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No future - 予言の姫巫女 - (前)



「俺の事はお兄様と呼べ!」


 得意気な笑顔は、いつ見ても同じように輝いていた。




   ----




 かっと目を見開くように、少女は起床する。

 頬を伝う生温い感触に指を添えて、また目から涙がこぼれ落ちている事に気付く。

 見飽きた夢を思い出し、「また同じ夢」という言葉も言い飽きた少女は、無言で目を掌で覆った。

 夢への感想の代わりに、口から零れるのは現実への気怠い想い


「うぜーです」


 豪華なベッド、豪華なカーテン、豪華な部屋、豪華な服、その全てが誰もが羨む優雅なもの。

 それでも彼女はそれを見下し、自身のいる世界を呪った。

 彼女は世にも珍しき、『こちらの世界』、『球界テッラ』を嫌う『異界の者』。

 

 姫神美命ひめがみみこと


 彼女は名門の家の魔導士により喚び出された、『伝承の天使』の一人なのである。


 手慣れた簡易な治癒術により、赤く腫れた目元を治し、美命は時計に目をやった。

 いつもよりも一時間ほど早い起床だ。

 それも今日予定されている、『仕事』の備えの為だった。

 そのことを思い出し、改めて呟く。


「本当に……うぜーです」


 美命が身体を起こすと同時に、部屋の扉が音を立てて開いた。


「お早う御座います『姫巫女』様」


 『姫巫女』。

 その呼び名を聞く度に、顔を伏せて、誰にも見えないように美命はいつも舌を出す。

 吐きたいくらいに、耳障りな言葉だ。

 そんな事を考えながら。

 可能な限り押し殺した感情表現を終えて、美命は部屋に入ってきた女従者にうっすらと貼り付けた笑顔を向けた。


「お早う。いつもご苦労様」


 言い聞かせるように、自分に暗示をかけていく。

 私は『姫巫女』。

 世紀の予言者。

 この世界に再び舞い降りた、『世界の救い手』。

 やっと慣れ始めた『そんな顔』。

 女従者の頬がぽっと染まるのを見て、美命は今日も上手く顔を作れた事に安堵の息を漏らした。

 嫌いで嫌いで仕方がない世界。しかし、まだそのことを悟られてはいけない。


「今日もお願いね」

「……はい! 姫巫女様!」


 すっと乱れた襟元を正し、『姫巫女』は起床する。

 どこか神秘的な色を秘めた、穏やかな笑顔と共に。




   ----




「相変わらず、惚れ惚れするような黒髪ですね」


 鏡台に向かう姫巫女の髪を整えながら、『とり』と呼ばれる女従者は頬を緩ませた。

 『姫巫女』。

 それはこの名家の復興の為に喚び出された、昔話から伝わる『伝承の天使』の呼び名。

 かつて、この家に喚び出された女天使に与えられた呼び名を、新しく喚び出された少女にも使っているようだ。

 かつての姫巫女の遺品を触媒に、喚び出したのが今の姫巫女。

 持った力も、彼女と同様に『未来予知』。

 

