結構息が合うこと、自分はもう彼女を憎んでいないこと、夕食を一緒に作ったこと。
「あ~、もう!! なんであんたはそういつもお人好しなのよ!!」
頭を抱えてハナは叫ぶ。思わずクォーリュは一歩退いたが、ハナを宥めながらユリアは笑って大丈夫だと言う。
「ハナは優しいけど怒りんぼなの、気を悪くしないでね。」
「………そうみたい、ですね。」
ハナはいろんな文句をユリアに言っているが、どれもユリアを想っての言葉だった。先ほどの殺気も、クォーリュがユリアを害する存在と認識してのことだったのだろう。
「おねえちゃん、大丈夫?」
カボスが心配そうにユリアの服の裾を引っ張り尋ねた。
「大丈夫だよ。クォーリュはアロウたちと同じ、私の大切な友だちだよ。」
その言葉に安心したのだろう。カボスはクォーリュを見て、軽く頭を下げた。
ハナを落ち着けてから、4人は食卓についた。ユリアの郷土料理とクォーリュの得意料理が並んでいる。最初は気まずい雰囲気が流れていたが、次第に空気はゆるんでいった。
その日、ユリアの計らいによりクォーリュは一泊していくことになった。ハナに反対されるのでは、と申し出を断ろうとしたが、ハナももうクォーリュを邪魔な存在ではなくユリアの友人として迎え入れていた。クォーリュが答えを出すより先にユリアの部屋に布団を敷いていた。
「私、本当はどんなことをしてもユリアに許されないと思ってた。」
布団に寝転がりながら、隣にいるユリアに語りかける。
「罪を犯したのにあなたから罰を受けないなんて卑怯で、後悔していて懺悔を聞いて欲しいなんて傲慢で、それならユリアに会わないのが一番だと思っていた。」
ユリアも言っていった。どうして自分の前に現れたのかと。そう言われることは百も承知だったはずだ。
「でも、憎しみからはなにも生まれない。優しいユリアなら、私を憎むことで余計自分を責めると思った。だから、会いに来たの。」
「殺されるかもしれなかったのに?」
その言葉にクォーリュは黙った。そして数秒ほどの間を開けてから答える。
「ユリアに私の存在を知っていて欲しかった。私だけはユリアを忘れずにいることを知っていて欲しかった。それが、いずれユリアの支えになればいいと思ったから。」
どれだけの想いがそこに詰まっているのだろうか。きっと目の前の気持ちだけではない。これから先のことを見据えた上での言葉だった。
「………私、クォーリュのこと好きだよ。」
「え?」
目を丸くしたクォーリュがユリアに目を向けると、彼女は優しく微笑んでから天井を見上げた。
「正直、憎んだこともあった。どこに怒りをぶつけたらいいのかわからなかったし。でも、あなたは誰よりも、自分よりも、私のことを大切に想ってくれている。それが嬉しかったから、私はあなたを憎むのを止めたの。」
“ねぇ、心臓を無くした魔女はどうなるの?”
「あなたが心臓をくれたからじゃない。その気持ちが、嬉しかったの。」
“バカね、そんなこと誰も知らないわ。”
「大丈夫、ここにずっとあるから。私がこの世にいる限り、あなたの心臓はあなたの心臓のまま、ちゃんとここにあるから。だから、いつでも返してあげるから。」
“だって心臓を失った魔女は――――――……”
「――――――っ、」
クォーリュは嗚咽を漏らした。溢れる涙が止まらない。どうして、なんで、こんなにもこの人は優しいのだろう。全てを知っているはずなのに。それを使えば、何でも出来るのに。どうすることだって出来るのに。優しい人だ。この人を苦しめる自分が、何よりも憎い。
「クォーリュがどれだけ自分のことを嫌っても、私は好きだよ。ありがとう。」
あぁ、どうしよう。これまでも自分のことが嫌いだったのに、今まで以上に自分のことが嫌いになった。憎くて、殺したくて、苦しい。
――――――罪と罰を。
その日を境に、クォーリュの姿を見た者は誰もいない。誰に聞いても、彼女の行方はわからなかった。どれだけ探しても、彼女の手がかりなんてどこにもなかった。まるで、最初からいなかったかのようだった。
――――――後悔と懺悔を。
心臓を失った魔女の行く末を知る者はいない。
“ ひ と り ぼ っ ち に な っ て し ま う か ら ”