3.開幕――氏族の土台(後)
大地に龍の力を注ぎ込み、無尽蔵の水源が姿を現す。大きな池にしか見えないが、龍の力が宿るそれは決して枯れることは無い。
「龍湖は一先ず完成か」
【ツギはスむバショだね】
「俺一人ならそこのうろ穴でもいいんだがなぁ」
大人一人が何とか寝転がれそうなうろ穴を指差す男に、白い龍は呆れた様に言う。
【ニンゲンじゃなくてケモノみたい】
「しょうがねぇだろ、氏族が潰れちまったんだからよ!」
【だったらさ】
「あん?」
【ノっトろうよ。クラン】
ちょっと散歩に行こう。そんなノリで紡がれた台詞に男は言葉を失った。この龍は何を言っているのだろうか。乗っ取る? 氏族を? 無茶だ。
氏族とは一つの群れだ。突出した力すら持たない凡人に数の不利など覆せない。
「頭沸いたか?」
【ベツにタタカってノっトるわけじゃないよ】
「……んなことできんのかよ?」
半信半疑。反戦争主義者でもそんな寝言は言わないものだ。氏族は欲しいが戦いたくないなど、男の価値観にしたらそんなヤツは人間以前の問題だ。いや、そんな生物などこの世に存在しないとさえ豪語するだろう。
仮にそんな主張を振りかざそうものなら容赦なく囲まれるのがオチだろう。甘いとすら言えない愚の骨頂。それをあろうことが自分の龍が言うのだ。
「そんな甘い世の中じゃねえぞ」
【ダイジョウブだって。カンガえがあるの】
そこまで言うならやってみろ。自信満々な白い龍に対して、男が言えるのはそれだけだった。
そして――結論から言えば。
『あなた様に服従します!』
森の奥地を縄張りとしている氏族の乗っ取りには成功した。
【あっはっはっは!! じゃあこのクランはモラうね】
【まさか、こんな小娘に――ワシが負けるとはッ!!】
男は失念していたのだ。龍にとって氏族とは替えのきくものであると言うことを。
「……」
問題なく氏族を乗っ取った。憎しみも戦の傷跡もなく、無傷で全てを手に入れたのだ。それは喜ぶべきことだ。
――勝負方法が龍達の大食い対決で無ければ、の話だが。
「何でそんな勝負で氏族を賭けられるんだよ?」
それこそ愚問。答えは一つ。
【それが好みだからだ】
男の呟いた声に年老いた濃紺の龍が言う。氏族を奪われたと言うのにその顔は穏やかだった。
【ワシに大食いで勝てるやつなど居らぬと、そう思っていたがどうやら自惚れだったようだよ】
「負けて奪われたってのに、言いたいことはそれだけか?」
もっとこう、何かあるだろ。恨み辛みとか。しかし龍の口調は荒れることすら無い。
【またやり直せばいい】
結局のところ、龍と人間とは違う生き物だ。当然価値観も違う。
「……そうかよ」
苛立つほどに隔たりがある。人間は生きるのに精一杯だが、龍には余裕がある。娯楽を嗜むほどに。氏族など龍達の娯楽の一つでしかない。
分かっていた。龍は神だ。これも言ってしまえば神の気紛れだ。
【こんなオオきいタマゴ、タべるのハジめてだよ】
【こっちの酒もいけるぞ。器用な人間に造らせてみたが、実に旨い】
盃を交わす龍達を見て男はため息をこぼす。何で人間は龍に頼るのだろうか。決まっている。生きるためだ。
龍が居なくては水源が無い。水が無ければ人間は生きていけない。簡単な、それこそ子供でも分かることだ。
龍湖にしても龍が近くに居なければ赤く濁り毒となる。この世界における天然の水源とは死んだ龍湖に他ならない。
「享楽の字……」
「ん?」
男が龍を眺めていると、乗っ取った氏族の長が話しかけてきた。
「我らの龍ですよ。享楽のエンカルヴィ」
「あの黒っぽい龍か」
「えぇ。我らの龍の行動原理は美食だそうです」
その日一日の食べ物を得ることすら難しい人間にとっては決して理解できない考えである。