 しかし、当主の企みなど知らぬ鶏は、そんな力よりも、彼女の美しさに心を奪われた。


 艶やかな黒髪。物憂げな黒い瞳。穏やかに笑う唇。今にも壊れてしまいそうな繊細さを感じさせる肌。

 現姫巫女、姫神美命には、儚い美しさがあった。

 本来ならば触れるのも叶わない美しい黒髪に櫛を通す。

 すっと流れる櫛の感触を噛み締め、それだけで鶏は彼女に仕える喜びを感じる事ができた。

 その黒髪を褒めると、鏡に映る姫巫女の表情はほんの少しだけ緩み、白い頬はほんのりと桃色に染まった。


「ありがとうございます」


 姫巫女は、些細な事でもお礼の言葉を与えてくれる。

 それが堪らなく愛おしくて、さりげなく黒髪を撫でながら首筋にそっと触れる。

 気付いているだろうか、と僅かに鶏は不安になるが、姫巫女の表情は変わらなかった。

 冷たい首は、驚く程に細い。簡単に折れてしまいそうな程に。


 それを改めて確認する度に、鶏は胸が締め付けられる。


 今日は姫巫女の『仕事』の日。

 こんなに儚い少女が、あんな『過酷な世界』に駆り出されている。

 そう思うと、鶏はいつでも涙が零れそうになった。

 こんな少女を危険に晒すこの家が憎い。

 しかし、生きる為に、そんな家に何も言えずに仕えている自分がもっと憎い。

 髪を整える手が止まる。

 すると、いつでも姫巫女は微笑み、言うのであった。


「私は大丈夫です」


 胸が締め付けられる。

 少女が『あの日』以来、一度も泣いていない事を鶏は知っている。

 少女の兄が亡くなった『あの日』。

 壊れてしまうかと思う程に泣きじゃくっていた少女の面影はそこにはなかった。

 髪を結い終わり、鶏は顔を伏せてぽつりと呟く。


「……どうかお気をつけて」


 着付けも既に終わっている。

 準備は全て整った。

 姫巫女は「ありがとう」と、一言告げて立ち上がった。

 そして、傍らに置いてあった錫杖を手に取り、鶏の方を向かずに言う。


「では、行きます」


 錫杖を握った後ろ姿は、とても凜々しくて……

 今まで触れていた彼女が途轍もなく遠くにいる存在なのだと、鶏に感じさせた。




   ----




 傍らに治癒術士の男女二人組を立たせる骸骨のような老人は、椅子に深く腰掛けたまま目だけを動かし姫巫女を見つめる。骨と皮だけの今にも事切れそうな老人にしては、威圧的な視線と、重々しい空気は周囲の者を否応なしに黙らせた。

