‡誰よりも強くなるために‡
サフィのもとでその知恵と術を学んだユリアは次の修業に向かうことになった。それは2番目の魔女、クレアローズのもとである。だが、今までとは違った。クレアローズは自宅にユリアを招かなかった。ユリアは近くの町にハナと暮らしている。そしてクレアローズから課題を出された。
「い、ったああああああっい!!」
全身が悲鳴をあげた。
「悲鳴を上げてる場合? 貴方はもう魔女見習いのレベルじゃないのよ。」
クレアローズが火を片手にため息をつく。
「誰よりも強く賢い魔女になる。そのために他の魔女のもとで修業してきたんでしょ。これじゃ、他の魔女もたいしたことなかったって言っているようなものよ。」
「ちょっと、私のことはバカにしても、みんなをバカにしないでよね!」
ユリアはぼろぼろの姿で立ち上がった。
「知ったような口聞かないで。出直してきなさい。」
そう言ってクレアローズは立ち去った。
「ユリア!」
少し離れたところからハナが駆け寄ってきた。
「またこんなに怪我して……」
「あはは、失敗失敗☆」
笑いながらユリアは怪我をした場所に特性の薬を塗る。すると最初は痛みが広がったが、すぐに痛みも傷も消えた。
「こんな魔法じゃまだまだだもんね。もっとこう、ずばーってのにしなきゃ!」
よし、と意気込んで立ち上がるユリアを見てハナはため息をついた。
今回はいつもと違った。クレアローズが出した課題、それは攻撃魔法を用いてクレアローズに一撃浴びせるというものだった。
もちろん、それまで攻撃魔法を使ったことのなかったユリアはどうすればいいかわからなかった。見様見真似でやっても限界がある。そこでユリアは町の図書館や本屋の本で勉強しながら少しずつ攻撃魔法について学んだ。
攻撃魔法は、アロウに教わった自然を操る魔法の応用したものだった。自然の力を借り、呼び出し、操る。簡単そうに見えて難易度は高い。下手をすれば、自分を傷つけるおそれもあるし、制御がつかなければ暴走させてしまうおそれもあるのだから。
ハナに出会ったあの日、思いつきで使ったあの術こそ、攻撃魔法である。
「私さ、結構勉強してると思うんだよね。」
夕食後、本を片手にユリアは独り言のように呟いた。
「どの本に載ってるのも似たような初歩的な魔法ばっかり。中級のもそんなに難しくないし、この間クレアローズにぶっつけたのは一応上級魔法だよ?」
この街に移り住んで、しばらく経つ。最初は初級魔法で精一杯だったが、生まれ持った才能がすぐに発揮された。数ヶ月と経たないうちに中級はもちろん、上級魔法にも手をつけるようになった。問題はそれからだ。ただ強い魔法で攻撃してもクレアローズには効かない。精度を上げようと基本を磨いてみたが、それでも通じなかった。
「どうやったら一撃ぶつけられると思う?」
ユリアは台所で皿洗いをしているハナに尋ねた。
「知らないわよ。だいたい、攻撃魔法って概念すら適当じゃない。どんな魔法でも攻撃したら攻撃魔法でしょ?」
「それがちょっと違うから面倒なのよね~。」
魔法を使っているものならわかる。攻撃魔法に重要となるのは呼び出す言霊と瞬間的に発する魔法陣だ。それは言の葉の記述であり、一種の数式でもある。
「一つの魔法にこだわらないってのは駄目なの?」
「う~ん……」
それも以前ユリアがやってみた方法だった。一つで駄目なら、数で勝負。いくつもの魔法を組み合わせたコンボ技で勝負を仕掛けてみた。……が、それも一瞬で返り討ちにあった。
「クレアローズの弱みとかないの?」
「ないから困ってるの。」
町で聞いても、サドで聞いても、クレアローズの弱点は見つからない。他の魔女は、彼女らしい課題の出し方だと笑うだけで、ヒントになるようなことは教えてくれなかった。
「あたしに聞いて答えが出ると思ってる?」
「思ってない。」
「……………」
はぁ、とハナが大きくため息をつくのが聞こえた。
「そんなにため息ばっかだと幸せ逃げちゃうよ。」
「バカ言わないでよ。ユリアといられる今が一番幸せなんだから。」
「うわ、恥ずかしいことをさらりと……」
ハナにとってユリアは特別だ。それはユリアにとっても同じ。一人で寂しい時間は終わった。家に帰れば迎えてくれる人がいて、一緒に悩んでくれる人がいて、慰めてくれる人がいて、こんなにも誰かが傍にいることが嬉しいとは今まで知らなかった。
だから、二人にとって今は特別と同じくらい幸せな日常なのだ。
