罪
いつもとは少し違う物語です。見苦しい所が多いでしょうが、読んでもらえると幸いです。
人は必ず罪を犯す。当然俺も。
その出来事はいつも突発的だ。例えば気持ちのすれ違い、気持ちの昂ぶり、それだけで人は悪魔になる。気が付くと目の前にあるのはただの肉塊と化した友人の姿。血まみれの手のひらは自分が行った〝罪"をそのまま反映していた。鉄の様な臭いと死臭が鼻をつく中、直ぐに我に返り友人の死体をブルーシートでグルグル巻きにした。青いシートからドロドロと鮮やかな血が流れ落ち、独特な色彩を放っていた。
落ち着け、落ち着け、
必死に自分にそう言い聞かせ、ブルーシートで包んだ肉塊をトランクに押し込み、これからどうすべきかを考えた。だが、自分がどうすべきかは既にはっきりしていた。
この死体を早く処分し、証拠を消さなければ…
自分が何をしたのか気が付いたとき、自分の末路が頭を過り、その未来が訪れないように行動することを決めた。俺はまだ31歳だ。家族もいるし、やりたいことだってある。だからこんな所で人生を終わらせるわけにはいかない。だからこそ隠蔽工作を直ぐに実行に移せた。高鳴る鼓動がやけに五月蠅い。人間誰かを殺した後はこんな不可解な感情に襲われるなんて知らなかった。だからこそこの状況がとても恐ろしく感じた。
そもそもコイツが悪いんだ。人の女を寝取ろうとするなんて、殺されて当然だ。友人の彼女を奪うという罪を最初に行ったのは紛れもなく目の前の肉塊だった。だから俺に非はない。必死に自分にそう言い聞かせ、自分にかかる罪悪感をできるだけ軽くしようとした。だがそんな簡単に罪を受け入れるはずもなく、嫌な汗がじんわりと躰を這った。気味が悪い。こんな肉と一緒にいることが不快だ。その反面自分のしてしまった事が恐ろしくて押し潰されてしまいそうだ。そんな複雑な心境の中、俺は必死に車を走らせていた。
月明かりで薄らと暗闇が照らされる夜半、アスファルトに溜まった熱が少しずつ外に漏れだし、蒸し暑い夜だ。だが今はそんな事を気にしている暇はない。ようやくたどり着いた郊外の森に面したガードレールの手前に車を止めて、俺は直ぐにトランクからブルーシートに包まれた死体を取り出した。
「(お前が悪いんだ....お前が俺の女を取るから....)」
心の中で悲痛に似た叫び声を挙げて、ブルーシートを崖下に投げ捨てた。大きな肉塊が風を裂くような音を奏でて、数十秒後にドスンという鈍い音を崖下から響かせた。その音が異常に響いたような気がして、とても不安な気分にさせた。監視カメラがない事は確認済みだ。こんな時間にこの場所を通る車も殆どいない。つまり今の光景を見た人間はいない。今の所完璧だ。だが、不測の事態に備えておく必要がある。俺は直ぐに車に乗り込み、シートベルトをしめてエンジンを掛ける。そしてそのままアクセルを踏み込み車を走らせた。そして、そのまま家まで車を走らせ逃げるようにその日を終えた。
あれから五日経った。あいつを殺してからまだ日が浅いが、向こうの家族は捜索願を出したらしい。とりあえずは安心だ。まだ俺が疑われることはないだろう。それどころか死体が見つかるのも時間が掛かるはずだ。郊外の森はかなり高い崖という事もあり、簡単に捜索することは出来ない。無論そういった立地条件からそこに棄てたのだ。此処までは計算通りだ。だが俺は、直後に聞こえてきたニュースの声で絶望した。
「五日前から行方不明になっていた北原武さんが、郊外の山道で発見されました。遺体の腹部には傷跡があり、殺人事件として捜査され....」
ニュースキャスターの言葉を聞いて俺は直ぐにテレビの電源を切った。
一体なぜだ?なぜ山道であいつの死体が....?
あいつは確かに崖に投げ捨てた筈だ。それなのに一体なぜ....
