57.マコ帰宅
サナトリウムを退院したマコさんを乗せ、僕はゆっくりと車を走らせた。
(車窓から流れる風には微かに潮の香りがした)
「海が近いのね」 マコさんは窓ガラスを全開にすると目を閉じて大きく深呼吸を繰り返した。
いい香り、と彼女がつぶやく。
その言葉に答えるかのように、カーラジオから音楽が流れた。
-ダニーボーイ(Danny Boy)- Deanna Durbin (Frederick Weatherly)
アイルランドの民謡「ロンドンデリーの歌」の旋律にフレデリック・ウェザリーが書いたその歌詞は意外な言葉で締めくくられていた。
”・・・だから私は安らかに眠り続けます、あなたが私の元に帰って来てくれるまで”
最後の歌詞に気が付いたのか、マコさんの閉じた瞼からは一筋の涙が流れていた。
「おかえりなさい」 僕は車を防波堤の横に止めて、彼女を抱き寄せた。
「ただいま」 夢じゃないのね、と彼女は何度も僕の胸に顔をこすりつけては聞いた。
うんうん、と僕は彼女を抱きしめて背中をとんとんと撫でた。
車のすぐそばを二羽のカモメが交互に入れ替わりながら飛び交う。
僕はカモメを指差してマコさんに言う。
「ほら、彼らも祝福してるじゃないか」
カモメたちが空の向こうに飛び去るのを僕達は頬をよせて見送った。
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マコさんを乗せ、僕の運転する車はやがて彼女の見知った路地へとたどり着いた。
手近なコインパーキングに駐車し、僕たちは歩いた。
路地を右手に曲がった先に見えたのは・・・たくさんの人たちだった。
「マコー!」
人だかりの中から一人の女性が飛び出した。
ふわふわとしたショートヘアが揺れる。(それは何だか猫じゃらしのようだ)
「せっちゃん!」
飛びついて抱きしめるせっちゃんをマコさんは受け止めた。
「おかえりなさい、タロさん」
「皆さんどうしたんです?」
せっちゃんの後ろから現れたタジマ局長に僕は言った。
サプライズですよ、そう答えるタジマに答えるかのように集まった人々が交互に頷いた。
(マコさんの吉報にナリタグループの人々が駆けつけたのだ)
「さあ入りましょう」
タジマの言葉に人々が道を譲る。
僕はマコさんを促す。(せっちゃんが先導した)
玄関をくぐり居間に入ると、マコさんは涙を堪えられなかった。
「お、おかえり」
マコさんが声を上げて泣きながら飛びついたのは、父の胸だった。
彼はおいおいと泣いた。
武さんは涙を拭おうともせずに僕を見る。
「ありがとう、本当にありがとう」と僕に微笑む。涙と鼻水にまみれて。
「奇跡だ」と泣きながらつぶやいたのはナリタ会長だ。(彼はマコさんの退院時間からここで酔っ払っていたらしい)
そのようにして、マコさんの退院祝いは始まったのだ。(マコさんの自宅で)
やがて登る月に見守られながら。