「………どうしてクレアローズに勝てないの?」
貴方ほどの魔女なら、いくら強くても一発攻撃を喰らわせることなんて容易いはずだとハナは言う。
「…………」
ハナも、そしてユリアも、おそらく気づいていた。ユリアがその答えを知っていることに。知っていながら踏み切れていないことに。
ユリアの攻撃がクレアローズに効かない理由。
「たぶん、全部相殺されちゃってるのよね。」
ユリアの使う攻撃魔法はどれも既存の魔法ばかり。年上で、知恵も技術も豊富な、世界で2番目の魔女が知らない魔法なんてない。魔法は防御壁や結界で防ぐよりも、相殺するのが最も効果的だ。むろん、相殺された力が大きければ大きいほど、危険は広がる。
「クレアローズが知らない魔法なんてオリジナルで作るしかないじゃない。でもさ、それも一度しかチャンスはない。オリジナルで攻めるってわかったら相殺じゃなくて完全に防御に入る。」
「それに気づいてたから、他の術を先に全部試したの?」
「まぁ、とっておきは最後に残しておくものでしょ。それより、ハナも気づいてたの?」
ユリアが尋ねると、ハナはもう何度目かわからないため息をついた。
「それが何かってのはわからないけど、ユリアが何かに気づいていることぐらいわかるわよ。何年一緒にいると思ってるの?」
「あはは、それもそうだね。」
よし、とユリアは気合いを入れて立ち上がった。
「ここにも長居したことだし、そろそろ終わらせますか☆」
クレアローズを超えて、次へ行く。長く先の見えない修業も、もう終盤を迎えていた。これが終われば残すは一番目の魔女のみだ。本来計画されてた7番目の魔女育成計画よりは早いペースで進んでいる。
「ハナ、ちょっと部屋に籠もるね。」
新しい魔法。独自で作り出したそれは相殺出来ない。防御に回られてもそれを貫けるような攻撃でなければならない。チャンスは一度だけ。
不思議とユリアに不安はなかった。絶対大丈夫だと言う自信があった。そう、これは世界を救うためにユリアが成長しなければならない課題なのだ。超えられない壁を作るわけがない。
そうして、ユリアは自室に籠もった。そうなればなかなか出てこないことはハナも知っているため、片手で食べられるような食事を一日に数回運ぶ程度にした。それすら、ユリアは手に取らないこともあった。
彼女が部屋に閉じこもってしばらくが過ぎた。それほど長くない時間だが、短くもなかった。部屋を出てきたユリアは笑っていた。そしてハナに、嬉しそうにVサインを見せたのだった。
「ってことで、来ちゃいました☆」
「本当に大丈夫なの?」
クレアローズの家の近くで、ユリアとハナは息を潜めていた。
「大丈夫だって!危ないからハナはここから動かないでね。」
動けば巻き込んでしまうかもしれない。危険なことに巻き込みたくはないため、家で待っているように言ったが、ハナは聞かずについてきたのだ。
「帰ってきた!」
「!」
すると、家を留守にしていたクレアローズが帰ってきた。紙袋を抱えて、ドアノブに手を掛ける。
「お帰りなさい、師匠。」
箒の上に立ち、屋根の近くからユリアはクレアローズに声を掛けた。
「どうしたユリア、正面から来るなんて珍しい。」
いつも不意打ちを狙っているため、こうして挑戦状を持ってくることは珍しかった。言われてから、それもそうだとユリアは笑った。
「今日こそは勝たせてもらいに来ました。」
「その言葉、何度聞いたことか。今日はどんな策を考えてきたんだ?」
クレアローズは焦る様子もなく答える。無防備に見える彼女だが、今攻撃されても防ぐ自信があるのだろう。
「ちょっとしたオリジナルの魔法を考えてみたので、試させてください。」
「………ほう?」
クレアローズは笑った。7番目の彼女は賢い。いつもの攻撃はすべて同じ魔法で瞬時に相殺していることも、それを覆すためにはオリジナルの魔法で攻撃するしかないことも、いずれ気づくことはわかっていた。むしろ遅すぎるくらいだ。
彼女が笑ったのは、まさか、ここに来てユリアがオリジナルの魔法を使うことを宣言してくるとは思っていなかったからだ。
新しい戦法でくるのに、わざわざ手の内を見せるものなどいないのが普通である。
「それで、どうして欲しい?いつもみたいに相殺に掛かって欲しいか、防御に徹して欲しいか。」
ならば、これ以上隠す必要もないだろう。クレアローズが聞くとユリアは困ったような顔で笑いながら「あー……」と声を漏らした。どうやら考えてなかったようだ。
