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8話 ジーン通りの殺人者

「今日は珍しいわね? ハジメがこんなギリギリに来るなんて」


 ミルが手に持ったトンファーを拭きながら問いかけてきた。

 ローとラッセルさんとルイスさんは、部屋の片隅でトランプもどきを使って一喜一憂している。壊れかけの机の上に銅貨が乗っている所を見るに、賭け事をしているのだろう。


「あ、うん。ちょっと調べ物があってね」

「ふぅん……。なにを調べたのか聞かないほうがいいかしら」

「いや、大したことじゃないよ。ちょっと歴史について」


 そう言うと、ミルは怪訝そうな顔をした。トンファーが目にも留まらぬスピードで、彼女の手の中で踊り続けている。

 このシーンだけ抜き取ってみると、僕の命は5秒後には風前のともし火だ。実際、彼女にはそれだけの腕前がある。ミルの肉弾戦は冗談抜きで怖い。見ているだけでも、だ。

 特に僕のムスコがいたいけな悲鳴を上げ続けるので、ミルの戦う姿はなるべく直視しないようにしている。


「ハジメってさ、頭悪くないのに悪いよね」

「なんだそれ」

「いや……ねぇ?」


 ミルはそう言ってローに向けてトンファーを投げた。余波は容赦なくラッセルさんとルイスさんにも振りかかる。トランプもどきは宙に撒い、壊れかけの机は壊れてしまった。それよりもローの股間を心配しなければいけないのだろうが、慣れとは恐ろしい。僕の視界に、ローの姿は映らない。ただ、悲痛なうめき声だけは聞こえてくる。ミルはそんなローの返事に大きくため息をついて、僕の方に向き直した。


「ちゃんとした常識はあるのに、歴史とか、地理とか、その加速器とか。そこらへんの知識が空っぽじゃないの。田舎って、ファフナじゃないわよね?」

「いや、それは違うよ」

「じゃあ、どこなの?」

「山の麓にある集落……」

「名前は?」

「ロビンソン」


 ギルドの面接でも言った嘘だったが、目の前のミルを出し抜けるとは到底思えなかった。具体的に突っ込まれたら返せる自信がない。ミルの翠色の瞳は、僕の心中まで見抜いているようで、気が気ではなかった。


「ミル、そこまでにしとけ」


 自らのムスコを何度も愛でながらローが言った。


「人には忘れたい過去の一つや二つくらいあるさ。ハジメだって、例外じゃない」


 ローの瞳がミルを捉えて離さない。ミルは居心地悪そうにもじもじとし始め、やがて諦めたようにため息をした。


「わかってる、わかってるわよ。……みんなの前でする話じゃなかったわね。ハジメ、ごめんなさい」

「いや、いいよ。気にしなくてもいい」


 本当の事情を話したいと思ったことは何度もあった。

 僕はある日家ごとククルに飛ばされて、元の世界の技術を活用しつつ生きていますよ、と。しかし、中世レベルの技術発展の中に、僕が持つ道具を持ち込んでしまうとどうなる? きっと無茶苦茶になるだろう。銃という存在すらもないこの世界に銃を持ち込んだらどうなる? ガレージに停めてある車は? 家中にあるありとあらゆるものは、いい意味でも悪い意味でも全てを変えてしまう力を持っているのだ。

 確かに、みんなに世話になっているし、この半月で信じられないくらいに親密にもなった。だけれど、僕の心の奥底にあるストッパーは彼らには話してはいけないと叫んでいる。ストッパーが叫び続ける限り、この真実は誰にも知る由もないのだ。


「さて! 時間だな。今日はスコッパコンビが最初だぜ、行ってきな」


 支部に帰ってきた昼の巡回の人に労いの言葉をかけて、僕らは警備に出た。

 

「どうやらジーン通りに不穏な空気が流れているらしい。要巡回だ」


 ラッセルさんが昼の巡回コンビと話していたらしく、手際よく今回巡回するポイントを説明してくれた。

 特にジーン通りについては娼婦連続殺人の犯人であるジークが出没する所に近い。注意せねばなるまい。


 日も暮れて、街頭に灯がともされていゆく。衛兵が一つ一つカンテラに火をつけていた。夜の冷たい空気が、僕の頬の側を走り去った。その空気に乗って、腹の虫を呼び起こすようなおいしい匂いが鼻をかすめる。……お腹が減った。

 日が暮れてからは人通りもまばらになる。夜は、犯罪が横行する。だから、道行く人への挨拶は欠かせない。これから犯罪に走ろうとする人が、挨拶をされて出鼻を挫かれないはずがないからだ。挨拶だけでも十分に抑制効果はある。

 ラッセルさんからこの話を聞いて半信半疑だったが、実際にやってみるとそんな考えはすっかりと消え去っていた。

 挨拶をする度に、その実感があるのだ。背中に重い空気を背負っている奴が途端に狼狽えたり、空気が萎えたりする。それを直に見ていて、半信半疑の気持ちがなくならないはずもなかった。

 まぁ、僕はともかくラッセルさんの雰囲気に呑まれてしまうと、そこらのチンピラたちなら裸足で逃げ出すだろう。僕でも夜道で出会ったら裸足どころか裸で逃げ出す自信はある。


「ハジメ、空を見ろ」


 ふと、自分のチキンっぷりに改めて情け無さを感じていると、ラッセルさんが重々しい声でそう言った。

 僕も空を見上げた。白い光が、空に向かって一直線に伸びていた。ひゅー、と間抜けな音を出しながら、空中で静止して、ゆっくりと降下を始めた。


「あっちは……ジーン通りですね」

「急ぐぞ」

「はいっ」


 走り始めたときには、大きな悲鳴が町中にこだましていた。その声は、地獄のそこから湧きでてきたような、仄暗い絶望感を纏っていた。


 



 

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