「あなたにとっては大した事じゃないのかも知れません。ただ、我らの龍は美食とやらに命を賭していたと常々話しておりまして」
「あの龍が、ねぇ……」
傍目には楽しそうに酒盛りをしているだけにしか見えない。あの龍も心の奥底では涙を流して……いるかどうかはともかくとして。
「龍ってのはワケが分からねえな」
「そんなもの、今更じゃないですか」
長の言葉に男は笑う。違いないと。
だが笑ってばかりもいられない。男には一つ問題があった。
「ところで何とお呼びした方が良いですかね?」
「……あ」
基本的に人間に名前は無い。これは人間が龍の財の一つとされている事に由来するものだ。龍にとって人間とは人間以外の何者でもないと言うことだ。
だが例外として氏族の長と長を補佐する数人には名が与えられる。人間にとって名を得るとは神に選ばれるに等しい栄誉であるのだ。
「あ~、そうだな」
男の顔に汗が浮かぶ。それだけで何も考えていなかったと語っている。
「ちなみにお前は何て名前だ?」
「カザです」
カザというのは長が代々受け継いできた名前である、と嬉しそうに語る。
男は唸る。目の前にカザが存命している以上、その名前を新しい長になったからと言って名乗るわけにはいかない。
【じゃあディードなんてどうかな?】
「賊ってお前、喧嘩売ってんだろ?」
無精ひげに毛皮のコート。それに強面とくれば白い龍がそう命名したくなるのも頷ける。男にとっては迷惑でしかないが。
【ジブンのイバショをウバったクランにフクシュウしないの?】
「ぐっ!」
【ジャクシャだったジブンをカえたくないの?】
「……このっ!」
【ハシャとしてナをノコせるよ?】
「――ッ!」
白い龍は甘言を男へ流し込む。一言一言が男の欲望を引きずり出す。そして最後の言葉。
名を残す。未だかつて人間が名前を残したことなど無い。閉じた世界で完結している人間にとって、他の氏族なんて知ったことでは無いのだ。
龍にしても自身が満たされれば良いと考え、現状維持に腐心する者が大多数だ。他の氏族を襲う者は少ない。ただ、龍の数が多いので少ないといっても慰めにはならないが。
殺し殺され、その中で名を残せるような人間は居なかった。残す名前を持たない者が9割なので当然と言えば当然だ。そんな前人未到の功績を立ててみないかと白い龍は男に言い放ったのだ。
【ねぇ、ディード】
「……」
【ノコさせてあげる、あなたのナマエを。だからあなたはわたしにクモツをササげてほしいの】
「ご馳走云々って言ってたあれか?」
【それはもうたくさんタべたからいいや】
「じゃあ何が欲しいってんだ?」
【ゼンブ。このセカイがほしいの。だからね、ディード。ハシャになってわたしにセカイをチョウダイ】
龍が求めるものは各々によって違う。だが、この白い龍は今までの龍とは求めるものが違いすぎた。まるで天が代わり映えの無い世界に飽いたかのようだ。
この一言が世界を混沌と言っていい魔境へと変じさせる魔法の言葉となったのだ。
「……とんでもねぇモンに拾われちまったぜ」
【だめ?】
「最初の約束通りだったらすんなり頷いたんだがなぁ」
【じゃあまたウバわれたいの?】
「何でこう、お前は痛いところを突っつくかねぇ?」
強奪を二度も許容してやるほど男――ディードの器は広くない。今度こそは奪われてたまるかとその目に強い意志を宿す。
「やってやろうじゃねえか」
ディードは頷く。名を残す前人未到の偉業と、二度とあの屈辱を舐めないために。その決意を白い龍は笑って聞いていた。
守護するソロア――そう後に字される白い龍。彼女こそ全てを奪う賊を護り世界を手中に収めた邪龍である。
一先ずここまでがプロローグです。
またある程度書き溜めてから更新しますので、大分不定期です。
多色の方も何とか書きたい……しかし、ネタが浮かばない。