 唇を微かに動かす老人。二人の治癒術士の他にもう一人立つ、初老の男がそれを確認してから、姫巫女に告げる。


「準備は整ったか?」

「はい当主様」


 短い返事だけを返して、こくりと頭を垂れる姫巫女。

 それを見つめる老人は、満足げに唇を僅かに歪ませた。

 老人も、その場に立ち会う者達も気付いてはいない。

 垂れた頭の舌で、苦々しい顔で舌を出す姫巫女の表情に。

 ほんの少しの静寂の後、姫巫女は涼しげな顔を持ち上げ微笑んだ。

 次に声をあげたのは、その場で二番目の立場にある男。

 既に自由の利かない現当主に代わり、この家を預かる男、ラクーン。


「既に付き人の用意は出来ている。三人と連絡役が一人だ」


 姫巫女の『仕事』において、付き人がつけられることは常である。

 しかし、『三人』という人数は、特別な意味を持っていた。

 今日の仕事は所謂『荒事』。危険の伴う仕事だという事だ。

 既に『仕事内容』を知っている姫巫女は、はい、と澄ました返事を返す。

 『三人』という言葉にざわめくのは、その場に居合わせた従者達のみであった。


「今日は特別な日だ。くれぐれも失敗などないように」

「存じておりますラクーン様。既に『視て』おります故に」


 実のところ、『仕事内容』は姫巫女には一切告げられていない。

 今までも、それは当主により決められ、内容を姫巫女が聞かされるのは現場に赴いてからの事だった。

 現時点で内容を知るのは、当主と次期当主のラクーンのみ。

 危険な任務から逃れられる事を厭う、当主の方針だ。

 当然、未来を見通す姫巫女にとっては、意味のない事であったが。

 先代の姫巫女の時にも行われていた形式に、現当主は拘っていた。


 ――頭の固い野郎です


 心の奥底で毒づき、姫巫女は舌を唇で閉じ込めた。

 素直に従う振りをして、姫巫女は吐き気の止まらない空間にとっとと背を向けた。

 重苦しい空気の中、その背中を心配するように見守る視線は少なくなかった事に、姫巫女は気付いていない。




   ----




 屋敷を一歩踏み出した所で、姫巫女の背中を聞き慣れない声が呼び止めた。

 少し甲高い女の声だ。


「どもッス姫巫女様! 本日もご利用有り難う御座います!」

「……知ってはいても相変わらず不思議です。どうしてあなたのような下品な方が毎回私の仕事のサポートを任されるのか」


 振り向けば、『今日の姿』は年端もいかない少女だった。

 姫巫女として仕事に出向く際、必ず彼女のサポートにあたる『連絡役』。

 緑色の髪やボロ布のような服、という特徴は大きな意味はなく、何よりも重要なのはそのフランクな口調と形は違えど、必ず身に着けている『マスク』だ。

 今日は、目元だけを隠すシンプルなマスクをつけた連絡役は、にひひと笑ってもたれかかっていた屋敷の壁から身体を動かす。


「そりゃまっ、現当主様はお許しな筈ないッスよ。お言葉の通り、下品な貧民など使うかっ! みたいな感じッスね。私を毎回雇って下さるのは次期当主様ッス!」

「……ラクーンが?」


 意外な名前、とはいえ既に見通していた言葉だったが、取り敢えず尋ねなければならない。

 面倒だ、と思いながらも尋ねると、連絡役は「はいッス」と頭をへこへこ下げた。


「いやぁ、名家のお偉い様からお仕事貰える機会なんて少ないッスから助かってるッス! 私ら『情報屋』ってのは、なんでかお偉い様には嫌われるタチでして!」


 『情報屋』。

 それが連絡役を請け負う、少女……あるいは『彼ら』の正体だ。

 『今日の姿』と言う通り、彼らの姿は毎日のように変わり、姫巫女の仕事を請け負う際も、一度として同じ姿であった事はない。

 今日は貧しい少女の姿だが、以前の仕事の際は紳士風の中年だった。その前はチンピラ風の青年であったかと思えば、落ち着いた雰囲気の婦人という事もあった。

 しかし共通して、『何らかのマスク』で顔を隠し、『同じ口調』で喋る。

 彼らは自分達を『ユーサリマ』と名乗った。


「次期当主様は、流石は現場育ちの実力派エリートってだけあるッスよ! 『使えるものは何でも使う』、そんな姿勢には侮れない所があるッス!」

「それは暗に『私は使える人間ッス!』……と言っていると受け取って宜しいのですか?」


 ふんと嫌味を飛ばす姫巫女。

 返される言葉は、腹立たしいが予想がついている。

 だから彼女は、嫌味を言いつつ、浮かない表情を作っていた。


「分かってるくせに」


 分かっててもカチンとくる。

 得意気な笑みと共に吐かれた一言。


「使えるッスよね、私? 言っときますけど、謙遜とかしないッスから。優れた商売人は、自分を安売りしないもんッスよ」

「……ちっ」


 舌打ちしつつ、美命は錫杖をぶんと後ろに振る。

 おっと、と躱すユーサリマ。


「ちょっ、危ないッスよ! こんな幼気な少女に何するッスか! でも、未来が見える姫巫女様でも、攻撃を外す事ってあるん……」


 後ろに飛び退いたユーサリマのかかとが、地面にあった木の根に引っ掛かった。

 そのまま勢いに任せて、少女の身体が後ろにずでんと倒れる。

 間抜けな「ぷぎゃっ!」という悲鳴と共に、姫巫女の予想通りにユーサリマは転倒した。


おもい通り」

「…………流石ッス」


 今度は得意気に見下ろす美命。

 その顔を見て、苦笑いしながらユーサリマは頭を下げた。簡単な謝罪の意も込めているのだろう。

 立ち上がったユーサリマは、パンパンと服を叩きながら姫巫女に歩み寄る。


「まぁ、取り敢えず世間話はこのくらいで。一応今は挨拶ッスから、また現地で会いましょう」

「向こうでは誰が対応して下さるのです?」


 大体の場合、ユーサリマが屋敷のすぐ傍で待っている時は挨拶が目的である事が多かった。

 『仕事』を手伝うユーサリマは、現地で既に待っている事が多い。

 美命は勝手に、『ユーサリマ』というのは情報屋組織の名称なのだと考えていた。

 『考えていた』というのは、彼女の未来予知をもってしても、ユーサリマが自身の素性を明らかにする未来の光景が見つけられなかった為、あくまで推測でしかないという意味である。

