5.長い話1(半年前のきっかけについて)
過去の追憶からさらに過去のお話を紐解くために分かりにくくなって行きます。
努力しますのでお付き合いくださいっ!
サナトリウムの食堂は時間の止まった空間のようだ。
もし、ここは50年前の過去なんだよと言われたとしても、僕は信じてしまうと思う。
アルマイトのコップに入ったコーヒーを飲みながら、僕はナリタ会長に長い話を始めた。
- 2004年・12月-
仕事を終えた僕が自宅マンションの玄関を開けると、電話が鳴っていた。
もしもし、と受話器を上げたところで既に電話は切れていた。
(自宅に固定電話を設置したのは数日前の事だった)
服を部屋着に着替えた僕は、FAX兼用の電話機を見つめながら首を捻る。
- 何か変だな。
心の中で何かが引っ掛かっていた。
窓の外では雨が降り始めていた。
「うーん」 何か大切な事を見逃しているように感じて、僕はぼんやりと想いを巡らせる。
熱いシャワーを浴びても、ビールを注いでも、柔らかい何かを踏んづけているように感じる。
タバコに火を点け、ステレオセットの電源を入れる。
-ラ・カンパネラ(パガニーニによる大練習曲S.141-3)(F.Liszt)-
静かなピアノのスタッカートが部屋に流れる。
ステレオからランダムに再生されたその曲は、僕の心を静かに揺さぶり始めた。
あれ?あれ? 僕はとっさに頬を拭う。
気がつくと僕は泣いていた。
涙は後から後から流れ続けて行く。
僕は何が起こったのかを理解できないまま、その場から動けずにいた。
ピアノ、とネコのかちゅが言ったように感じる。
僕は微笑む。
激しい雨が窓を叩いている。
僕はその瞬間に想い出したのだ。
マコさんと過ごした幸せな日々を。
奇跡の猫・エレーンが同居していた日々を。
このピアノ曲は彼女達のお気に入りだったのだ。
僕はカバンから携帯電話を取り出す。
(携帯電話は電源が入っていなかった)
携帯の電源を入れ直してみると、留守番電話が入っていた。
「・・・お元気ですか、タロちゃん」 その声は・・・マコさんだった。
何かを伝えたかったのだろう。
何度も悩んで掛けてくれたんだろう。
マコさんの声は、その一言で切れていた。
さよなら、もなく。
またね、もなく。
彼女の伝言は終わっていた。
激しい雨は相変わらず窓を叩き続けていた。
僕は携帯を握り締めたまま、ぼんやりと佇んでいた。
マコさんのお父さんから電話が掛かってきたのは、その日の夜中の事だった。
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「く、栗木武です。お、おお、覚えていますか」
朴訥に、しかし暖かい声で話すその人を僕は忘れてなどいなかった。
マコさんのお父さんである彼は、僕とマコさんの交際を快く応援してくれていたのだから。
夜中に掛けた電話を申し訳ないと繰り返す彼に、僕は受話器を持ち替えて「いいんですよ」と答える。
「こちらこそ、長らく連絡もしないでごめんなさい」僕は受話器の向うに頭を下げた。
そして僕は、マコさんとの日々を想い返したのだ。
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(名称などの細部は作者の創作です)