いや、そんな事はどうでもいい。あいつの死体が見つかれば真っ先に俺が疑われはずだ。警察が俺に目を付けるのは時間の問題だ。今からインターホンや電話が怖くて仕方ない。逃げるか?いや、職場への無断欠勤が続けばそれだけで怪しい。ここは下手に行動せず、出来る限りいつも通り他人と接しよう。今できる事はそれだけだ。とはいえ普通の精神状態を保つことは不可能に等しい。部屋に響く時計の音すら刃に感じる。いつインターホンが鳴り警察が入って来るか分からない。幸い女房と息子は実家に帰っている。家族を悲しませるようなことは絶対にしてはいけない。だから俺はここで捕まる訳にはいかなかった。
ピンポーン
不意に鳴り響くインターホンの音に自然と躰がガタガタと震える。恐怖で誰が来たのかすら確認することが出来ず、とりあえず扉を開く。
「警視庁のものですが、宇田川勇夫さんですね?」
そう言いながら目の前の男は警察手帳をこちらに見せ、様子を窺っている。その瞬間躰から大量の冷や汗が流れ、服がべったりと皮膚に張り付く嫌な感覚が全身を包んだ。
「何ですか....?」
「北原武さんをご存知ですね?北原さんが死体で発見されことは御存じですか?」
「はい....ニュースでやってて驚きました....」
「そこで伺いたいのですが、事件当日の8月21日の7時頃は何をしていましたか?」
最早決まりきった質問の答えは既に用意している。俺は適度に動揺したそぶりを見せながら「レンタルショップでDVDを借りていた」と話した。あの事件が起きた直後、車を走らせレンタルショップに行き監視カメラに自分の姿を映してある。死体には少し細工をして硬直時間をずらしている。アリバイ工作は完璧だった。仮に死体が見つかり、俺が疑われたとしてもアリバイがある限り逮捕することは出来ない。
とりあえず様々な質問をされたが、答えは元から用意していた。そのおかげで警察相手にもさほど怪しまれる事無く切り抜けることが出来た。一通り質問を終えた警察は「協力ありがとうございました」と残してそのまま去って行った。とりあえず安心だ。特に一度疑われた後に容疑が晴れるとまず疑われることはない。つまり被疑者になる可能性も少なくなるのだ。だがまだ安心できない。一抹の不安を抱えたまま、その日は終わりを告げた。
事件から一ヶ月、俺は捕まった。
何故だ!?アリバイ工作も完璧だったはずなのに...元々武は恨みを買いやすい人間だったし、他に疑われる人間だっているはずだ。それなのに何故俺だとわかったんだ...?どっちみちもう終わった。女房にも息子にも愛想を尽かされた筈だ。後部座席から見える街並みのアスファルトからは薄らと季節に似合わず陽炎が見え、嫌な揺らめきを放ち続けていた。
「お前がやったんだろ!?証拠もお前が犯人だって言ってるんだ!」
テレビで見かけた尋問が、今実際に起きている。最早俺が犯人であることは明白だ、だから直ぐに自白しろと言わんばかりの口調で罵詈雑言を並べ立て、俺の指紋が付着した血まみれのTシャツを机に叩きつけながら更に続ける。
「女房を寝取られたんだって?そりゃ友人も殺したくなるよなぁ?」
尋問を行っている刑事の煽るような態度が癇に障り、「俺じゃない」と怒鳴り散らす。だが、それとほぼ同時に目の前の男は俺の顔面を殴った。その蔑んだ目は、捕まる前に睨まれた女房の目にとても似ていた気がする。それからも何時間も続く尋問は、徐々に俺の精神を壊してゆく。尋問を担当する刑事は変わっても言われることは全く同じ。
お前が殺したんだ
さっさと吐け
お前以外にいない
そんな尋問の果てに、俺は「やりました」と口走り、そのまま独房に入れられた。
それからは時が経つのが速かった。判事に死刑を言い渡され、しばらく独房の中で過ごす日々はあっという間だった。そして今、目の前には天井から吊るされた縄がゆらゆらと揺られている。その動きは捕まった時の陽炎にそっくりだ。そして、気が付くと俺は肉体から離れていた。なんだか気持ちが軽い。自分で汚してしまった手がどんどん綺麗になっていく、そんな気分に陥りながら俺はゆっくりとあがっていく。そして、必然か偶然か俺の刑が執行された日は、自分で自分を汚したあの日、8月21日だった。
此処までご覧いただきありがとうございます。今回のお話の主人公は結局最後死んじゃいましたが、ストレス解消から生まれた主人公だったので、個人的にはとてもスッキリしました。いつもと少し違う感じの話になりましたがいかがだったでしょうか。これからもよろしくお願いします。