‡至高の魔女の誕生‡
ユリアが精霊界に召喚されて長い年月が過ぎた。7番目の魔女のことは誰もが知る存在になっていたし、聖王や魔王も7番目の魔女の存在を十分認めていた。彼女の成長は逐一報告されていたからだ。
6人の魔女の知恵と術を学んだユリアは、残る最後の一人のもとで学んでいた。それは1番目の魔女、アネモネである。
「これ、真面目に勉強せんか!」
「しーてーまーすー」
ソファに寝ころんで本を読むユリアの返事に、アネモネはため息をついた。
「お主は既に6人の知恵と術を得ているのじゃろ。滞りなく過ごしていたはずなのに、何故わしの術はこうも下手なんじゃ。」
ここに来て、アネモネの得意とする占いや記憶を操る術をユリアは学んだ。しかし、理論としてわかっても何故か上手くいかなかった。理解はしているはずなのに、上手く術が使えないのだ。アネモネの占い、記憶を辿り未来を導き出すものであるため、記憶に触れることが出来なければ意味がない。
「いや、私もちゃんと考えたんですよ。」
本を閉じ、身体を起こしたユリアはアネモネに語る。
「私の記憶って、アネモネに操作されたじゃないですか。それの後遺症じゃないかって。」
「わしの術にケチをつけるのか?」
「そうじゃなくて、一種のトラウマってやつ?記憶の術を身につければ、自分にかけられた術も解くことが出来る。そしたら忘れていたことを思い出して、今まで積み上げてきたものが崩れるんじゃないかって。」
淡々と言っているが、ユリア自身ずっと考えていたことだ。忘れている人間界での生活や家族のことを思い出したとき、自分の心が壊れてしまう可能性があると、客観的に判断した。
「たしかにそれはあるだろう。じゃが、それを乗り越えなければお主の修業は終わらぬぞ。」
「それは、私に思い出せってこと?」
すべてが終わるまで、人間界での記憶は邪魔なだけだ。だから封印したのだと、かつてアネモネは言っていた。迷いが出ないように。
しかし、今のアネモネの言葉からは、まるで思い出す必要があるようだった。
「わしの術を手に入れられぬ原因がそこにあるのなら、その必要もあるということじゃ。」
どうやら、そんな手を使ってでも術を身につける必要があるらしい。そのためには手段を選ばないというのだろうか。
「………わかった。」
立ち上がり、本を傍の机に置いたユリアは一言残して扉に向かう。
「どこへ行く気じゃ?」
「他人の記憶を覗く前に、まずは自分の記憶に触れられるようになる必要があると思うんで。」
そう言ってユリアは部屋を後にした。
「まったく、あの子は………」
そんなユリアを見てアネモネはまたため息をついた。
外に出たユリアは箒に跨り、空高く飛び立った。薄暗い雲を突き抜けると、青空が広がった。ここまで高く飛べるようになったのはサフィのお陰だ。箒の使い方は彼女が一番上手かった。
そして、向かったのは精霊王の住まう神殿だった。実際にはかなりの距離があるが、箒を使って行けばさほど時間も掛からなかった。
「お久しぶりです、精霊王。」
「おぉ、ユリア。しばらく見ない間にもまた胸が大きくなったんじゃないか?」
「なってません。」
ユリアの目の前で、手で揉む動作をしているのが精霊王だ。威厳高く、この精霊界の王様と言われる彼は、ユリアにしてみればただのエロジジィだ。初めてあった当初こそ、彼を恐れていたが、何度か会うにつれて、それはただの外面だと知った。それは、聖王や魔王にも言えることである。彼らにも個性というものがあった。
「で、修業の方は順調か?」
精霊王に尋ねられると、ユリアは曖昧に笑って見せた。
「そのことでちょっと相談に来たんですよ。」
ユリアの申し出を聞き、精霊王は驚いた顔をした。そして、それは他の魔女に相談して来たことなのかを尋ねる。しかし、ユリアは首を振った。これは自分で考え、独断で来たのだと。
精霊王はしばらく悩んだ。ユリアの申し出は、はっきり言って危険なことである。この世界に案しても、ユリア自身に関してもだ。
「いいだろう。わしが許可する。」
