‡毒と薬に一匙の魔法を‡
アロウとクロウの家から出て、今はノアの家に居候中である。二人の家は町の中にあった集合住宅の一つだったが、ノアは大きな一軒家に住んでいた。家が大きい、と言うよりも庭が大きかった。そこにはいろんな花や草が生えていて、それを調合して薬を使うのだという。
最初の日、ノアが言っていたとおり、ここでの勉強量は半端なかった。種々の見分け方、薬の調合の方法、ただでさえ草花に疎いユリアには難問の連続だった。
「まぁ、とりあえずは庭のお世話は貴方の仕事よ。あ、魔法は使っちゃ駄目よ。」
魔法の勉強のはずなのに魔法を使ってはいけない理由がユリアにはわからなかった。けれど、ノアの言いつけを聞かぬわけにはいかない。
その日から、ユリアの第2の生活が始まったのだ。
「ユリア、何をしているの?」
数日前から出かけていったノアは帰ってくるなり、ユリアに背中から尋ねた。ユリアは書斎で山積みの本に囲まれながら、一冊の本を片手にいた。
「何って、調合?」
もうある程度の基礎知識は教え込まれていた。調合の仕方や薬草の選び方など。あと足りないとすれば、どんな草花を調合すればどんな薬が出来るかだ。はじめは学ぶことも多く嫌がっていたユリアであったが、今となっては薬の調合を楽しめていた。ただ調合するわけではない。魔女として、ほんの一匙のマナを加えるのだ。魔道具のように。それだけで効果は歴然と変わる。
「ばかっ、何やってるの!?」
ノアは声をあげ、ユリアから調合に使っていた試験管を取り上げた。そして勢いそのままに、窓から外に投げ捨てた。
「ちょっ、何するのノア!」
突然のことにユリアは驚いて立ち上がる。ノアがいない数日、時間を掛けて試していたものが水の泡になってしまったのだ。
「何するのじゃない!貴方が今作っていたものが、どれだけ危険なものか、わってるの?」
いつも笑顔で冷静なノアが、こんな風に声をあげたり顔をしかめたりするのを見るのは初めてだった。
「き、危険なわけないじゃない。ちゃんと毒抜きもしたし、理論に沿って…」
「貴方が知らない調合は山のようにたくさんあるの。今まで教えてきた調合は、全部治癒を主な作用としたもの。そうじゃない調合もあるってことは教えたよね?」
調合で作られるのは薬だけじゃない。毒を作ることだって出来る。それも、いろんな。証拠を隠滅できるような毒薬も、一瞬で死ねる毒薬も、徐々に作用して苦しくて仕方ない毒薬も、それこそ、普通の薬よりも数多く存在すると、ユリアは習っていた。
「毒薬を作る場合は必ずその解毒剤も一緒に作る必要がある。それは……」
「もし自分に毒を盛られても、大丈夫なように。」
「そう、何度も教えたわよね。」
それは調剤師としては欠かすことの出来ない鉄則だった。依頼して作った毒を盛られる可能性がある。それはとても危険なことだ。そのため、毒薬は解毒剤と対になって存在しなくてはならない。
「貴方の作ろうとしていたその調合は猛毒、しかも解毒剤なんて見つかってない。」
ため息をつくようなノアに、ユリアは目を丸くした。
「ただの、育毛剤のつもりだったんだけど……」
「それはあくまで副作用よ。体内のマナが暴走して急激に発毛腺が活性化する。暴走して伸びる前に身体の方が壊れてしまうわ。」
始末は自分がやっておくから、まずは手を綺麗に洗ってこいとノアはユリアに言う。何も言わず、ユリアは頷いて書斎から出て行った。
「まったく、なんで育毛剤なのよ。」
たまには別のものを作ってみたかった、と言うとこだろう。それにしても、危険な子だ。
(長期間といえ、この短期間でよく理解している。普通の人間じゃ無理よ。)
それに特化しているものならともかく、興味もなかった分野で、始めて目にする分野で、ここまでの力が発揮できるのも、彼女が選ばれた人間なのだからなのだろう。
「この調合、私でも思いつくまで結構時間掛かったんだけどなぁ。」
それを見つけるにも、考えつくにも、早すぎる。才能だけではカバーできない何かが彼女にあるとしか思えない。
「……………ノア。」
戻ってきたユリアが申し訳なさそうに扉から顔を覗かせた。
「危ないことして、ごめんなさい。」
しょぼんと耳と尾を垂らしたように、ユリアは俯いた。
「私の方こそ怒ってごめんなさい。危険だからと遠ざけることで、余計に危険にさらしちゃったわね。」
危険であることを教えなければ、それを避けることも出来ない。それに、もとからユリアにはすべてを教えるつもりでいた。薬だけでなく、毒に関してもだ。
「まずは一緒に初歩的な毒薬とその解毒剤について教えてあげる。おいで。」
「うん!」
ユリアは嬉しそうに駆け寄ってきた。
既に2人の魔女の知恵と術を得た少女が、この先自分を含め全部で6人の知恵と術を手に入れることになる。そのとき、この子の敵になるものはいないだろう。この子が望めばすべてが手にはいるだろう。それはとても、危険だ。
