9話 出会い
駆けた。スコッパが空に光を灯してから数分。僕らは驚くほどの速度でジーン通りに近づいていた。吐く息は荒くなり始め、抑えようにも抑えきれない。
通りに直接続く脇道に入った頃、遠くで剣を打ち鳴らす音が幾度か鳴った。同時に怒声と共にいくつかの気配がこちらの方へと移動してくる。
ラッセルさんがジーン通り出る直前の角で立ち止まる。僕に目配せをしてから、腰を指さした。その一連の動きから見るに、スコッパを出せという事を伝えたかったのだろう。そう推測し、スコッパを取り出してラッセルさんを見た。その険しい熊のような顔は、大きく頷いてくれた。
通りのいくつかの気配が刻々と勢いをつけて近づいてくる。その気配を五感全体で感じながらも、セーフティを外す。ルイスさんとのあの惨劇を脳裏に浮かべながら、依然として逃亡を続ける、恐らくは一連の殺人事件の犯人であるジークを瞼の裏に描き出す。逃がさない、逃がしてなるものか。
やがて、確実に狙える距離にジークが入り、ラッセルさんと僕はほぼ同時のタイミングで飛び出した。スニーカーが石畳をしっかりと踏みしめる。僕の視線の先は、愉悦に満ち、後ろに気を取られるばかりのジークの姿を補足する。エイムをつけるのに時間はいらなかった。
「おい!」
声をかけられるまで二つの気配にも気づくこともなかったジークは、僕の声に反応してようやく前方を見つめた。口は間抜けに開ききり、瞳はハテナマークを映し出している。
その顔を目がけて、スコッパを射出する。筒の先から小さな紙くずのような塊が飛び出て、一瞬の内にジークの顔に直撃した。その光が全てを白に変える直前、僕は全力で目を閉じた。
「ぎゃっ!」
そんな声を真っ白の世界の中で聞きながらも、相手の気配を探る。すると、背後のラッセルさんがいつの間にかジークに肉薄していた。何度か鈍い音を聞きながらも、僕の聴力と視界は急速に回復する。
「――だ! ……ソ野……郎ッ!」
ジークのヒキガエルのような声を断片的に聞き取りつつも、ゆっくりと目を開けた。依然として視界は漂白されたように白くなっているが、それでも物を見ることは出来るくらい回復した。
ラッセルさんに殴れたらしく、真新しい血が石畳の上に吐き出されている。忌々しげにわめき立てるジークは両目を手で抑えながらも必死で逃げようとするが、その抵抗も弱々しいもので、既に手には枷がはめられていた。
「ハジメ、連行だ。つれていくぞ」
「え、でも……」
ジークから数メートル離れた場所。そこには、十字に折り重なって先程の衝撃から立ち直りきれないローとミルの姿があった。ラッセルさんの完全スルーの言葉に戸惑いつつも、支部に戻る帰路に就いた。
※
「ったくよー、あんな状況でよくやってくれたな。んん?」
「そうよ。……わかってるわよねぇ? ふふふふふ」
所変わって支部。拘置所の中にジークはぶち込まれ、衛兵の到着を待つ形になっている。本来なら警備に戻らなければいけないところではあったが、「よくやってくれた」とルイスさんが気を効かせてくれて早めに他の同僚と交替になった。その同僚もブツクサと文句を垂れてはいたが、ジークが伸びている様子を見て一変、抱いてくれと言わないまでも、先程までの調子とは打って変わり、意気揚々と支部を出ていったのである。彼ら曰く、「いつもお世話になっている貴婦人の仇を取ってくれた愛すべき仲間たち!」……だそうだ。
そんな愛すべきハジメとして、初めて手柄立てて少し浮かれているところを背後から掴まれた。もちろん、スコッパの被害を受け、現場の処理を終えたローとミルである。悲しいかな、日本人の平均身長を高校3年の頃より保持してきた自負があったものの、流石に脇を持たれただけで身体が浮くとは思わなんだ。凹む。
「しかしですね? あの状況では致し方ない対応と言うか、その」
「イヤイヤイヤ、あの状況は致し方なくない。どう考えてもラッセルが出てきて対処すればよかった。そう思わないかね、ハジメくん?」
「ごめん! ごめん! 謝る! 謝るから、トンファーだけはやめて、おねがい!」
