ある青年の不幸な話
時は世紀末、という訳ではありませんが未曾有の大災害が地球を襲い、それでもゆるゆると復興している世界の平凡な学生が、父親の借金のカタである中華マフィアに連行されていく。
ざざん、ざざん、という波の音がする。
「僕はどうしてここにいるのだろう」
星々が飾る夜空を見上げ、斉藤孝太は呟いた。
髪を靡かせる潮風も孝太の夜空よりも遠い場所を見る気持ちを慰めはしない。
孝太は船に乗っていた。正確には乗せられた。
人心の混乱と治世の悪さ、そして大災害が相まって世界は姿を変え日本もまたしかり。
大和国と、古い歴史から再び冠された。持ち前の粘り強さと技術の高さで何とか復興をしているが、その足取りは重く災禍の爪痕も大きく残る。それでも人は生きていた。
そんな国に生まれた孝太は学生をしていたのだが、今現在、かつての大国の領海の上にいる。
後ろからコツコツと硬い足音がする。孝太が振り向くと、予想通りにこの船で船長以外で位の高い人間がいた。
「眠れないのか?」
流暢な大和語を操る凛々しい声。肩のあたりまで伸ばした髪を後ろできっちり一本に結んでいる。
「えぇ、まぁ」
どうしたら暢気に寝ていられるのだと孝太は思う。
確かに船で自由行動はある程度許されているし、食事もそれなりにいいものをもらっている。そんな客扱いされても実際のところ、孝太は借金の形で売られた人間なのだ。
「ねぇフェイさん。僕はなんで、こう、中華国に行くことになったんでしょう」
答えがわかっていても聞かずにはいられないのだ。
「それは借金の形に君を置いていった父親に聞きたまえ」
フェイと呼ばれた男は冷たく返す。
そう、孝太の父親は今でも大和国で悠々としているのだろう。
「あのおっさんはどうして中華マフィアとギャンブルしたんですかね?生活費持ち出して挙句僕の学費すら持ち逃げしてギャンブルとか」
はぁ、とため息をつく。
「大変だな」
平坦な口調は同情的な響きも含んでいた。フェイは孝太の状況を知っているからだ。
「本当ですよ。母親に逃げられただけならまだしも、自分の親が残した財産食いつぶしてのが判明しましたし、こっちは学校の合間をぬって働いているのに母親から送られてきてるはずの僕の養育費すらギャンブルに女にと湯水のように使って……呆れてものも言えないというか『しねばいいのに』っていう言葉はああいう時使うんですねホント身に染みて感じました」
孝太の愚痴に、フェイは少しの沈黙の後
「……良く頑張ったな、色々と」
と声をかけた。フェイとしては「苦労しているな」という意味ではなく、「良く荒れないで父親を殺さないでいられたな」という意味で言ったのだが、孝太はその意図を汲み取れるわけがなく、へらっと苦笑した。
「ありがとうございます。すみません、愚痴って」
「いや。言いたいこともあるだろう」
マフィアに愚痴れる神経が有ればこの先どうとでもなるだろう。フェイは口にしたこととは別のことを考えた。
「あ!学校!!学費も払ってないのに!!」
今更ながら思い出し、孝太は叫んだ。
「それは心配ない。既に退学届けは君の名でだしてあるし、滞納分も払った」
「そっか、それなら――って良くない!退学届け?!」
海に視線を戻そうとしたが、気づいて勢い良くフェイを見る。
「そうだ。君はもう二度と大和に戻ることもなかろう。借金と払った金額分働いてもらうぞ」
男から告げられた言葉に微かな希望すら踏み潰されたような気がして絶望的な顔をした。
「そんな……」
「連れて来られた時点で気づかなかったのか」
はい、その通りですよね!アハハ!と孝太は思う。
「……おとなしく寝ます」
孝太はすごすごと甲板から去っていった。
その後姿を見送ってから海に目を戻すとフェイは呟いた。
「あと少しだな」
潮の香りをあとにして部屋に戻ることにした。
* * * *
「あなたが孝太?」
目の前の美女が値踏みするように孝太に視線をよこす。
「はぁ、そうですが」
気の抜けた返事を返す。
中華国に入り、フェイに連れられた高級そうな邸宅の一室で美女と対面させられたところだ。
美女は、派手の一言だった。それこそ絵に描かれる鳳凰そのものの派手さ。服の派手さもさながら、その美女のオーラたるや本当に鳳凰のごとくで、孝太は後退りたくてたまらないのだが、それは後ろに立ち雰囲気と視線だけで孝太を押さえつけているフェイがいる。
「いいわね、可愛いわ。やるじゃない、フェイ」
猫のように微笑み、フェイに声をかける。
――可愛いってなんですか可愛いって。嫌な予感しかない。
孝太はもう既に遠い目をしている。
「それは斉藤に言ってください。おそらくあの男も貴女が気に入ると踏んでいたんでしょうよ」
忌々しそうな声だった。
「そうねぇ。これなら許してあげなくもないけど、そうもいかないわよねぇ」
孝太の背筋がぞわりとなる。嫌な予感しかない。
「貴方、私のお人形に決定」
美女は輝くような笑顔で告げる。
「奴隷の間違いだろう」
ぼそりと呟かれたフェイの言葉を聴いてしまい、孝太は泣きたくなった。僕もう終わった、と。
「そうよー。男の子なのにきれーいなお肌してるし、磨けば楽しいことになるじゃない?」
「気の毒に」
「そういえばこの子、何のお勉強していたのかしら?」
「医学の道の一歩手前、ですね」
「あら、頭いいのかしら?」
「神経は図太いが、悪くはないだろう」
「もう、最高じゃない!うふふ、楽しみね」
「ほどほどにしろよ」
「やだ、私はいつだってほどほどにしているわ?」
「前回の二人の事を考えろ。あれのどこがほどほどだ」
「やーねぇ、あれは耐久性がなかっただけじゃない」
「……自分や私を基準にするな」
目の前で、大和語で繰り広げられる喧嘩に孝太は呆然と聞き入るしかなかった。
――どうなるんだろう、僕……。
そして気づいたときには着せ替え人形になっていた孝太だった。
この話は一応中華国編、蒙古編、中央アジア編、トルコ・ギリシア編という世界旅行並みに主人公が旅をする話でした。
中華国で上海から内陸部へ逃げ出し、旅芸人と共にモンゴルへ逃げ延びた後、中央アジアで死に掛けたところをある国の王子に拾われ、トルコ・ギリシア編でその王子に恋していたギリシアの女性の下へ行き、ギリシアで腰を落ち着ける流れ。
ですが大風呂敷を広げすぎて投げ出してしまったので供養代わりに投稿。