31.捕虜 -セアン-
パトカーのサイレンは次第に近づいて来ているようだった。
蛍光灯に照らされ力なくうなだれる異国のスパイくんが口を開く。
「今の技は何だ?空手か?」蒼い目の青年が流暢な日本語を話した事に僕とエレーンは少し戸惑った。
「日本語が話せるの?」と僕は聞いてみた。
「あの技、とても興味がある。教えて欲しい」スパイくんが真剣なまなざしで僕を見上げる。
僕の背後に目を移した彼が目を見開いて震え始めたのはその時だ。
スパイくんの視線を辿り背後を振り向いた僕が見たのは、窓に映るたくさんの人影だった。
”聞こえるかセアン!お前は既に包囲されている!無駄な抵抗をやめて部屋から出て来い!!”
拡声器で叫ぶ声がマンションに響き渡る。
パトカーの警告色がちかちかと部屋を照らし、さらに強い光が窓から射し込む。(部屋はまるで真昼のようだ)
セアンと呼ばれたスパイくんが咄嗟にポケットから取り出した携帯電話に向って叫んだ。
-Foxtrot-Alfa-India-Lima-Echo-Delta!
(フォックストロット・アルファ・インディア・リマ・エコー・デルタ!)
それを合図としたかのように、玄関から窓からたくさんの警官が部屋になだれ込んで来た。
僕の小さな部屋は、あきらかな定員オーバーで今にも床が抜けそうだった。
「今のは暗号ね」 エレーンが僕の肩越しにつぶやいた。
「ね、ネコが? しゃっ、しゃべるのか?」 唖然とした顔でセアンがエレーンを振り向く。
「フォネティックコードね。"Failed"(失敗した)でしょ」 エレーンの指摘にセアンはがっくりとうなだれる。
奇跡の猫は得意げに胸を反らせて毛づくろいを始めた。
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100人を超える警官に囲まれたセアンが抵抗する様子もなくマンションを後にしたのは、警官が突入してわずかに5分後であった。
マンションの住人が遠巻きにその様子を見守る中、僕は重要参考人として一緒に連行されることとなった。
警官達に促された僕が乗り込んだのは、10台のパトカーに挟まれた黒塗りのベンツだった。
やけに巨大な車体のベンツが音もなく走り始める。
やがて僕は妙な気配に気がつく。
車のシートを隔てるシールドの向こうから誰かがじっとこちらを伺っているのだ。
顔を近づけて覗き込んだその時、微かなモーター音と共にシールドが開いた。
「がははは、タロさん。驚かせてすまんね」 シールドの向こうから顔を覗かせたのは、会長だった。
「会長も捕まったの?」 僕がそう問いかけると、会長はいたずらっぽく首を振る。
音もなく走るベンツの車内に、会長の朗らかな笑い声が響いていた。