8.長い話4(半年前のきっかけについて・その続き)
---
電話の途中だった事をすっかり忘れて、僕は追憶に想いを馳せていた。
「もしもし、タロさん?」
マコのお父さん(栗木武)の声が受話器から聞こえて、ようやく自分が電話中であった事に気がつく。
僕は頭を振って意識を戻した。
「マコさんは元気ですか」
僕がそう聞き返すと---受話器越しに彼が息を呑む様子が伝わった。
(辺りの空気が急激に冷え込んだように感じた)
そして僕は気がつく。
彼が嗚咽を堪えている事に。
受話器の向うから小さく聞こえるのは、彼(栗木武)の涙をすする音、そして・・・
-ラ・カンパネラ(F.Liszt)-
小さく聞こえるピアノの音は、彼の涙の雫を思わせる。
(マコのお父さんは、奇しくも僕とマコさんの想い出の曲を聴いていたのだ)
「マコさんに何かあったんですね」 僕は姿勢を正して、再び彼に問いかけた。
「・・・マコが・・・お、お、起きないんです」
言葉を詰まらせながら彼は少しずつ話してくれた。
窓を叩く雨の音と、受話器越しに聞こえるピアノをBGMに。
---
マコさんが僕に別れを告げた後、武さん(マコのお父さん)は何度も言ったそうだ。
別れるべきではないと、何度も何度も言ったそうだ。
しかし、マコさんは頑なに拒んだらしい。
「運命なの」 と言ったそうだ。
そしてある日、武さんはおかしな事に気がつく。
彼女が時折、意識を失うらしい事に。
それは何の前触れもなく起こった。
家でお茶を飲んでいる居間で、友達と出かけたお店の中で、電車の中で、バスの中で・・・
日を追う毎に意識を失う時間は長くなっていった。
彼女はしかし「意識はあった」と言う。
傍目には気絶しているようにしか見えない。しかしその間の記憶はあるのだと言う。
彼女が意識を失う(しかし無意識ではない)時間が2日を超えた時、武さんは彼女を病院に連れて行った。
しかし、検査結果は”異常なし”だったそうだ。
---
「い、一週間前なんです。最後に動かなくなったのは」
武さんの声には疲れが滲んでいた。
「マコさんはどこにいるんですか」 と僕は聞いた。会いに行ってもいいかと聞いた。
一ヶ月の検査の後、治療方法も分からないマコさんが収容されたのはサナトリウムだった。
そうして、僕はサナトリウムに通うようになったのだ。
”眠り病”
それが彼女の病名なのだと、僕はナリタ会長に話した。
長い話に付き合ってくれた会長はアルマイトのコップから冷たくなったコーヒーをすすりながら、何度も頷いた。
「”眠り病”について、わたしは全力で調べましょう。タロさん、わたしらは仲間でしょう?」
サナトリウムから立ち去る時、会長はそう言ってくれた。夕陽に向って。
ありがとう、と僕はもう一度会長と抱き合う。
「これからは内緒はナシですぞ」 会長がウインクをして僕に手を振り、黒塗りのベンツに乗り込んだ。
”健康のために”一人で運転して来たのだと会長は言うが、彼なりに何かを感じて気を利かせたのだと僕には分かっていた。
そういう人なのだ。
優しいのだ。
夕陽に照らされて、サナトリウムを包み込む草原が赤く波打つ。
遠ざかって行くベンツに向って僕は手を振った。
「ありがとう」と手を振った。
長い話がようやく終わりました。ここから展開して行きます。
ご感想、ご指摘、よろしくお願いします。
(名称などの細部は作者の創作です)