2.開幕――氏族の土台(前)
人間が龍と共生するメリットは二つ。
一つは龍印の下に氏族を結成できること。龍の御旗に集う同志を集めることができる。
もちろん龍印が無くとも仲間を集めて氏族を自称することはできるがそんな輩は滅多にいない。
もう一つは龍湖が使えることだ。龍湖とは龍が創り出す湖のことで、氏族だけが使うことの出来る無尽蔵の水源である。
そしてこの世界には龍湖以外に人間が使える水源が存在しない。天然の水は猛毒であり、一口含めばそれだけで死に至るほど。とは言え、無色透明な龍湖の水と違い天然の水は赤い。見分けることは容易だ。
ともかく。龍とは人間にとってなくてはならない――言ってしまえば神にも等しい存在なのだ。
「それで、今のお前に龍湖が創れるのか?」
【ここじゃムリ】
「だろうな」
木々が邪魔で湖を創り出すための場所を確保することができない。しかし森から出てしまえば襲ってきた氏族の領地だ。見つかればどんな目に遭うか分かったものではない。
「伐るしかないわな」
【ドウグあるの?】
「……」
頭を抱える男。身一つで逃げてきたのだ。伐採道具など持っているはずが無い。とは言え早いところ龍湖を創らなければならない。
水源がなくては生きることすらままならない。
「お前は木とか引っこ抜けないのか?」
【ヒトのテがハイらないとツクれないんだよ~……】
「あ~、それもそうか」
そもそも龍だけで龍湖が創れるのならこの世は水源に満ちている。それでは意味が無い。
氏族が水源を有するからこそ、人間が惹かれてやってくるのだ。庇護を求めて、あるいは戦を求めて。
「木の実の水分で誤魔化すのも限界があるし……」
【ウバう?】
「馬鹿言うな。俺一人で勝てるんならそもそもお前と出会ってねえよ」
戦に負けたから二人は出会った。じゃあ今から他の氏族に殴り込みをかけましょう、とは当然いかない。
「どうすっかなぁ……」
ふと周りを見ると一本の木が男の目に留まる。ただの木だ。奇妙な傷がある以外は。
【どうしたの?】
「氏族に居た時にちょいと聞いたことがあるんだが、氏族の人数が少ない時は外敵から守ってくれるんだよな?」
【うん、ヒャクニンイカならマモってあげるよ。"ニンゲンイガイ"からね】
「そうか、それなら……」
【なんとかなる?】
「……かも知れん」
まるで"食い破られた"かのような抉れ傷を見て、男は不気味な三日月を口に描いた。
◆
【セイザ】
「バカ野郎! アイデアの勝利だろうが!」
【セイザ!】
「はい」
二時間後、そこには頬を膨らませた龍とちょこんと正座をする無精髭の男がいた。周りの木はまるで嵐が過ぎ去ったかのようなありさまだ。
抉られ、折られ、燃やされ、食われ……ただ一つ言えることは"伐られた"木は一本とてないことか。
【シツモン。あれはナニ?】
「虫の死骸だろうが」
【あれはナニ?】
「……デカい虫の死骸だろうが」
【あれはナニ?】
「…………ワームの死骸、です」
怒れる龍の問いに力なく答える男。倒れた木が散乱する中、巨大なミミズの死骸がいくつも転がっている。
翼のない龍とも呼ばれる魔物、ワームである。人間からすれば生きた災害でしかないが、龍にとってはそれこそミミズである。
現にこの白い龍はワームの群れを苦も無く一捻りだ。人間とは生物としての格が違う。その強さもバカバカしい程の差がある。
人間は龍に勝てないのだ。どう足掻こうとそれだけは変わらない。
【シにたいの?】
「死にたくねぇ、です」
【じゃあムチャはヤめてね?】
「……できるだけ」
やったことは"言葉にするだけなら"簡単だ。ワームを見つけ、自身を餌に誘き寄せ、邪魔な木を片っ端から食って貰い最後は龍に討伐してもらう。
人手も道具も要らないスマートなやり方だ――とでも男は思っているに違いない。
白い龍の尻尾が男の身体を掠るように叩き付けられる。地面が抉れたというのに男の毛髪が風で靡く事すら無かった。
男の顔に冷や汗が流れる。それが止まることは決してなかった。生きた心地などしなかっただろう。
【ナニ? キこえない】
「全力で誓いますッ!」
【だったらいい】
氏族を作る前に死ぬんじゃなかろうか。男は小さく呟いた。龍の機嫌を損ねればどうなるか、それが分かる一幕である。
しかし忘れてはいけない。これでも大分優しい方である。
それこそ食い殺されても文句は言えないのだ。龍は氏族を重宝してはいるが、同時に消耗品とも考えている。
人間にとってはたまったものではないが、残念ながらこれが人間と龍の考え方の違いである。
当然、そんな事を男が知る由も無いのだが。