だが、それが7番目の答えなら、と精霊王は決断を下した。
「ありがとうございます!」
礼を述べ、ユリアは頭を下げた。そして、目的の場所へと向かう。
ユリアが来たのはユリアが召喚された場所だった。もう、幾年前のことである。
六芒星の跡が地面に残っており、ユリアはその中心に立った。
(召喚されたこの場所から、私の記憶を辿ればいい。)
目を瞑る。
「ファースト……」
一つ目の星に、緑青色の光が灯る。
「セカンド……」
二つ目の星に、紫の光が灯る。
「サード……」
三つ目の星に、金色の光が灯る。
「フォース……」
四つ目の星に、水色の光が灯る。
「フィフス……」
五つ目の星に、黄緑色の光が灯る。
「シックスス……」
六つ目の星に、桃色の光が灯る。
それぞれの星に、各魔女のマナを構成した。それらは互いを結び、光が六芒星を描いた。
「セブンス。」
瞼を開けユリアが呟くと、魔法陣全体も光を帯び、地面から風が吹き上がる。
「人間界と精霊界を繋ぐ扉よ。我が記憶を辿り、呼び起こせ。」
光が周囲を飲み込む。
『おぎゃー、おぎゃー!!』
白い世界で、赤ん坊の泣き声が聞こえる。
『産まれましたよ、元気な女の子です!』
幸せに包まれ、愛に包まれ、この世界に誕生した。
『百合亜、私の可愛い百合亜。産まれてきてくれてありがとう。』
優しいあの人はお母さん。
『これから家族3人で、もっと幸せになろうな。』
優しいあの人はお父さん。
『ねぇ聞いて。百合亜はね、お姉ちゃんになるのよ。』
お母さんの中に、新しい生命が宿った。
『おねえちゃん、まってよぉ』
いつだって後ろをついてきたのは、血の繋がった弟。
『お父さんなんて大ッ嫌い!!』
思春期で父親に酷い対応をしたこともあった。
『お母さんに私の気持ちなんて、わかるわけないじゃない。』
母親の愛情を振りほどいて、夜の街を駆けぬいた。
『百合亜ってどこか変わってるよね。でも私は、そんな百合亜が好きだよ。』
ずっと傍にいてくれた友だち。
『姉ちゃん、迎えに来たよ。』
いつも私の味方でいてくれた弟。
『………ユリア………』
『………見つけた、ユリア………』
『………私の可愛い――――………』
「――――――っ、」
ユリアは両手で自分の身体を抱きしめ、膝をついた。その瞬間、辺りを包み込んでいた白い光は弾けるように消えた。
「あ……、あぁ………」
白い世界で、走馬燈のように自分の記憶を見た。そこには人間界で生まれ育った自分がいた。平凡な家庭で生まれて、愛情を十分すぎるくらい注いでもらって、成長していた自分がいた。そこにいたのは間違いなく自分自身、弾道百合亜の姿だった。
なのに、何故か他人事のようだった。もしあれが本当の自分なら、今の自分は何なのだろう。精霊界で過ごした時間の方が断然長いはずなのに、ちっとも自分は成長していない。あの時から、私は止まったままだ。心も体も時間も、すべて。
(考えちゃ、だめ。壊れちゃだめ。)
わかっていたはずだ。記憶を取り戻すことで、崩れるかもしれない自分がいることに。だから決意してここに来たのだ。
(全部思い出しても、私は7番目の魔女なんだから……)
ユリアは自分に言い聞かせる。
(でも………、だけど…………、)
しかし、自分自身ではどうしようもなくなってしまった。
「ユリア?」
様子がおかしいユリアに、傍で見ていた精霊王は声をかける。はじめ、ユリアは反応しなかった。そしてもう一度名前を呼ぶと、ユリアは溢れ出す涙を堪えながら、震える声で呟いた。
「……………ごめんなさいっ」
「待つんじゃ、ユリア!!」
そして、精霊王が止める暇もなく、ユリアは転移魔法を使って姿を消した。
たどり着いたのはどこかもわからない森の奥深くだった。辺りの気味悪さから、おそらく魔界だろう。魔獣たちの気配がするが、関わることなくユリアは歩いていた。
思い出してしまった記憶。確かにそれは、故郷への思慕を大きくした。けれど、ユリアに衝撃を与えたのはそこではなかった。今まで触れたことのない“記憶”というマナ。それはコントロールを完全に失っていた。思い出さなくても良いものを、自分が知るはずもなかったものを、呼び起こしてしまったのだ。