 数少ない、美命にとって『思い通り』にならない油断ならない組織である。

 そんな彼女の思考を知ってか知らずか、ユーサリマはにまりと笑い、答える。


「誰も何も……私、『ユーサリマ』に決まってるじゃないッスか。でもま、今回はおたくにとってもお偉い様が相手と聞いてますし、お気になさらずとも身なりには多少気をつけるッスよ」


 あくまで組織である事を誤魔化そうとしているユーサリマ。それとも本当に組織ではないのか。あらゆる探りのパターンを辿っても、答えは見つからないので美命はこれ以上触れる事をやめた。


「ま、お互い無事に乗り切りましょうや。では、また!」


 素早くユーサリマは駆け去った。

 それに入れ替わるようなタイミングで、今度は聞き慣れた声が耳に入った。


「ユーサリマと話していたのか?」

「……ラクーン様」


 来る事を知ってはいたが、実際にそれが来ると気分が曇る。

 次期当主、ラクーンが屋敷の中から顔を出す。

 未来を見通す彼女にとっても、意外と言えば意外だった。

 にこりと笑って、美命は頭を下げる。


「これはこれは。腰は重くないのですか?」

「……まあな」


 ふぅ、と溜め息をつき、ラクーンは静かに答える。

 比較的温厚なこの男は、美命の時折見せる嫌味な面にも文句一つ言わなかった。

 しかし、昔はかなりの荒くれ者だったと美命は聞いている。

 彼に対して生意気な口をきけるのも、未来を見通し、差し障りがない事を事前に知れる彼女の特権であった。


「しかし、ユーサリマ……あの狸め。油断も隙もない……余計な事は吹き込まれなかったか?」

「挨拶しただけですよ。それよりわざわざ顔を出して何用です?」


 ラクーンが答えるまでもなく、美命は答えを知っていた。

 未来おもい通りの答えが当然返ってくる。


「……気をつけていけ」

「……はい。分かってますよ。顔を売る機会ですもんね」


 再びラクーンが深く溜め息をつく。

 この男が否定しない事も、美命は知っている。

 あの老人よりかは幾分かマシだが、彼もまた彼女が憎む『この世界の人間』の一人に違いなかった。


「ではこれで。生きて戻れたらまたお話致しましょう」


 ラクーンが顔をしかめた。

 ふん、と鼻でその様を笑い、美命は背を向ける。

 『生きて戻れる未来』しか見えていない彼女が、生きて戻れたらという言葉を使う理由はひとつ。

 ただの嫌味。

 それでラクーンが苦い表情をするのを分かっての行動だった。


「はぁ、うぜーです」


 迎えに来た馬車に乗り込みながら、ぽつりと美命は呟く。

 馬車の中には誰もいない。それを分かった上での悪態だった。




   ----




 未来を見通す力。

 それを求める者は多い。

 今回の彼女の『仕事』もまた、その能力を求められてのものだった。

 依頼主はヴォラス王家に代々仕える、名家のひとつ。

 内容は『護衛』である。


「とある筋から仕入れた情報でね。その確度を量る事も含めて依頼したのだが……」


 姫巫女の護衛三人は息を呑む。

 予想はしていたが、やはり荒事。

 依頼を出した男の値踏みするような視線に答えるように、姫巫女は垂れ絹で隠した口から声を漏らした。


「『暗殺は計画されています』。姫巫女の名において予言致します」


 即座に出された答えに対して、依頼者の男が目を細めた。

 場に緊張が走る。


「……お噂はかねがね聞いておりますよ姫巫女様。しかし」

「『証明しろ』、ですか? 宜しいですよ。コイントス、受けて立ちます」


 今度は依頼者の男は目を丸くした。

 言葉を遮られ、言葉を読まれた。

 更には、この先に提案しようとしていたコイントスのゲームまで読まれていた。

 この時点でも、この姫巫女という女の『先読み』の才を認めるに十分な証明だった。


「これは参った。既に見通されているのかな?」

「『表』。ガルデニャの花が描かれた面が上を向く」


 男が手に握り隠していたコインをぽいと放り投げたのは、決してコイントスを実行しようとした訳ではなかった。それはこれ以上の証明が必要ないという意味を込めての行動でしかない。

