第6話:呪いのクレーム対応
地下街に響き渡る怒号は、店の古びた引き戸を激しく揺らしていた。
「どうしてくれるんだ! 相手が死にかけたじゃないか! 私はそんなこと頼んでないぞ!」
飛び込んできたのは、四十代半ばの、どこにでもいる小太りのサラリーマンだった。彼は冷泉のスチールデスクを力任せに叩き、血走った目で喚き散らす。
「『竹』のコースだっけか? 社会的に失墜させるとか言ってたよな! なのに、あいつ、階段から落ちて意識不明の重体だぞ! 警察が来たらどうするんだ! お前ら、詐欺じゃないか!」
冷泉は、耳を塞ぐことすらなく、事務的な手つきで顧客カードを捲った。
「……ええ。一週間前に承った、同僚の方への呪いですね。九十九さん、施工報告を」
九十九が、奥から煤けた伝票を持って現れた。
「へっ、何を今さら。こっちは『作法』通りにやったぜ。階段の下に『種』を一つ。そこを通る瞬間に注意力を三秒だけ削ぐ。それだけの仕事だ。……そっから先、あいつがどう転んで、どこに頭をぶつけたかなんてのは、こっちの関知するところじゃねぇ。ただの不運だ、おめでとう」
「ふざけるな! 責任を取れ! 金を返せ!」
四ツ谷が、奥の寝椅子からゆっくりと体を起こした。
右半身を包む黒い包帯から、じわりと嫌な汗が滲んでいる。彼は壁を支えに立ち上がり、ふらつく足取りで男の前に立った。
「……お客様。……呪いというのは、注文通りのサイズで届く宅配便ではないんですよ」
四ツ谷の声は、喉の奥で小石を転がすように掠れていた。
「我々が提供するのは、因果の『きっかけ』です。雪山で指をパチンと鳴らすのが我々の仕事。その後に雪崩が起きて村が一つ消えたとしても、それは山の都合、あるいは……雪の重みを溜め込んでいた標的の都合だ」
「そんな理屈が通るか! 私は……私はただ、あいつが昇進するのを邪魔したかっただけなんだ!」
「なら、最初から自分でやればよかった」
四ツ谷が、冷え切った左手で男の胸ぐらを掴んだ。
「自分の手を汚さず、神の真似事をして他人を裁こうとした報いだ。……いいか、呪いに『返品』や『返金』はない。一度放たれたエネルギーは、誰かが食い切るまで消えないんだ」
男が恐怖に顔を青ざめ、口をパクパクとさせた時、冷泉が氷のような声で割って入った。
「四ツ谷さん、そこまで。……お客様、規約の第十八条をご存知ですか? 『施工結果が依頼人の予想を超えた場合、それは標的の徳の欠如、あるいは依頼人の無意識の執着の強さに起因するものとし、当店は一切の責任を負わない』。サイン、なさいましたよね?」
冷泉が差し出したのは、男の自筆の署名が入った契約書だった。
「……もし、どうしても中止したい、あるいは結果を『中和』したいとお仰るなら、さらに三倍の追加料金をいただきます。……ただし、一度動いた因果を無理に止めるのは、急ブレーキを踏むようなもの。その反動は、すべてお客様の元へ向かいますが?」
男は、冷泉の冷徹な計算高さと、四ツ谷の病的な威圧感に、完全に気圧された。
「……っ、もういい! 二度と来るか、こんな店!」
男は逃げるように店を飛び出していった。
後には、静まり返った地下街の空気だけが残った。
「……ケッ、身勝手な野郎だ。人を呪うってのは、そのくらいの覚悟がいるんだよ」
九十九が、床に溜まった埃を掃き出しながら毒づく。
「四ツ谷さん、右手の震えが酷いですよ」
冷泉が、四ツ谷の様子を冷静に観察して指摘した。
「……ああ。……あの男が喚き散らしたせいで、処理しきれなかった『残りカス』が共鳴してやがる。……九十九、インコはどうした」
「……全滅だ。今日の分は、一羽も残っちゃいねぇ」
九十九が、隅に置かれた「より代」の籠を指差した。
そこには、三羽のインコが、まるで内側から弾けたように無惨な姿で転がっていた。
「……店の奥だ。……あそこに、持っていけ」
四ツ谷が、店の最奥にある、厳重に鍵の掛かった古い木箱を指差した。
それは「回収箱」と呼ばれる、この店最大の禁忌だった。
九十九は、無言で死んだ鳥たちを箱に放り込んだ。
箱の中からは、物理的な衝撃音ではない、「……すいません……ごめんなさい……」という、数千、数万の人間が一度に囁くような、地を這う合唱が聞こえてきた。
「……あれも、もう限界だな」
九十九が、忌々しそうに蓋を閉める。
「……ああ。……あの中に溜まっているのは、客たちが『そんなつもりじゃなかった』と吐き捨てていった、身勝手な後悔の澱だ。……呪い返しよりも、よっぽど始末が悪い」
四ツ谷は、右半身の激痛に耐えながら、椅子に沈み込んだ。
呪いを代行し、呪い返しを処理し、そして客のクレームという名の「心の汚れ」まで引き受ける。
この店は、因果のゴミ捨て場だった。
「四ツ谷さん。次の依頼人が来ています」
冷泉が、モニターを見ながら言った。
「……今度は、どんなゴミだ」
「……『呪いの有効期限』について問い合わせたいという、老婆です」
四ツ谷は、震える左手で顔を覆い、低く笑った。
地下街のどん詰まり。
今日もまた、報われない澱が、回収箱の隙間から黒い煙となって漏れ出していた。