それはおそらく、弾道百合亜という血に、遺伝子レベルに刻まれた記憶だった。
「………………もう、やだ。」
ユリアは立ち止まると、その場にしゃがみ込んだ。
「もうやだ。やだよ……。」
何も考えたくない。考えれば、自分が壊れてしまう。
「助けて……、助けて、――――――、」
声にならない声で、ユリアは呟くのだった。
どれくらいの時間がたっただろう。森は既に暗くなり、闇に包まれていた。明かりのないこの場所では、ときどき獣の目が光るくらいだった。自分の姿すら、自分では見えなくなっている。
このままここにいれば、魔獣に襲われて死んでしまうのだろうか。そう思ったユリアは、笑った。まだ心の中で、自分はこんなところで死んではいけない存在なのだと自覚している自分がいる。きっとその時になれば動けるのだろう、と。
すると、ガサッと、草陰から物音がした。いよいよ魔獣が来たかと思い、ユリアは顔を上げた。
「!」
しかし、見て驚く。そこから現れたのは魔獣ではなく、ランタンを手にした男の子だった。
「こんな時間に一人でこんなところにいちゃ、危ないよ。」
幼い少年はユリアの顔を覗き込んで、優しく笑った。
「僕の家、すぐそこだから。」
「……………」
差し出された小さな手を、ユリアは黙って取るのだった。
少年について歩いて数分、彼の家という場所にたどり着いた。そこは大きな木だった。確かに、家のようなものがある。木に埋め込まれているような、それと同化した建物だ。
「魔物たちが騒いでたんだ。凄く力の強い人間がいるって。蹲って動かないって。だから、気になって行ってみたんだよ。」
そしたらユリアがいたのだと、少年は言った。
「そこに座ってて。今、温かいもの入れるね。」
椅子を引かれ促されるままにユリアは座った。頭がぼーっとする。
しばらくして、少年がコップを二つ持って戻ってきた。一つをユリアの前に置き、自分も隣の椅子に座った。
「僕はカボス。お姉ちゃん、名前は?」
「……………ゆりあ。」
ユリアは細い声で答えた。
「ユリアお姉ちゃんは、どうしてあんなところにいたの?」
「……………」
カボスに尋ねられたが、ユリアは黙ったまま俯いた。なんて説明したら良いのか、わからなかった。
そんなユリアを見て、カボスは困ったように笑った。
「話したくないなら、いいよ。疲れたでしょ? それ飲んで、ゆっくり休んで。」
深入りしてこないことに安心したユリアは、飲み物に口をつけた。甘い香りが口の中に広がった。とても落ち着く、懐かしい味だった。
そしてそれを飲み終えると、カボスに案内された部屋に入った。小さな部屋に、ベッドと机があるだけの部屋だった。この部屋を使ってと言い、カボスはユリアをベッドに寝かせた。
「………………カボス、」
「!」
カボスが部屋を出ようとしたとき、ユリアは彼の手を取った。
「ありがとう。」
涙を溜めてそう呟くと、ユリアは眠りについた。瞼を閉じる瞬間、溜まった涙は頬を伝って流れ落ちた。
「………おやすみなさい。」
カボスはそっとその涙を拭い、部屋を出て行った。
「ん……」
冷たい空気が頬を掠め、ユリアは眠りから覚めた。少しひんやりとしているが、身体を包み込む触り心地のよい毛布は温かくとても気持ちが良い。まるで毛並みのようだった。
(あれ、こんな布団だったかな……)
少しずつ意識を取り戻してくると、どこかおかしいことに気がつく。毛並みのような毛布は掛け布団だけではなく、背中にも当たっている。それに加え、ベッドに横になったはずなのに今は座っている体勢だ。
(温かい……)
どこかおかしいことに気がつきながらも、ユリアは瞼を開けずにいた。このまま、もう少し心地よい一時を過ごしていたかった。
「ぐるるるるる……」
すると、低い鳴き声が聞こえた。動物だろうか。近くに魔獣がいるのかもしれない家の中とはいえ、ここまで近くに聞こえるのだから、危険が迫っているとも考えられる。
(っ、起きなきゃ……)
