56.サナトリウムを渡る風
「栗木さーん」
眠りの淵に佇む僕の耳元で、誰かが呼んでいる声が聞こえる。
僕の意識はゆっくりと覚醒する。
「栗木さーん。体温を測りますよー」
おもむろにシーツがめくれる。
「あれ?く、くりきさん?・・・タロさん?」
慌てる看護婦さんを見てようやく僕も状況を理解した。
眠りから覚めるはずのないマコさんのベッドから顔を覗かせたのが僕だったのだ。
「あ、おはようございます」 僕が目をこすりながら挨拶すると、看護婦さんはさらに慌てた。
「ちょっと!何やってんですか?・・・マコさんは?」
ベッドから落ちたとでも思ったのだろう、看護婦さんはおろおろと辺りを探し回る。
「おはよう、タロちゃん!」
病室のドアから声をかけたマコさんの声に、びっくりした顔で振り向く看護婦さん。
(信じられないものを見た瞬間である)
!!!!!!!
サナトリウムに看護婦さんの悲鳴が響き渡り、その響きはこだましながら館内を駆け抜けた。
---
それからわずか10分後、僕たちは病室で担当医のサワダさんと受け持ちの看護士さんたちに囲まれていた。
にこにこと微笑むマコさん。
おっかなびっくりと診察する担当医サワダ。
まるで幽霊でも見ているかのような表情の看護士たち。
「・・・まったくの健康体ですね」 メガネを外してまぶたをマッサージするサワダ医師が僕に向かって座りなおした。
「ねぇタロさん、何か心当たりはありませんか?」 狐につままれたような顔をしてサワダさんが僕に尋ねる。
僕はマコさんを振り返り、彼女に問いかける。
(言ってもいいかな?)
マコさんはイタズラっぽく頷く。
(いいわよ)
「この世の果てから連れ戻したんです」
僕の答えに・・・担当医はがっくりと肩を落として首を振った。
聞くんじゃなかったとつぶやきながら退室してゆくサワダ医師と看護士たちの後姿を見送りながら、僕はマコさんと微笑みあったのだ。
---
その後、マコさんは三日間に渡って精密検査を受けた。
その結果次のような内容が診断書に記載されたようである。
”発症および治癒に渡る原因は不明。(しかし恋人の存在が何かしらの影響を及ぼした事は否定できない)”
(もちろん恋人とは僕のことである)
サナトリウムを駆け抜ける風が冬の終わりを告げていた。