「なーに? 聞こえなかったわよ? ……そういえば最近暗器仕込みの珍しいトンファーが」
そんなどんちゃん騒ぎの中、ラッセルさんが素早く僕の身体を開放してくれなければ、今頃はお星様の仲間入りになっていたことであろう。感謝に尽きない。
「おまえたちはもう寝るんだ。ほら、行った行った」
ラッセルさんが大木と見紛うほどの太さを持つ腕でもって、二人を寝室に押し返す。抵抗もろくすっぽ出来ず、ぶーぶーと今夜、星を一つ増やすことが出来ない不満をぶちまけている。そんな二人の背中が部屋の中に消えた時、ラッセルさんがふと僕を酒屋に誘った。
「――ふしゅっ」
喧騒溢れかえるフォーセルのバーカウンターの隅で、僕らは隣り合って座っている。最近相手にしてもらえず、拗ねていたセタをねぐらにしている拘置所から引きずり出し、今は満足そうに椅子の下で毛づくろいをしている。
いくつかの淡いランプの光が、ゆらゆらと揺れるたびに、僕らの影もまた揺れた。少し儚げな憂いを持った光は、僕らを気兼ねなく話し込める雰囲気で包みこむ。
「……しかし、だ。本当によくやってくれた。奴らはあんな事を言っているが、本音ではハジメの事を賞賛しているさ」
甘ったるい焼酎らしきお酒のグラスを傾けると、中の氷(なんとこの世界にも氷がある)が小さく鳴った。ラッセルさんはウイスキーをソーダで割ったものを飲んでいて、こちらまで酔ってしまいそうなくらい匂いも強烈だ。
「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです。でも、どうしてあの場面で僕を……?」
あのコンビに指摘された事自体、僕も気にはなっていた。あの状況ならラッセルさんが飛び出して挟み撃ちにした方が、確実にジークを捕まえることが出来ただろう。
「……むぅ、それを言われると困ってしまうな」
小さくラッセルさんが笑った。彼があんな困惑した形で笑うのは珍しい。寡黙で、表情も起伏がなくて、クールでかっこいい。まさしくダンディズムの塊のような人なのだ。いくら強面といっても、笑えばそれだけで絵になるものだ。
「ハジメはな、私の弟に似ているんだ」
「弟が居らっしゃったんですか?」
「ああ。遠い昔のことさ。まだ俺が若くて、怖いものなんて魔法士と魔物とおふくろぐらいだと勘違いしていた頃に……そう、あいつはハジメに似てて、謙虚でな。人に好かれていた」
カラになったグラスに、ラッセルさんは新しくウイスキーを注ぎ始める。残った炭酸と混ざり合い、小さな泡が弾けては消えていった。
「奴は……奴は死んだ。巻き込まれたんだ。何もかえりみずに暴れた結果だった。とんでもないものを引き換えにして、俺は弟と、全てを無くしてしまった」
どこか遠くを見るような視線。その先はグラスの中の酒に向いていた。ゴトリ、とボトルを置くと、またチビチビとウイスキーを飲み始めた。僕はそんなラッセルさんに、かける言葉が見つからない。
「……ハジメは、何か人に言えない秘密を持っているな?」
グサリ、と胸の中に針が刺さる。この動揺は何故見抜かれたのか、というよりも、やっぱりかという類の動揺だった。
「はい」
正直に答えるに限る。手元の焼酎に視線を移す。
「ハジメはな、その秘密を守りきれるほど、強くはない。むしろ弱すぎる。この世界はあまりにも冷酷で、弱者は泥に塗れて死ぬ運命だ。強者がのさばり、大事な物を奪ってゆく」
そこで一旦区切ると、彼は照れ臭そうに笑った。
「余計なお節介かも知れないが……。せめて自警団で仲間として過ごしているうちぐらい、ハジメには俺が持つものを教えたい。そう思ってな」
「すみません、色々としてもらって。……あの、ありがとうございます」
秘密を打ち明けることは、どうしても禁句のような気がして、言えなかった。だが、それでも僕に秘めたる事があるのを知っている人が居て、こうして気にかけてくれるのは、とても嬉しいことだった。それと同時に、ラッセルさんの過去に、何があったのか。それが、気になり始めていた。
※