ユリアは重たい瞼を開けた。
「!」
視界に広がったのは、青い草原だった。
「っ、ここは? 私、何でこんなところに?」
違う。草原ではない。毛並みだ。獣の毛並みがユリアを包み込んでいたのだ。
「それに………」
そして、その包み込んでいたのは……
「ドラゴン?」
まだ少しドラゴンとしては小柄の、青いドラゴンだった。どうやらユリアを包んでいたのは彼のたてがみだったようだ。鱗ではなく、美しい毛並みを持っている。
「ぐるるる……」
ドラゴンは首を起こし、翼を広げた。
「貴方が、助けてくれたの?」
そう尋ねると、ドラゴンはゆっくりと瞬きをして肯定を示した。
「………………」
それを見たユリアは言葉を失う。
確かに、ユリアは一人で森の中に入り、歩くことも、立つことも、考えることも出来なくなり、座り込んでしまった。
それからの記憶は、曖昧だ。
少年がユリアの手を引いて自分の家まで連れて帰ってくれたような気がする。温かい飲み物をくれて、優しく手を握ってくれたような気がする。けれど、その記憶はどこか靄が掛かったようだった。
朧気な記憶だけれども、蹲っているユリアの前に大きな何かが現れたような気もする。獣の顔が近づき、食べられるのかと思った。しかしそれはユリアを口の中で保護するとどこかへ移動した。そして、冷え切ったユリアの身体を全身で包み込み、暖めてくれた。
(わからない、どこまでが現実で、どこからが夢なの?)
どちらも曖昧だった。だけど、どちらも本当に体験したかのように、ユリアの記憶に残っていたのだ。
「私はユリア。貴方は……、あの時の男の子なの?」
ユリアが尋ねると、ドラゴンは何のことかと首を傾げた。どうやら心当たりはないようだ。
「………どうして、私を助けてくれたの?」
ドラゴンの身体に触れ、目を閉じて顔をつけ尋ねた。人間の言葉は理解しているのだろう。ドラゴンは何かを伝えようと、低い声で喉を鳴らした。
彼が何を語ろうとしているのか、ユリアにはわからなかった。けれど、どこか心の中に伝わってくるものがある。その温もりと、瞳と、声が、すべてを教えてくれるような気がした。
「優しい子なんだね。それに………、私と同じ。寂しい子。」
この広い世界でただ一人きりの寂しさを知っている。同じ寂しさを共有できる。きっと、ハナに対しても似た気持ちがあったのだろう。
彼女を助けたのはただの偽善だ。誰かに必要とされたい、必要とされる証が欲しい。自分の絶対に裏切らない存在が欲しい。そう、願っていたのかもしれないと、今更ながらに思う。
――――――そこに6人の魔女は集まっていた。
「貴方という人は、また!」
フォースが今にも殴りかかりそうな勢いで、ファーストを睨みつけた。それをフィフスが止めるが、彼女の瞳も怒りに満ちていた。
「どうして今更、しかもこの時期に、あの子が記憶を取り戻すようにし向けたの?」
みなまで言わなくても、ファーストがユリアに記憶を取り戻させるよう誘導していたことは明確だった。長い間ともに暮らし、ユリアの性格を知る彼女たちだからこそわかることだ。ファーストがそう言えば、ユリアは自分の記憶を自分で取り戻すことを望むと。
「7番目が誰よりも強く、至高の魔女であるために必要なことじゃ。」
「でも結局逃げちゃったわけでしょ。精霊王も一緒にいたくせに情けないなぁ!」
「駄目よ、そんなこと言っちゃ。精霊王ももうお年なんだから。」
シックススの言葉にサードがフォローを入れる。しかし、それはフォローになってないとサードはため息をついて言った。
「探そうよ、みんな。ユリアを探さなくちゃ。」
フィフスが言うと、魔女たちは互いの顔を見合わせた。
「無理矢理、連れ戻すつもり?」
言葉にはしないが、それは心が痛いとフォースは訴えた。
「本人が意図的に逃げたであれ、何かの事件に巻き込まれたであれ、いずれにしても、あの子が7番目であることには変わりない。」
避けられぬ運命、逃れられぬ宿命なのだからとセカンドは言った。
「話をしてみなくては駄目ね。あの子の気持ちを、受け止めてあげたいわ。」
