11話 Welcome to Underground 前編
ミルは一瞬の空白をおいて、素早くラズに駆け寄る。口元に耳を寄せたり、心音を聞いたりしていたが、やがてそれもやめて、頭を垂れた。僕も一歩一歩を踏みしめるようにして、ラルに近づく。
彼の側で膝をついて、そっと瞼に手をやる。それから上着を彼の上にかけて、静かに手を合わせ、一息ついた。言葉に表しようのないモヤモヤが、僕の胸中で回る。枯れていた井戸の底から突然水が湧きでてくるような、そんな感覚だ。
「ちょっと! もしもーし! 大丈夫?」
ミルはラルの隣で倒れている男を介抱していた。今では凹んで使い物にならない防具は外されていて、上半身は裸同然だ。よく鍛えあげられた肉体に、痛々しく青痣が出来ている。
その男の耳元で何度も彼女がが叫ぶ。隣で聞いていても少し五月蝿いレベルの声だ。耳元で聞かされる方はたまったもんじゃないだろう。
やはりその声に反応して、男の身体がビクリと跳ねて突然飛び起きた。
「うるせェ! ……ってぇぇ」
すぐさま斬られた箇所を抑えて呻き出す。無理も無い、防具が凹むほどの衝撃を受けたのだ。
ミルはその反応を受けて、ムスッと頬をふくらませた。彼女なりの気遣いを無碍にされて、少し腹が立ったのだろう。
「それより、それよりも」
痛みが収まったのか、息絶え絶えに男が喋る。僕は成るべく彼にラズの姿を見せないほうがいいと感じ、視界に入らないように移動した。
「どうしたの? 何があったのか教えて?」
ミルが背中をさすりながらそう言った。その言葉に何度も頷きながらも、男はまた口を開いた。
「ジークが、……ジークが逃げた。不意打ちだった。自警団へ身柄受け取りに行って、城に……戻る途中だったんだ。マキ通りの所で誰かに襲われた。頼む! 追って、追って」
今にも襲いかかろうとする勢いで、ミルに迫り寄る。そんな男の迫力に気圧されつつも、ミルはなんとか宥めようとする。
「落ち着いて。どこに行ったの?」
「わからん! ここまで追ってきてヤツに斬りかかったんだが、ヤツの仲間に馬鹿でかいナマクラで斬られた。ラズは……ラズはその後ジークに……。クソッ!」
地面に拳を打ち付ける音がしたかと思うと、大きな呻き声が一つ。
「いてぇ……」
「あんた中々のバカね。ま、いいわ。ハジメ、追いなさい。私たちは誰ともすれ違わなかったから、あっちに行ったはずよ」
そう言って、空いた右手で噴水の女神像の向こうを指差した。
「スコッパは打っておくから。ホラ、急ぐ! 駆け足! ジークをこのまま逃がすわけには行かないでしょ? ほらっ」
投げられたのは、ミルが腰にぶら下げていたショートソードだった。よく使い込まれた剣らしく、握った柄はザラザラとしていた。鞘から抜いて、どこで鉢合わせてもいいようにする。
不思議と気分は高ぶっていた。アドレナリンという奴だろうか。恐怖は、無い。
ラルに一瞥して、走りだした。仇は、僕が取る。
※
ティエラによると、そろそろ奴隷商人に引き渡される期日が近付いているそうだ。私も懸命に日付は把握しようと試みていたものの、流石にティエラには叶わない。
成るべく他の人達にはそのことを漏らさないように小声で話す。
「マズッたわね……」
「そうですね。流石に"人探し"と云えども連絡ぐらいはこまめに取るべきでしたね」
「最後に連絡したのは……ああ、ディランのハゲだ。そりゃ放置されるわ」
「その時、何を仰ったので?」
「『忙しいから連絡するなハゲ』だったと思う。怒らせたのはよくなかったわね」
ティエラが小さく笑った。久しぶりに彼女の笑みを見たような気がする。私もそれを見て、少しだけ心が暖かくなるのを感じた。
「さて、どうやって逃げようか?」