「どっちでも良いですよ。」
そう、考えていない。
「だって、どっちにしたって今日で終わりなんですから。」
考える必要などない。
「……よほど自信があるようだな。」
相殺されても防御壁を張られても、それを覆してしまう魔法を用意してきたのだ。
「掛かってこい。全力で受けて立つ。」
そう言ってクレアローズは紙袋を手元から消し、代わりに杖を握った。
「じゃあ、行きますよ。時間が掛かっちゃうんで、その間は攻撃とかしないでくださいね。」
普通の攻防戦なら通じない方法だが、今回は違う。ユリアがどんなものを用意してきたか興味のあるクレアローズはその条件を飲まざるを得なかった。それもユリアの想定の範囲内なのだろう。でなければ、正面から来たりはしない。隠れて強力な魔法を準備したところで、どれだけ隠れて準備したところで、クレアローズにはすぐに見つかってしまうのだから。
箒を蹴り飛ばし、それ無しで宙に浮くユリア。クレアローズと同じように、杖を持って詠唱を始めた。
「我が魔力よ、この手に集え。生命の灯火、混沌の淵源、夢幻の具現……」
足下に魔法陣が広がった。それは驚くほど大きな魔法陣、ではなく、あくまでユリアの周囲に広がる程度だった。それから予想できる魔法は、あまり強力なものではない。
けれど……
(初めてみる魔法陣だな。)
既存の魔法と違うことは一目でわかった。ほとんどすべての魔法陣の型が頭に入っているクレアローズが見たことのない魔法陣。それは、ユリアの言っていた通りオリジナルであることを示すには十分だった。
(いったいどんな魔法を………)
考えてきたのか。それを考えるとクレアローズの胸は高まった。自分を超える存在。強者であり勝者となるものの誕生。
「!」
だが、クレアローズは喜びよりも、全身に鳴り響いた警戒音に身体を震わせた。
彼女の目に映ったのは、ユリアだ。ユリアの持つ杖の先に、銀色に光り輝く魔力が集う。それは今まで目にしたことのない、マナそのものの輝きだった。
「まさか、自分のマナを……、そのままの形でぶつけるつもりか?」
他の何に頼るのではなく、自分のマナを体外で具現化し、それで攻撃するというのだ。コントロールを失えば暴走する確率は極めて高い。それに加え、使ったマナはそのまま消費されてしまう。自分への反動も大きすぎる。
「小さい頃に見たアニメで、こんな感じのあったんですよ。こういう“砲撃魔法”。やり方とかあってるかなんて知らないですけど、見様見真似で考えたんですから、オリジナルで良いですよね。」
まぁ、砲撃なんて“魔法少女”らしくないといえばらしくはないが、魔法という考えを払拭した魔法なのだからこの際良いだろう。
集った魔力はどんどんと大きくなっていく。それに合わせて、ユリアも高度を上げた。
(集めたマナをもっと集束して、一撃で、貫く!!)
ユリアは杖を大きく振り下ろした。
「マグナム!!」
マナが集束して、一転に集まると、そのままクレアローズに向けて放たれた。
「――――――っ」
相手のマナを、相殺することなんて不可能だ。マナの具現化など、今までに成功した者はいない。それがどんな形をして、どんな数式で成り立っているかなんてわかるわけがない。全く同じものなんて作れない。
クレアローズは防御壁を張った。ユリアの魔法がドンッとのし掛かった。その重圧は言葉に出来ない。腕がもがれそうで、足は砕けそうで、全身が震えていた。噛みしめる奥歯に少しでも隙間が出来れば、一瞬で吹っ飛んでしまう。
「はあああああああああああ!!!!」
ユリアの声とともに、その威力を増大させた。
「まっ、――――――!!!」
まだ嵩増しできるのかと、そう思った一瞬が命取りだった。腕に加わる力に僅かなブレが生じた。その一瞬で、クレアローズの防御壁は音を立てて砕け散った。目の前に広がるのは、銀色に輝くユリアのマナだった。
音を立てて、煙が上がる。
ユリアの位置からではクレアローズは煙に隠れて見えない。そして、彼女にもそれを確認するだけの力は残っていなかった。
「う……っ、」
体内のマナがゼロになってしまったのを感じる。ユリアは倒れ込むように地上に降りた。
「ユリア!!」
ハナが近寄ってくるのを感じる。けれど、目が霞んでよく見えない。声が遠くに聞こえる。意識が朦朧とする。
(生命の源で、すべてを構成するマナが失われてしまったら……、どうなるんだろう?)
