9.マコの日記
武さんが日記を届けてくれたのは、蝉しぐれが激しくなった8月始めの昼だった。
仕事が休みだった僕は、掃除をしていた。
- Try Jah Love -Third World (1982')
レゲエ&ソウルに背中を押され、僕の雑巾は家中の汚れを落としていた。
「せ、精が出ますね」 開け放していた玄関から、武さんが顔を覗かせる。
目の下にくっきりと現れた隈が、武さんの疲労を物語る。
僕は熱い番茶を沸かしてキッチンテーブルに武さんと共に座った。
「一年ぶりですねえ」 僕は湯のみをすすりながらそう言った。
「う、うん。そ、そ、そんなに経つんだよねえ」 武さんも熱い番茶を味わいながら頷いた。
これを持ってきたんだ、そう言って武さんがテーブルに置いたのは、日記帳だった。
「な、何かがわかるかと思ってね。マコには悪いけどね。も、もってきたんだ」
タロさんに読んでもらうべきなんだ、と言った武さんの真剣な表情に、僕は大きく頷いた。
その日記帳のタイトルは、マコさんの可愛らしい丸文字でハートマークと共に記されていた。
*** Mako's Diary ***
僕達はヒントを求めて日記をめくる。
-2001' 1. 1-
- ステキな一日。N.Aのプロパガンダにタロちんが決定!
あぁ、新年会で僕がナリタ会長からパートナーに迎えられた日だった。
この日はマコさんも感動して泣いてしまったっけ。
そうつぶやく僕の隣で、武さんはしくしくと泣き始める。
その後の日記は特に目立つものもなく、ただ懐かしい思い出が記されていた。
穏やかな幸せの日々。
それは永遠に続くものと思っていたのだ。
-2003' 5. 5-
- 鷹の夢・・・
そのページを見た僕達は思わず顔を見合わせた。
夢から覚めてすぐに書き記したとも思えるそれは、それまでとは違って書きなぐったような筆跡である。
「も、も、もしかしたら・・・」
武さんはその日の事を語り始めた。
武さんがいつものように眠い目を擦りつつ台所に向うと、マコさんが座っていたらしい。
彼女は蒼白な顔をしていたそうだ。
父親の呼びかけにも反応せず、いつまでも俯いて座っていたと言う。
「お父さん。運命って信じる?」 出勤するために玄関で靴を履いていた武さんに、彼女はそう呟いたそうだ。
それからどうなったんです? と僕は尋ねてみる。
「き、帰宅した時には、い、いつものマコに戻ってたんです」
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それが、日記から分かった全てだ。
いつの間にか、窓から差し込んだ夕陽に照らされて、この部屋はオレンジ一色に染まっていた。
僕は熱い番茶を継ぎ足して、武さんに言う。
「僕、決めました」 大きく深呼吸をして、武さんに言う。
「彼女の別れは、彼女の本心ではないと感じたんです」
オレンジ色に染まったテーブルを見つめて、武さんは頷く。
「わ、わたしも、そう思う」 そう言って、お茶を啜っては何度も頷いた。
「僕は決めました」 ぼんやりとしていた武さんの目が僕を見つめるのを確認して、言葉を繋げる。
「マコさんとは別れません。応援してくれますか?」
もちろんだよ!と武さんが僕の手を硬く握る。
そのようにして僕は、眠り続けるマコさんの許可もなく、お義父さんの許可をもらったのだ。
(それを知ったらマコさんは怒るだろうか)
2005年8月の大きな夕陽が、全てを染めていた。