現在首輪の効力は無い。恐らく首輪の服従効果つきで盗賊共も奴隷商に売り飛ばそうとしているみたいだから、これが効力を潰されていたとなると、それがバレてからの身の躱し方には自信がない。何より、他の村人に迷惑がかかるだろう。となると、それまでにこの場所を抜けなければならない。戦闘はティエラに一任するとして、問題は、このアジトの場所を迅速に国へ報せる方法だ。こればかりは何か増幅器の代わりになる物を探さないといけないが、果たしてこの洞窟の中にそんな代物があるかどうかだ。せめて鉱物が見つかれば、一回限りではあるが、増幅器の代わりになってくれる。それさえあればなんとかなる。
「あと2日間頂ければ、"拘束の刃"ぐらいでしたら増幅器なしで召喚出来ます。鍵の解除はアーリスにお願いしたいのですが」
彼女は近接戦闘に限れば、ここらの盗賊が相手になるような生半可な強さでは無い。勿論、それは魔法士としての能力を行使してからだ。
"拘束の刃"だと、相手に触れた瞬間に相手の意識を一瞬にして刈り取ることができ、この閉所であればその利点を遺憾なく発揮できるだろう。
そして、この洞窟内にいる盗賊もたかが知れている。恐らく数は100もいかない。一番多く盗賊が出払っている時間を狙えば、外に逃げるのは非常に現実的な話だ。
問題は他の村人だ。このまま放置する訳にもいかず、かと言って連れて行っていいようなものでもない。これは賭けだが、村人たちにも出来る限りの武装をしてもらい、一緒に脱出するために戦ってもらうしかない。幸運なことに、こういった状況でも挫けることなくお互いを励ましあっているみたいだし、戦力的にモノになる人物も数名だが居るのだ。
「ふむ。わかったわ。私も本来なら戦闘系じゃないけど、付加魔法なら使えるし、戦いの手助けぐらいはするわよ。いざとなれば目があるし、ね」
それを言うと、ティエラは渋い顔をした。確かに副作用はあるけれど、奴隷商に売り渡されるよりかはマシだ。ティエラもそのあたりは理解しているみたいで、申し訳なく目を伏せた。
「スミマセン、せめて携帯用の増幅器を忍ばせて置けば……」
「おばか、そんなこと今になって後悔しても遅いでしょ? ささっ、脱獄するとなるとみんなにも協力してもらわなきゃ」
そうして、私たちの逃亡劇は始まることとなる。
※
走りだして間もなく、僕はとんでもない誤解に巻き込まれていた。
「ええい、片腹痛いわ! ここで会ったが百年目、観念しやがれ "竜の息吹"め!」
どうしてこうなったのか。
抜刀したまま走ったのが悪かったかもしれない。何せ、角を曲がった瞬間に衛兵の集団が居たものだから、危うく刺しそうになったのだ。第一印象は最悪だった。
もしかすると、膝についた血液が問題だったのかもしれない。彼らの視線は剣を中継して、膝に向けられたとき、僕も初めて膝が血に塗れていることに気づいた。僕が彼らだったら、剣を持ち血で濡れている人物は、間違いなく危険人物だとみなすだろう。
そして、この状況を唯一打破できるであろう自警団の腕章は、今頃広場に居るラルの上にそっと掛けられているはずだ。
「フッフッフッ、オレはモルド村で見かけた時からお前は怪しい男だと思っていた。ラウールまでの連行から逃げ出し、挙げ句にはこの様だ! ……ここで、ここでっ! 決してお前を逃がすわけには行かねぇんだ!」
構えていたロングソードをさらに強く握りしめて、男はジリジリと距離を詰めてくる。大きな双眼が僕を今にも殺さんばかりに睨みつけてくる。そんな雰囲気に呑まれてか、最後の頼みである後ろの衛兵たちも、各々武器に手を掛けたり、構えていたりしていた。
どうすればこの状況を打破できるのか。決して賢くない頭でもって懸命に考える。
