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神様の育て方

1 神様の育て方。


 「今日ね、一人で坂の下まで行けたんだよ」

 「おや、えらかったねー」

 咲き残るかすかな梅の香りが陽だまりの斜面をのんびりと昇ってくる。

 眼下には横須賀の海が広がっていた。

 二つ三つ小さな雲が張り付いた青空に、かもめが目の高さに舞っている。

 ここは、見晴らしのよい二階の物干し台である。

 由紀子はお婆ちゃんに抱かれてのんびり日課の日向ぼっこである。

 もうすぐ由紀子は近くの幼稚園へ入園してしまう。

 孫との時間が少なくなるようで少し寂しい。

 由紀子の頭へ顔を寄せ細いしなやかな髪のにおいを吸い込んでみた。

 由紀子の住む家は海を見晴らす山の中腹にあり、物干し台からは海を一望することができた。

 天気のよい日には日向ぼっこをするお婆ちゃんの膝の上でいろいろな話をしてもらった。

 「幼稚園に入ったらね、あの坂を一人で上がったり下りたり出来なきゃ駄目なんだって」

 「そうだね、もうすぐユキちゃんも幼稚園だものね、はやいねー」

 「本当は、ママが送ってくれるんだけど、ママが忙しいときには一人でお迎えのバスまで行くんだよ」

 「それじゃあね、お婆ちゃんがいいことを教えてあげようね」

 由紀子の頭をなぜながら、お婆ちゃんは何か心に決めたことでもあるように由紀子にゆっくりと話し出した。

 「どんなこと?」

 由紀子は顔を真上に向け、お婆ちゃんの顔を下から覗き込んだ。

 「あのね、神様の育て方」

 「かみさまのそだてかた?」

 お婆ちゃんは由紀子の目を覗き込むと少しにっこりと笑い、また海のほうへ視線を戻しゆっくりと話しはじめた。

 「坂の途中に小さなお家みたいなのがあったでしょう」

 「うん、知ってるよ神様のおうちでしょ、ママが言ってた」

 「そうそう、ユキちゃんこれから毎日、あの神様のおうちの前を通るでしょ」

 「うん」

 由紀子の家への坂道の途中には小さな石の祠が祭ってあった。

 「その神様のおうちにはね、小さな神様が住んでいるの」

 「ちっちゃい神様?」

 「そう、小さな小さな神様」

 「ふーん」

 どこかで鶯の芝鳴きが聞こえていた。

 「ユキちゃんと同じ子供の神様がね」

 お婆ちゃんは由紀子の髪の毛をなでつけながら、ゆっくりと話を続けた。

 「これからユキちゃんは幼稚園へ行って、それから小学生になって、大人になるまで何回もあの神様の前を通るでしょ」

 「うん」

 風はまだ少し冷たかったけれど、陽だまりの物干し台は暖かな光に包まれていた。

 「お出かけのときや、幼稚園に行くとき神様の前を通ったら必ず何かお願い事をしてから坂を下りるのよ」

 「お願い事って、どんな?」

 「何でもいいんだけどね、二つだけ大切なきまりがあるの」

 「きまりって?」

 「まず、一つ目は、必ず叶うお願いをすること」

 「必ず叶うお願い?」

 「そう、大切なことなの」

 遠くで船の汽笛が聞こえていた。

 『パパのおふねかな?』由紀子はお婆ちゃんの話を聞きながら、そんなことも思っていた。

 由紀子の父親は、海上自衛官である、一年のうち半分以上を船の中で暮らしていて、家へ帰ってくることは少なかった。

 「二つ目はね、必ず叶うお願いをして下りたんだから、帰ってくるときにはお願いは叶っているでしょう」

 「うん、そうだね」

 「だから帰りには、お願いを叶えてくれたお礼をするの」

 「おれい?」

 「そうよ、心の中でね、願いが叶いましたありがとうございました。ってね」

 「でも、どんなお願いをすればいいの?だれだれちゃんに会えますようにって?」

 「うーん、それじゃあその子が休んじゃったらお願いは叶わないでしょ、だから、みんなに会えますように。ってすれば」

 「あー、そうか」

 「大切なことは、必ず叶うお願い」お婆ちゃんは少し力を込めて言った。

 「必ず叶うお願い」由紀子は少し難しそうな顔で反復した。「でも、どうしてそんなお願いをするの?」

 「ユキちゃんはお母さんにほめられると嬉しいでしょ」

 「うん、今日も一人で下まで行けたからほめられたよ」

 「神様もおなじ、小さな神様だから、簡単なお願いをして叶えてくれたら、お礼を言うと喜んでくださるの」

 「ふーん」

 「そうすると、神様は少しづつ育ってきて、いつかは立派な神様になるかもしれないでしょ」

 「そうしたら、本当のお願いをしてもいいの?」

 「さあね、どうなるかは神様次第だけど、きっと良いことがあるよ」

 高校二年生になった由紀子は、坂を駆け上り祠の前でとまると足元にカバンを置いて祠に向かい両手を合わせた。

 『今日、少し記録が伸びました、ありがとうございました』

 心の中でお礼を言うと、カバンを拾い上げ、また家までの上り坂を駆け上がって行った。

 由紀子は、高校では陸上部に入り、長距離走を専門に練習していた。

 次の大会へむけ、今日はタイムの測定の日だったのだ。

 少し難度の高いお願いだったが、由紀子には自信があった。

 あの物干し台からの眺めは、今も変わってはいなかったが、もうお婆ちゃんはこの世の人ではない。

 由紀子がまだ小学生の五年生の冬だった。

 お婆ちゃんの最後の入院のとき『早くお婆ちゃんの病気が治りますように』とお願いをしたが、神様は叶えてはくれなかった。

 今まで毎日毎日お婆ちゃんから教わったとおり、必ず叶うお願いと、そのお礼を繰り返してきたのに。

 神様はお婆ちゃんを助けてはくれなかった。

 それからしばらくはお願いもお礼も止めてしまったが、そんなある夜、夢の中に死んだお婆ちゃんが現れたのだった。

 夢の中のお婆ちゃんは手に大切そうに何かを包み込んでいた。

 その手の中には小さなネズミくらいの生き物がピーピーと甲高い声で鳴いているのだ。

 夢の中でお婆ちゃんは何も言わなかったけれど、お婆ちゃんの手の中で鳴いているその小さな生き物が由紀子の育てた神様で、由紀子の難しい願いを叶えて上げられなかったことを悲しんで泣いているのだと、なぜだか理解できた。

 そして高校二年生の今日まで、由紀子は休む事無くお婆ちゃんの教えを守ってきたことになる。

 「今頃、神様は子犬くらいにはなったかな」これが由紀子の今の感想だった。

 いまでは、お願い事を叶えてもらう為にしているのではなく、生活習慣になってしまっている。

 お願い事を忘れると、一日気持ちが落ち着かないのだ。

 そして、由紀子なりにお願いの仕方を工夫するようになった。

 それはお願いの難度をたまに少し上げてみることだった。

 今日の記録更新のお願いも、やや高難度のお願いといっていい。

 


 

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