そう言ってサードは笑った。
「ユリアの我が儘なんて珍しいもんね!ちょっと遅れた反抗期だと思って、ここはお姉さんらしく迎えに行ってあげなくちゃ☆」
箒をくるっと回して地面につけ、シックススはポーズを決めた。
「貴方はどうするの?」
サードがファーストに尋ねる。すると、ファーストは口元をゆるめた。
「それが星の導きであるなら仕方ないことさ。」
そうして、6人の魔女は7番目の魔女を迎えに行く準備を始めるのだった。
あの日、青いドラゴンと出会った。
何も考えたくなくて、そのドラゴンの巣で暮らした。優しいドラゴンはおいしい果物や木の実を教えてくれて、一緒に水浴びをして、大空を駆けめぐった。眠るときは互いに身を寄せ合った。
そうして暮らしているうちに、ユリアも自然と笑顔を取り戻していた。ドラゴンの傍はとても心地よくて、楽しかった。まるで一緒にいることが自然なような気がした。ユリアがこの世界に来た理由も、もとの世界にいた理由も、記憶の奥底に終われてしまった。おそらくそれは、力の暴走である。精神が崩壊しかけたユリアは、自分で自分の記憶に魔法をかけてしまったのだ。箱に入れて蓋をした。そうしなければ、壊れてしまっていた。
ユリアは今、一人の少女としてドラゴンと過ごしていたのだ。
「ん~、今日も良い天気!」
古びたバケツを手に、ユリアは大きく伸びをした。空は青く広く、目の前の泉もキラキラと輝いていた。
「なんか良いことありそう♪」
そんなウキウキとした気持ちで、バケツを泉の中に突っ込んだ。満タンになったバケツはかなりの重量があり、両手でしっかりと握って持ち上げた。
気分上々でユリアが踵を返したときだった。
「見つけたわよ。」
「!」
どうして良いことがあるなんて思ったのだろう。それはただの杞憂に過ぎなかったのだ。
「ユリア………」
そこにいたのは黒いローブを纏った一人の女性。
「迎えに来たわ。」
「さぁ、帰りましょう。」
否、一人でない。その背後にいたらしい他の女性たちが姿を現した。全員で、6人いる。
「だ、誰ですか?」
「え?」
怯えて一歩退いたユリアの姿を見て、女性たちは目を丸くした。手を差しだしていた女性も、思わずその手を自分の胸に寄せた。
「何言ってるの、ユリア。私よ、アロウよ。」
「し、知りません!」
アロウが一歩近づくと、再びユリアは一歩退いた。
「うっそ~!? ホントに忘れちゃったわけ!?」
サフィは手を口に当てて驚く。それに驚いたユリアは、もう一歩下がった。
「アネモネ、これはどういうこと?」
「どうもこうも、真実を知ったユリアは全てを忘れることを望んだ。そう言うことじゃよ。」
ノアの問いかけにアネモネは表情一つ変えずに答えた。まるで、最初からこうなることがわかっていたかのようだ。
「ユリア、本当に私たちがわからない?」
クロウが聞くと、ユリアは黙ったまま頷いた。
「魔女のことも、忘れちゃったの?」
「!」
その言葉に、ユリアの表情が変わった。脳裏を過ぎった、電気のような何か。そこに全ての答えがあるような気がした。それを辿れば、何か思い出すかもしれない。
「し、しらな―――――……」
それが嫌で、逃げだそうとした。
しかし、彼女の背後に地面はもうなかった。
「きゃあ!?」
「「「ユリア!!」」」
足を滑らせたユリアは、そのまま泉の中に音を立てて落ちてしまった。高く上がった水しぶきが、太陽の光を照り返して、まるで魔法のようにキラキラ輝いて見せた。
「ぷはーっ、」
泳ぐことに苦痛を感じたことのないユリアは、すぐに顔を出した。黒い髪も、濡れるといっそう美しく輝いていた。
「もう、相変わらずドジなんだから。」
変わってないな、と笑ってアロウは手を差しだした。
「あ、ありがと……」
それは自然なことだった。不意打ちに泉に落ち、水浸しになり、差し出された手を取ること。そのことに対してなんの疑問も持たなかった。
二人の手が触れるか否かの時だった。
「ガアアアアアアアアアアア!!」