 しかし、男がコインを放り投げる瞬間に、姫巫女は言う。

 かつんとテーブルを跳ねたコインは、花の描かれた面を上にして動きを止めた。


「『お見事。疑って申し訳なかった。信じよう』」

「おみ……」


 先読みされ、男は完全に口を止めた。

 垂れ絹で覗えぬ、姫巫女の表情。

 その不気味な無表情から、しっとりとした声が響く。


「お気になさらずに。謝意など要りません。『未来を見通す』など、馬鹿げていますもの。それは神の所行と言っても過言ではありませんわ」


 自身の力を『馬鹿げている』と評し、姫巫女はその上で告げる。

 

「その馬鹿げた事を成すからこそ、神の所行を体現するからこそ、私は『姫巫女』と呼ばれるのですから」

「気に入った」


 呆然としていた依頼者の男は一転、笑みを浮かべて席を立つ。

 

「ようこそ姫巫女様。それではお通ししましょう。我らが主の元へ」

「その必要はありません」


 男の背後から声がした。びくりと緊張したように、一瞬肩を揺らした男。

 声の主は年端もいかぬ少女のもののようだった。

 傍らに男を一人、女を一人従えた紫色の髪の少女に、依頼者の男は膝を折る。


「無礼はおよしなさい、グリト。彼女は『奇跡の再現』。知る人ぞ知る奇跡そのもの、『姫巫女』の継承者。たとえ家の立場が変わろうとも、その事実だけは変わりません」

「ユユイ様……申し訳御座いません」

「それは私に向ける言葉ですか?」


 ユユイ。

 そう呼ばれた少女は、少女らしからぬ威圧をもって、場の空気を震わせた。

 重々しい空気は、年季の入ったあの老人に引けを取らない。


「……も、申し訳」

「謝意は必要ありませんと申した筈です。お気になさらずにグリト様」

「……下がりなさい。グリト」

「……はっ! し、失礼致します!」


 そそくさと、逃げるように客間を去るグリトという依頼者の男。

 緊迫した空気の中、二人の少女が目を合わせた。

 とはいえ、垂れ絹で隠された姫巫女が、果たして本当にユユイと目を合わせていたのかは疑問であったが。

 少女、ユユイは柔和に微笑み、腰を折る。


「わたくしからも無礼を詫びさせていただきたい。申し訳ありません、姫巫女様」

「いいえ、ユユイ様。グリト様が思っていた『立場』は間違いなどでは御座いませんよ。そこははっきりさせておくべきでしょう」


 姫巫女はくすりと笑った。


「『私共が下、貴女方が上』です。メランコリア家当主、『王冠』ユユイ・メランコリア様」


 席を立ち、姫巫女がテーブルを周り、ユユイに歩み寄る。

 膝を折り、頭を垂れる姫巫女を見下ろし、ユユイは口元の笑みを消した。

 