「待ってください話し合いを」
「しゃらくせぇ、ぶった斬るぞ!」
駄目だ、通用しない。今のところ距離を詰めてくる分だけ後ろに後退しているから、僕と男の距離はまだ襲われても対処できる遠さにある。いざとなればスコッパを使えばいい。
ショートソードを、地面に置く。両手を手の後ろで組んで、降参の意思を全身でもって表現する。
目の前にいる男も毒気を抜かれたように間抜けな顔をしばらく晒してはいたものの、流石に無防備な男を斬る程腐ってはないらしい。すぐさま駆け寄ってきて、武器を蹴り飛ばし僕を拘束した。
「今度は逃げられると思うなよ?」
「……僕は自警団の人間です。竜の息吹ではありません」
ふん、と鼻を鳴らした。僕の言う事なんで全く聞いていないのは明らかだった。
「詳しい話は、城の中でだ。よし、しょっ引くぞ!」
彼の口調に自分の故郷である日本を感じ、なんとなくブルーになりながらも、僕は連行された。
※
「……ハースは重傷、ラルは殉死です」
ディランの口からは、ただ淡々と事実だけが述べられた。
――城内は、昨夜より混乱を極めていた。
"ジークが拘束を解いて逃げ出した"
その事実だけをくり抜いても、現状は最悪だった。彼には内通者が居たらしく、恐らく今回の脱走劇の手引きも、内通者が仕組んだ事だろう。今はその容疑者らしき人物を拘束し、問いただしている最中だ。彼自身は自警団に所属していると声高に叫んではいるが、サンボーンを除く4国で活動を行う大規模な盗賊集団だ。そういった身辺工作も容易い事だろう。
そして、何より。現在このラウールから魔法士が出払っているのが一番の痛手だ。
魔法士は居ることはいる。それは我が国が誇る治療魔法を持つ精鋭の者達や、戦闘能力が著しく高い魔法士だけで、肝心な事件調査を受け持つ"鑑識隊"と呼ばれる部隊が全て他の事件に忙殺されて遠方に居るのは頂けないことだった。なんとか手の空いている者にこの件を含めてラウールでの事件調査を申請している所だが、返答を見る限りかなりの日数を要する事は間違いなかった。
彼らが居なければ。……いいや、魔法士が居なければ、やはりこういった種類の事件は対処しにくい。
この国を含めて、他の国でも治安維持と食糧危機、財政状態には常に頭を悩まされている。特に、私たちのように下で働き治安維持に勤める身としては、こういった"魔法士が不在"という事態が続くのに杞憂を感じずにはいられない。
その人間が嘘をついているのかわからなかったり、事件現場に落ちる物的証拠を適切に扱える能力を魔法士しか有していなかったりと、ただでさえ希少な魔法士が星の数ほどある事件を捌き続けなければいけない事実に、私は彼らの大変さを実感する。
しかし、もし魔法士がいなくなればどうなる? 彼らは居るだけでも大きな抑止力となっているのだ。どんな事件でさえも、彼らにかかればたちまち決定的な証拠を見付け出して犯人の尻尾を掴む。治療や戦闘の第一線で働く魔法士もそうだ。彼らが居るからこそ、治安は保たれている。強大な力を持つ魔物さえも、魔法士の口から紡ぎだされる詠唱により、土に還る。大怪我をしても、治療を施せばみるみる回復の兆しが見える。
完全に私のミスだ。戦闘に長けた魔法士も現在同じ城で待機中だったのだ。念には念を入れて連行に同行してもらうべきだったのだ。
何故こうなったのか? 二人だけでは戦力不足だったのだ。そして、想定外のミスが……。
ディランの口から述べられる現状報告も耳に入らず、ただ頷きかえす。今の私に何を言ってもムダと思ったのか、彼は両手に抱えていた報告書をドサリと置いて退室していった。
彼が報告書と共に置いた酒瓶に口をつける。
「ラル……」
せめて数刻だけでも、彼のために祈ってやりたかった。