「……あれ?」
意識が戻る。周囲を見渡すが、見覚えのある場所ではない。緩やかな起伏を持つ丘陵の
てっぺんで、どうやら僕は寝転んでいたらしかった。横から吹いてくる温かい風が、自由
奔放に生きている植物達を揺らし、野球観戦時のウェーブのように、波がゆっくりと目の
前を流れてゆく。
しかし、解せない。
「どこだここ?」
ラッセルさんと呑んでから支部に戻り、身体を拭いてから寝たはずだが……。異世界に飛ばされても尚、また知らない土地に飛ばされるとはつくづく運が無い。
そんな自ら持つ悪運に呪詛を吐き散らしながらも、再び左右を見渡してみるが、人っ子ひとりいない。地平線までの世界の中で、僕はただ一人の人間らしい。これからどうしようか……。
「夢の中、と言ったら理解してくれます?」
顔を上げる。左右を見るが、先ほど聞こえてきた声の持ち主らしき人の姿はない。
……そうだ、後ろ。振り返ると、そこには女性がいた。
しかし、女性と言っても、ただの女性ではないのは一目見るだけで明らかだ。
一言で表すなら、神官。そう、まさしく神官なのだ。ジャンルに囚われることなく小説や漫画を片っぱしから読みつくしたという自負がある僕としては、目の前にいる女性を表現するのならお姉さんキャラの神官しかないと脳内会議が全会一致で結論づけていた。
「初めてお会いしますね。あなたはご存じないでしょうが……前にも一回会っているんですよ?」
長い金髪が太陽光を反射してキラキラと輝いている。服装は白を基調としていて、重たそうなローブで全身を覆っている。わずかに露出している両手は日に焼けておらず、病的なまでに白い。彼女が小脇にかかえている六法全書のように分厚い書籍が、神官っぽさを決定づける一要因となった。
「えーっと、なんて言えばいいんでしょう。……その、ああ、あれです。あれなんですよ
。……わかります?」
僕が無口で固まっているところを見て、解凍を試みようとする彼女の言葉からは、何が言いたいのかさっぱり掴めない。ますます凝固する僕を見て、完全に動揺しているようだった。あわあわ、という擬音がぴったりな彼女の姿は初々しく、かつ小動物を思わせる可愛さを含んでいた。
「どちらさまで?」
「ああ! そうですね。まずは自己紹介から」
「えへん。……私は、そうですね、スフィアと申します。あなたが不運にも召喚者としての命を受けてしまった時、一番近くに居た者です。つまり、あの森の住人ってことです」
ふむ、夢の中だというのに、それを自覚している自分が居るということは、この異世界の特殊な力が働いている、ということでいいのだろうか。いかんせん夢の中での話だ。信用性は現段階で0に等しい、のだが、不思議と彼女の言葉を聞いていると、夢の中での話、という言葉では片付けられないような気分になってくる。
「ご丁寧にどうも。僕は」
「フユツキハジメ、さんですね。知っています。あなたが元の世界ではいろんな厄介ごとに巻き込まれて、今回もこうして私とお話しするという”厄介”なことに巻き込まれている。……運が悪いというか、ハハハ」
そう後半は自嘲気味に話す彼女の言葉に気にはなったが、それよりも僕が異世界に飛ばされてたという現時点で最大級の秘密を知っている彼女が一体何者なのかが気になった。ただの森の住人が夢の中に干渉できるはずもない。
「私は”種まく者”によって生み出され、そして追放された者です。ハジメさんもご存知ですよね? 種まく者は」
今よりもっと昔。種まく者が生命の種を撒き、その過程の中で人を創ったと言われる。それは、この世界で最も大きな信仰者を持つフロイト教を始め、他の宗派でも揃って語られる生命の起源だった。
「ええ、なんでも今の世界を創った人なんですよね?」
「そうです。私もあのお方によって生み出された。私はさまざまな過程を経て、現在の森に移住しました。そして、あなたに出会った。単刀直入に言いましょう。あなたに私の力を貸しましょう」
彼女の言葉を聞いていてふと思った。どうやらまた面倒事に巻き込まれそうだぞ、と。