どんなに時間が経とうと、この子は子どもだ。大人になることを拒んだ子どもだ。否、大人になることを阻まれた子どもだ。能力は成長しても、心の成長はどこか止まったようだった。それを、本人が自覚しているとは思えない。短期間という長時間を、本当に理解しているとは思えなかった。
「ちょっとノア!大変!!」
その日はよく晴れていたのに、急に豪雨となった。傘を持って行ってなかったユリアは慌ただしく帰ってきた。その声から、捨て猫でも拾ったのだろうかと思いつつ、タオルを持って出迎えた。
「もう、どうしたのユリア……って、その子?」
まだ、猫だったらよかったのかもしれない。猫なら助けられてもられなくても、そうしようとしたことに意味を見出せた。けれど、ユリアが拾ってきたのは猫ではなく、幼い少女だった。
「帰り道に倒れてて、家には帰れないって言ってて、どうしよう、ノア!」
「とにかく、まずは貴方もその濡れた服を脱ぎなさい。その子は私が預かるから。」
そう言ってノアは少女を受け取り、まず服を脱がせた。濡れたままの服では体力は奪われる一方だ。
「!」
服を脱がせると、そこに現れた白い肌には傷がたくさんあった。新しいものから古いものまで、見ていて痛々しいほどに。
ノアは持ってきたタオルで優しく少女の身体を拭くと、部屋に連れて行った。慌ててユリアも身体を拭いたタオルを身体に巻き付け、あとを追った。
「っ、う……」
ひゅーっと、喉から息が漏れている。とても特徴的な呼吸の仕方だった。額に手を添えれば、熱があることがわかる。
「……………ノア、どうしよう、すごく苦しそう。」
どうすれば助けてあげられる?そうユリアは尋ねた。どんな薬を調合すればいい?どんな魔法を掛けてあげればいい?一つ一つはわかっていても、何が一番適しているのか、ユリアにはわからなかった。
「ここに来るまでにしたことは?」
「っ、」
ノアは何でもお見通しだった。ここに連れてくるまで、混乱に陥って何一つユリアがしていないはずがないと読んでいた。
ユリアは話す。魔法で簡単な治癒術を掛けたこと。それでも苦しそうな表情は変わらず、傷を治す魔法を掛けてみたこと。万能的な解毒剤を飲ませてみたこと。栄養剤を飲ませてみたこと。どれも十分には効かず、今もなお苦しんでいること。
「それで、貴方は何が原因と考えるの?」
焦るな。焦ると判断が鈍る。危険なときこと冷静になれと、ノアはいつも言っていた。冷静になれなかったユリアは、なにが原因であるか考えることを忘れていた。それでも、考えたとしても、出来ることはすべてしたつもりだ。それなのにいっこうに治る面影がない。ならば……。
「毒……?」
それも、簡単な毒消しでは治らないほど強力なものだ。
「大方、魔界で飼われていた使用人ってとこじゃないかしら。毒味に中って捨てられた。」
「そんな!」
こんな小さな子が、そんな形で働き、捨てられるなど、信じたくなかった。
「この子の記憶を辿れば簡単なことよ。その術は……、そうね、またアネモネに聞くと良いわ。」
彼女はそれに長けているから、と言いながらノアは少女の頭を撫でた。
「助けて、あげられないの?」
「言ったわよね、毒には必ず解毒剤が存在する。毒が何かわかればまだしも、いつ何を口にしたかわからない状態で解毒するのは難しい。」
「でもっ」
今にも死にそうな人を、このまま見殺しにすること何て出来ない。震えるユリアを抱き寄せ、ノアは尋ねた。
「………誰かの死に際に接するのは初めてなのね。」
「!」
図星だった。今まで、誰かが死んだところを見たことがない。それは、平凡な人間界の国で生まれ育った故だろう。親戚は近くにいなかったし、祖父母も物心つく頃には亡くなっていたはずだ。その姿を見た覚えすらない。
「傍にいてあげなさい。捨てられた生命でも、貴方がその心を救ってあげればいい。ほら、服を取ってきてあげるから。」
そう言ってノアは部屋を出た。
「……………」
部屋で二人きりとなったユリアは少女の手を握った。
この子に対して、自分がしてあげられることは全部した。もう、何もしてあげられない。出来るのはただ傍にいること。赤の他人が傍にいることが、本当にこの子の支えになるかもわからない。
まだ、自分には出来ることがあるのではないかとユリアは思った。消えゆく生命を、何とかして救ってはあげられないのか。
(私は、7番目の魔女。出来ないことなんて、あっちゃいけないのに。)
限りない可能性を秘めているとみんな言っていた。ならば、奇跡だって起こせるかもしれない。起こせるようにならなくてはならない。
(毒のことに関して、ノアを超えるエキスパートにならなくちゃいけないんだから!)