獣の声が聞こえたかと思うと、空が暗くなった。見上げると、黒い影が勢いよく降ってきた。
「「!?」」
アロウや他の魔女は素早くそこから距離を取った。動けなかったのは、ユリアだけだ。
降ってきたそれは地面を抉るように着陸した。ユリアを泉から咥えて出すと、魔女たちを睨みつけた。
「うっそ、青いドラゴン!?」
珍しい、と叫んだのはサフィだ。召喚術を得意とする彼女がそういうのだから、本当に珍しいのだろう。
「なんか、凄く怒ってる気がする。」
「ユリアを守ってて、ユリアが縋ってるんだから、そう言うことなんだろ。」
顔を引きつらせるクロウに、クレアローズはため息混じりに言った。記憶をなくしたユリアが長い間どうやって暮らしていたか、その理由は目の前にいるのだと。
ドラゴンは低く喉を鳴らした。その口からは、青い炎が見える。
「凄い凄い! 青いドラゴン♪」
「近寄っては駄目よ、サフィ!」
魔女たちが何を考え、何をしようとしているのか、そんなことドラゴンには関係なかった。ただ、ユリアを守る。それだけだった。
体内から湧き上がる炎を、ブレスとしてドラゴンが魔女たちに吹きだす。否、吹きだろうとした。
「止めて!!」
ドラゴンの足にしがみつき、止めたのはユリアだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい! いいの、もういいの!!」
涙を流して叫ぶユリアを見て、ドラゴンは吹きだそうとした炎を飲み込んだ。そして驚いた様子でユリアを凝視する。
「あの人たちは私の、大切な人たちなの。殺さないで……」
震える唇で、ユリアはそう告げた。
「!」
先ほどまでとは様子の違うユリア。そんな彼女を見て、誰もが、彼女が記憶を取り戻したことを感づいた。
いったい何故、どのタイミングで。疑問ばかりだが、先ほど手を伸ばしたアロウは自分の手を見た。
触れるか否かの指先。それはほんの一瞬、彼女に届いていたのだ。
「ユリア……」
全てを思い出したというのならば、それは、忘れたかった記憶と同じと言うことなのだろう。
「…………………………大丈夫、だよ。」
涙を拭いながら、ユリアは顔を上げる。
「私は、7番目の魔女だもん。」
笑って、魔女たちに微笑んだ。
自らの記憶に魔法をかける。それは、解毒剤の使い方を忘れる毒薬だ。自ら解くことなど本当なら不可能に近い。きっかけはあるとして、それを解いたユリアは流石7番目の魔女言えるだろう。
記憶を取り戻した後、ユリアはアネモネの元に戻った。そして記憶に関しての術を学び直す。だが、それは最小限だった。ユリア自身が記憶を操る術は嫌いだと、宣言したからだ。そのため彼女の元で、記憶に関しての術以外のことを集中的に学んだ。
そして、幾年が過ぎた。アネモネから修業の終了を告げられたのは、あまりにも突然だった。お主に教えられることはもうない。その言葉はユリアが6人の魔女の知恵と術を得たことを示していた。
そんな彼女がそば傍に置くのは、二人の子どもだった。
一人はD.O.L.Lとよばれる赤い髪を持った魔術人形。壊されようとしていたところをユリアに拾われた少女は、誰よりもユリアのことを愛するようになった。救ってくれたユリアを自分も救いたい。そう願い、傍にいることを契約した。
もう一人は何も知らない青い髪を持った少年。その少年の本当の姿は幻の青いドラゴンである。卵の時から親と離ればなれになってしまったドラゴンは、ユリアの傍にいることを願った。その願いをユリアは受け入れた。魔法で人間の姿にしたのだ。少年もまた、ユリアと契約を交わした。
「よく来た、精霊界に住まう6人の魔女よ。そしてその愛子、セブンスよ。」
精霊王の左右には聖王と魔王、そして魔王の子が立っていた。
「魔女の中でも強大な力を持つとされるそなたたちに、“魔女隊”として“黒妖将”の封印を命じる!」
「「我が知恵と術にかけ、必ずや黒妖将を封印してみましょう」」
魔女たちの声が重なる。
ここに、6人の魔女の知恵と術を手に入れた、至高の魔女が誕生した。契約魔を持たない、オリジナルの魔女として。