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のろいだいこうや  作者: 五平


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第5話:呪われたくて来る客

 その男は、全身から眩いばかりの「生」の活力を放っていた。

 高級な仕立てのスーツを完璧に着こなし、肌には艶があり、瞳には一点の曇りもない。地下街の湿った空気など、彼の周囲一メートル以内には寄せ付けないような、そんな男だった。


「初めまして。……ここが、不幸を分けてくださるというお店ですか?」


 男は、冷泉の前で丁寧にお辞儀をした。

 冷泉は、手元の端末を二度、三度と叩き直し、信じられないものを見るような目で男を見上げた。

「……失礼ですが。貴方のような方が、なぜここへ? 数値を拝見しましたが、貴方の『気』の厚みは通常の数倍、不運が入り込む余地など微塵もありません」


「そこなんです。それが、私の不幸なんです」

 男は、真剣な顔で身を乗り出した。

「私は生まれてこのかた、一度も不運を経験したことがありません。宝くじを買えば一等、投資をすれば百倍。狙った獲物は逃さず、病気一つしたことがない。……おかげで、周りの人間は私を妬み、怖がり、去っていきました。妻も、子供も、『貴方といると自分が透明になるようだ』と言って出ていった。私はただ、普通になりたいんです。少しでいい、私に『呪い』を分けてください」


 奥で横たわっていた四ツ谷が、乾いた笑い声を上げた。

「贅沢な悩みだな。……だが、九十九さん、こいつは笑い事じゃねぇぞ」


 九十九は、作業台の陰で激しく舌打ちをしていた。

「……ああ。こいつは『満タン』だ。運のコップが溢れ返ってやがる。……四ツ谷、分かるか? こいつに呪いをぶつけたところで、鉄板に雨粒を落とすようなもんだ。弾かれて、全部こっちに跳ね返ってくるぞ」


 呪いの代行とは、通常、マイナスのエネルギーを標的に届ける仕事だ。しかし、この客が求めているのは、自身のプラスすぎるエネルギーを「削り取る」ことだった。

 

「お引き受けします」

 冷泉が、高額な見積書を提示した。

「ただし、呪いをかけるのではありません。貴方の『厚すぎる壁』に穴を開け、そこに溜まった運気を、四ツ谷さんが強制的に吸い取ります。いわば、因果の瀉血しゃけつです」


 施工が始まった。

 九十九は、店の中央に「絶縁体」を張り巡らせた特製の椅子を置いた。

「四ツ谷、絶対に深追いするなよ。こいつの運気は、毒物以上に中毒性が高い。一度吸い込んだら、普通の生活に戻れなくなるぞ」


 四ツ谷は男の正面に座り、震える左手を男の胸元にかざした。

 呪いを受ける「穴」である四ツ谷にとって、これほど「清浄なエネルギー」に触れるのは初めての経験だった。


「……始めます」


 四ツ谷が念じ始めた瞬間、店内の空気が一変した。

 不気味なラップ音や異臭ではない。

 春の陽光のような温かさと、百合の花のような香りが、地下のゴミ溜めのような店内に満ち溢れたのだ。


「あ、ぐ……っ、はぁ……!」

 四ツ谷の喉から、苦悶ではなく、快楽に近い吐息が漏れた。

 右半身の「冷え」が、みるみるうちに溶けていく。感覚のなかった指先に体温が戻り、視界が驚くほど鮮明になる。


(……なんだ、これは。体が、軽い……)


 四ツ谷の瞳に、かつてない活力が宿る。

 しかし、それと引き換えに、男の方は顔から生気が抜け、肩を落とし、どこか「人間らしい」弱々しさを帯びていった。


「……四ツ谷さん、そこまでです! 引き剥がして!」

 冷泉の叫びが聞こえるが、四ツ谷の手は男の胸から離れない。

 吸い取った「幸運」が、四ツ谷の脳内を麻薬のように駆け巡っていた。


「四ツ谷! お前、自分が何色になってるか分かってんのか!」

 九十九が、四ツ谷の顔を力任せに殴り飛ばした。


 四ツ谷は床に転がり、激しく嘔吐した。

 吐き出したのは、金色の光を放つ、粘り気のある液体だった。


「……ハァ、ハァ……。……俺は、何を……」


 男は、椅子の上でぐったりとしていたが、その表情は晴れやかだった。

「……ありがとうございます。……今、生まれて初めて、足の裏に『重力』を感じました。……ああ、財布を落としたみたいだ。嬉しいな。本当に、不運になれたんだ」


 男は、足取りも危うく、ふらふらと店を出ていった。

 彼は満足していた。これから自分を待っているであろう「普通の苦労」に胸を躍らせて。


 店内に残された三人は、異様な沈黙の中にいた。

 四ツ谷は、自分の右手を見つめていた。

 麻痺は消えていない。むしろ、先ほどの「幸運」を吸い取った反動で、以前よりも深い、刺すような痛みが右半身を襲っていた。


「……四ツ谷さん。あの男から吸い取った運気、どこへやったんですか」

 冷泉の問いに、四ツ谷は答えられなかった。


 九十九が、店の隅にある「より代」のケージを指差した。

 そこには、一羽のインコが死んでいた。

 だが、その死に方は異常だった。

 インコは、全身の羽が黄金色に輝き、瞳を閉じ、まるで至福の表情で眠るように息絶えていたのだ。


「……『呪われたくて来る客』か。笑えねぇな」

 九十九が、吐き捨てるように言った。

「幸運ってのは、器のねぇ奴が持てば、呪いよりも確実に命を削りやがる。……四ツ谷、お前、少し救われたか?」


 四ツ谷は、黒い包帯を巻き直しながら、力なく首を振った。

「……いや。……あんな光の中にいたら、俺たちの商売は成り立たない。……俺には、この地下の泥水が、お似合いだ」


 冷泉は、男が置いていった高額な報酬を、事務的に金庫へ収めた。

「……四ツ谷さん。あの男、裏の『拝み屋』にも紹介しておきました。彼から溢れ出した運気を、あちらで有効活用してもらうために。……持ちすぎた者は、どちらにせよ、我々の餌食になるだけですから」


 地下街に、また湿り気のある風が吹き込んだ。

 四ツ谷の右腕は、先ほどよりも一層、冷たく凍りついていた。


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