そして、静かに目を瞑る。
(この子の中の毒……、流れを感じて……)
真っ暗な闇の中で鼓動が聞こえる。流れる血を感じる。そのなかで、この子を侵す穢れたもの。この子ではない、何かで形成されているもの。
(――――――捕らえた!)
見つけた。蠢く闇。捕まえてやる。逃がしはしない!!
「ユリア!?」
「っ、」
強大な力を感じ、ノアは扉を慌ただしく開けた。そこで目にしたのは、少女の中から光が出てきた瞬間だった。ユリアが緑と黒で光るそれを睨みつけると、それはガラス玉のように固まり、現れた小瓶に閉じこめられた。
「あ………」
苦しんでいた少女の息遣いが落ち着くのを感じた。こんなことが、起こせるのだろうか。全く知らない毒を、全く独自の方法で消し去るなど。
「何を、したの?」
毒消しなんて方法じゃない。そんな生ぬるい方法じゃない。これは、魔法だ。魔女の力だ。
「身体の中から毒だけを見出して、抜き取った。」
「…………」
簡単な方法じゃない。それは、ノアでもわかった。やってとげたユリア自身が、一番自覚していないだろう。
(アロウとクロウの知恵と術、そして私の知恵と術を、ここまで使いこなすなんて。)
それはまさに、3人の知恵と術を併せた方法だった。ノアの力を使い毒を分別し、アロウの力を使い毒を見つけ、抜き取る。クロウから習った魔導具形成術でそれを閉じこめる。一朝一夕で出来ることでも、思いつくことでもない。
「あ、……」
「!」
少女が声を出した。かすれる声で、涙を溜めて、そして、笑って……
「ありが、と……」
目を閉じた。
「………………っ、」
毒は確かに抜き取った。けれど、既に体力も、生命も枯れ際だったのだ。遅かった。
「うっ、何で、どうしてっ」
涙がこぼれ落ちる。助けたかったのに、助けられたはずなのに、間に合わなかったことが悔しかった。
「悲しむ必要なんてないのよ。」
そっと肩に手を添え、ノアはユリアを抱きしめた。
「ありがとうって、彼女は言ったわ。笑って言ってくれた。貴方はちゃんと、この子のことを救ってあげられたんだよ。」
「っふ、う、あ……」
嗚咽が漏れる。こんな風に苦しいのは初めてだった。
「うわあああああああああああっ」
どうしようもないくらい悔しくて、悲しくて、ユリアはノアに飛びついた。巻いていたタオルが剥がれ落ちる。まだ髪についていた雫と頬を伝う涙が床にこぼれ落ちた。
外は大雨。そして部屋の中も、ユリアの心の中も、土砂降りの豪雨だった。
それ以降、ユリアは今まで以上に勉強した。毒についても、薬についても、魔法についても。そして、目指すはあの毒の解毒。すべての毒を知り尽くそうとする彼女の執念はすごかった。ときどき、ノアが止めに入るくらいである。
幾年が過ぎたときには、もうノアが教えることはなくなっていた。そして、ノアが解析できなかったあの毒ですら、ユリアは克服したのだ。
「ユリア、忘れてはいけないわよ。」
ユリアの服を整え、髪を撫でながらノアは語りかける。
「毒と薬は紙一重。一匙の魔法を間違えてはいけない。自信を持ちすぎてもいけない。安易に毒を作っては駄目よ。それから、必ず解毒剤を作るまで実験しないこと。」
「わかってる、大丈夫だよ。」
ぎゅっとノアの胸に顔を埋めてユリアは呟く。
「誰かが苦しむ世界なんて嫌だから、私は立派な魔女になるよ。」
それが誰のことを示すのか、ノアにはわかった。名前も素性も知れない、一時の煌めきを見せた少女のことだ。彼女の存在は、ユリアには大きすぎたのかもしれない。
「サフィは幼く見えるけど、魔女としての力は本物だから、頑張りなさい。」
「うん。」
ユリアはノアに笑って見せた。
「行ってきます!」
そして、次の師匠の元へと向かった。6番目の魔女が住む場所へ。新たなる知恵と術を身につけるために。