26.幻想のセアン
”幻想のセアン”-彼は同僚達から皮肉交じりにそう呼ばれていた。
(それは彼の切なる妄想に由来していた)
彼の生まれは、明らかにされていない”貴族”の出だと言うのが彼の推した説である。
しかし周囲の意見は納得のいかないものであった。
橋の下で拾われ、孤児院で育てられたセアンを、周囲のみんなは”貧民に捨てられた子”だと思われているらしいのだ。
だからこそ孤児院の粗末な布団に潜り込む度に、セアンは「自分を正しく導くべき朗報」が訪れるものと信じて疑わなかったのだ。
そんなセアンを孤児院から救い出したのが、モルトケである。
やがてセアンは彼の義理の息子として、さらには彼の側近として育てられ地位も与えられた。
しかし、彼はモルトケ義父の事をほとんど何も知らなかった。
(それは仕方のない事だった。なぜなら彼は、自分のルーツすら辿れなかったのだから)
モルトケは某D国軍事施設のマンションの一室を彼に分け与え、参謀秘書として学び成長する事を望んだ。
そしてセアンはそれを受け入れたのだ。
セアンはモルトケ義父を世界の中心として受け入れ、彼が望む何がしかを与える存在になりたいと、そんな風に思って生きてきたのだ。
そんなセアンがモルトケに極秘任務で呼ばれたのは、夏の残暑が薄れ始めたある日の事だった。
セアンは参謀本部の地下施設から地上に上がるエレベータの中で、先ほどの会話を想い返す。
「知っての通り、わが国の諜報機関では常時世界中の情報を傍受している。辺境の地の電話の内容ですらも聞き漏らすことはないだろう」
モルトケは地下施設に所狭しと並んだコンピュータ機器を操作しながらセアンに語る。
セアンは神妙な面持ちでモルトケの言葉に耳を傾ける。(余計な相槌などでモルトケの心象を損なう事を彼は恐れていた)
「そこで、この会話を拾うことができたのだ」
モルトケが指し示すファイルをクリックすると、盗聴された室内の映像が再生された。
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- 「まだ世界中に内緒なんですわ」
そう話すのは日本のヤクザだろうか、いかにもジャパニーズマフィアの”ドン”という感じだ。(セアンは主要な国の言葉を聞き取る訓練を受けていた)
- 「マコさんの”眠り病”は、極めて特異な例のようですね」 こっちもマフィアの幹部のようだ。タジマとは本名だろうか。
- 「通常、マコさんのように長期間眠り続けるのは”植物”状態と言われます」 マコと言うのが秘密を握っているだろうとモルトケは睨んでいると言う。
- 「実はこの症例に、各国の軍部が興味を示しています」 この言葉を聞いて、セアンは思わずモルトケを見やった。彼らは盗聴に気付いているのだろうか。
- 「タロさん、奴らは本気ですぞ。何年も眠らせる病気、これがどれほど利用価値があるかを想像できますかな?」
- 「うーん・・・都合よく邪魔なフィクサー(影の権力者)を何年も眠らせる材料になる、とか?」 間違いない、とセアンは確信する。奴らは盗聴に気付いているのだ。
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「セアン・ハラルドソン、本日よりお前に現地諜報活動の任を命ずる。行き先は、”日本”だ」
モルトケの良く通る威厳に満ちた声に、セアンは立ち上がり背筋を伸ばした。
セアンの示した沈黙の合意を認めると、モルトケは大きく頷いた。
”眠り病”を解明できれば、とモルトケは思う。
その効果を利用できれば、我々の立ち位置も有利なものとなるだろう。
一礼して退室して行く義理の息子を見つめながら、彼は希望に胸を膨らませた。