「立場……ね。まぁ、あなたがそう仰るのなら良いでしょう。しかし、今はそんな話はどうでも良い」


 ユユイが再び口元だけで笑う。

 今度はほんの少し、彼女の中の闇を映し出したように。


「期待していますよ。『姫巫女』ミコト様」





   ----




 『メランコリア』。

 ヴォラス王家により与えられた『王冠』の称号を冠する一族の呼び名である。

 一族を表す『氏』という称号は、世界各国共通して王家から与えられるものである。

 その働きと重要性を認められた一族のみが名乗る事ができる、一族を表す呼び名は、持てるだけでも地位の証明となる。


「没落貴族の家系にチャンスを与えるなど……ユユイ様はどういうおつもりで?」

「オルグリオ」


 ユユイの傍らに付きそう男、オルグリオを窘めるのは、同じく彼女に付き従う女、アマーベル。

 アマーベルを手で制し、「よい」と一言だけ告げたユユイは、ワイングラスに注いだ水に口をつけた。


「オルグリオ。君の言う言葉も理解できぬ訳ではない。確かに、過去の栄光に縋り続ける落ち目の家に頼るなど、あり得ぬ話よ」

「……では、何故!」


 オルグリオは不満を露わにしていた。

 彼はユユイに仕える側近。彼女の最も優れたコマのひとつである。

 故にそのことに彼はプライドを持っている。

 何処の誰とも知らぬ、没落貴族の輩に、『ユユイの護衛』を依頼するという事が気に食わないのだ。

 自分さえいれば事足りる。そんな彼の意思を汲み取りつつ、ユユイはワイングラスをゆらゆらと揺らす。


「確かに君一人で暗殺者の対処など事足りてきたよオルグリオ。それはこれからもだ。そもそも暗殺などという『些事』にいちいち取り乱しているようでは私には一生安息の時など訪れない」


 何故、と食らいつくオルグリオの口はこれ以上は開かなかった。

 ユユイからの信頼の言葉が聞けただけで、彼は満足してしまった。

 これで話を終わらせても良かったが、夜もまだ長い。ユユイは続けて口を開いた。


「良くない噂がある」


 ユユイがグラスをに視線を落とす。


「『天使の伝承・召喚の儀』」


 ぴくり、とアマーベルが肩を弾ませ、瑠璃色の瞳をぎょろりと動かした。

 オルグリオもまさか出てくるとは思わなかった意外な言葉に固まった。


「……それはアレですか? あの眉唾物の禁術の事ですか?」

「それ以外に何がある?」

「それが一体……?」

「君は察しが良いのか悪いのか分からないなオルグリオ」


 『天使の伝承・召喚の儀』。

 球界テッラにかつてから伝わる、お伽噺のような魔法の儀式。

 世界を救う偉大なる『天使』を召喚する召喚術を指す。

 天使の力は圧倒的で、従えた者は世界すら手にする力を得ると言われている。

 当然、お伽噺としか思えない非現実的な話に、オルグリオは呆れたのではない。

 ただのお伽噺のような『それ』に手を染める事は、このヴォラスでは違う意味を持っていた。

 そして、ユユイが告げるひとつの予想は、決して笑って聞いていられないものだった。


「『姫巫女』ミコト。あれが『伝承の天使』であるという噂を耳にした」

「馬鹿な!? あれは王家によって触れる事すら禁じられた秘術! それを実行したとなれば、タダでは済まない筈でしょう!?」


 ヴォラスにおいて、名家の間でよく知られているひとつの重大な掟。

 『天使の伝承に触れるべからず』。

 ヴォラス王家は厳しく『天使の伝承』を取り締まっていた。

 たかがお伽噺でしかない儀式に、何をムキになっているのか。

 それが『お伽噺』ではない事を、ヴォラスの上位に立つ人間達は知っている。


「それに……あんな嘘か本当かも定かではない儀式を、あんな落ち目の家がどうやって……」

「そんな事はどうでもいい。過程に何の意味がある? 重要なのは結果だ。『もしも、姫巫女が伝承の天使であったら』」


 オルグリオは即答する。


「当然、王にその身柄を引き渡すべきです」

「分かっていないなオルグリオ。『もしも、姫巫女が伝承の天使であったら』。王などにあれを制御できるものか。伝説にまでなっている『アレ』は、そんなレベルの存在じゃない」

「……では、どうするのですか?」


 ユユイが紫色の髪を指で遊ぶ。

 遠くを見るような紫色の瞳が、オルグリオをぎろりと睨んだ。


「当然、仲良くなりたいな。お茶でも楽しむ仲になれれば上出来かな」


 少女らしい言葉、しかし声は低く威圧的なものだった。

 決して素直な意味がそこに表されているとは思えない。

 

「王への口添えなど安いものだ。『姫巫女とのコネクション』。その対価としてはあまりにもな」


 ごくり、とオルグリオが息を呑む。

 

「まずは『見定める』。その力、本質、じっくりと見せてもらおうじゃあないか」


 グラスをことりと机に置き、ユユイは唇を舐めた。

 水面には、怪しく輝く紫色の瞳が映る。

 全てを『見定める』ような瞳に、オルグリオは恐れを抱き、アマーベルは見惚れていた。


「姫巫女。お前の隠した瞳の色は何色だ?」





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