それは死と同じなのではないか。そう思いながら、ユリアは意識を手放した。
「………リア、………ユリア………」
声が聞こえた。
「クレア、ローズ……?」
その声はクレアローズのものだ。途切れそうな意識を必死で掴み、ユリアは目を開けた。
「!」
そこはとても冷たく、温かく、白い、不思議な空間で、彼女の声は上下左右から響き渡った。いったいここはどこで、どうしてここにいるのか、ユリアはわからなかった。
「全く、本当にお前は恐ろしい子だ。新しい魔法、その身を滅ぼしかねないぞ。」
「……でも、絶対相殺できない魔法でしょ?」
くすっと、ユリアは笑った。
生命の源であり、万物を形成するマナ。言葉では説明できないそれを相殺するなど、出来るわけがないのだ。
「お前は賢い。そして強い。才能もある。最も優れた魔女になる資格を持っている。あとは、アネモネのとこで学べば終わる。」
それはつまり、今回の修業が終わることを意味しているのだろう。
「お前は、本当にそれで良いのか?」
「え?」
突然の問いかけに、ユリアは驚いた。
「突然日常を覆されて、訳もわからない世界のために無理矢理修業をして、辛い思いをして、生命を危険に曝すことになる。私たちには、どうしてお前がこの計画に協力的なのかわからない。」
弱音を吐かなかったことがないわけではない。でも、一生懸命になる理由すらない。泣き言を言わず、いつも前向きに進んできた理由は、どれだけ探しても見つからなかった。
クレアローズの言葉を聞き、ユリアは表情を曇らせた。
「祖国への思慕をなくすために記憶を操作したのは、あなたたちじゃないですか。」
それは精霊界に連れてこられたとき掛けられた術だ。
「あれはアネモネの独断だ。ユリア、お前は本当に、7番目の魔女になりたいのか?」
「……変なクレアローズ。なりたいなりたくないなんて、最初から選択肢になかったじゃないですか。」
精霊界を、そして人間界を守るためにも、召喚されたユリアは7番目になるしかなかった。そうしなければ人間界に帰ることは出来ない。
「みんなのもとで修業して、賢くなって、知恵と術を得て、わかったことがあります。」
誰に教えられたわけでもない。けれど、皆が同じ思いだった。
「いずれ私は7番目じゃなくなる。そうなったときのためにも、もっと強くならなきゃいけない。」
「……………」
無言は肯定だ。クレアローズにも、ユリアの言葉の意味がわかったのだろう。何も言わなかった。
「全部終わったら、お前は人間界に帰ることが出来る。」
「それにしちゃ、ずいぶん時間が経っちゃいましたけどね。」
今も召喚されたときと変わらぬ姿をしているユリア。もし人間として生きて、人間界の時間軸で生きていたのなら、その姿であるはずがない。各魔女の元で学んだのは数日や数ヶ月と言った期間ではない。それぞれに数年、十数年、長いときには数十年かけて学んできたのだ。そうして、すべての知恵と術を自らのものにしてきたのだ。
そう、ユリアは人間じゃない。彼女は魔女だ。
「帰って欲しくないってみんなが思ってくれているのは知っている。でも、故郷に戻ってみたい気持ちもなきにしもあらずって感じ。まぁ、そのことはその時になったら決めますよ。」
いつものように、子どものように、笑って言うのだった。
「……召喚されたのがお前で、よかったのかもしれないな。」
「ありがとう」そう呟いて、声は遠ざかった。
ユリアが目覚めたのは、クレアローズに戦いを挑んで一ヶ月が過ぎようとしたときだった。体内のマナが空っぽになったのが原因だ。その間、ずっとハナが看病してくれていたのだと聞く。
これで、ユリアは6人の魔女の知恵と術を得た。残るはただ一人、この世界で最も賢くて強い魔女、ファーストの元で学べばすべては終わる。彼女のことは誰もよくは知らない。すべてが謎に包まれた、不思議な存在なのである。
物語の終盤が近づいているのを、ユリアは感じたのだった。