第3話:呪い、分割払いできますか?
その日の依頼人が持ち込んだのは、紙袋いっぱいに詰められた「遺品」だった。
三十代半ばの、疲れ切った顔の男。彼は、かつて自分を陥れ、家族も財産も奪ったというかつての上司の、使い古された万年筆や手帳を机に並べた。
「……あいつを、殺してくれなんて言いません。ただ、地獄を見せてほしい。毎日、一睡もできないくらいの恐怖を、あいつが死ぬまで味わわせてほしいんです」
冷泉が、男が差し出した「証拠品」の数々を、ピンセットで一枚ずつ検分する。
「強いですね。これほどの執着がこびりついた品々は、そうそうお目にかかれません」
奥で座っていた四ツ谷が、顔を上げた。その右腕は、前回の「逆流」の後遺症で、黒い包帯が痛々しく巻かれている。
「松コース……いや、それ以上だ。これだけの怨念を一度に解き放てば、標的の心臓が止まる前に、この店が吹き飛ぶぞ。因果の反動がデカすぎる」
男は、必死な形相で四ツ谷に縋り付いた。
「金ならあります! 慰謝料で取った金が! 全部払います。でも、俺一人じゃ、あいつに何もできないんです……!」
九十九が、横から冷たく言い放つ。
「金の問題じゃねぇ。お前、ガソリンスタンドで焚き火するバカがいるか? この呪いは、威力がデカすぎて制御不能なんだよ。俺たちプロがやるのは『施工』であって、心中じゃねぇんだ」
冷泉が、そろばんを弾くような冷徹さで口を開いた。
「……分割にしましょう。これほどの重度な呪詛は、一度に完遂しようとするから破綻するのです。期間を決め、少しずつ呪いを切り分け、相手に届ける。同時に、発生する『呪い返し』も小分けにして、我々が日々処理していく。……いわば、呪いの分割払いです」
男は、呆然として冷泉を見つめた。
「分割……? そんなことが、できるんですか」
「できますよ。ただし、工期が長くなる分、費用は嵩みます」
冷泉が提示した見積額に、男は震える手で判を突いた。
その夜から、店の裏側で「長期施工」が始まった。
九十九は、店の中央に「ろくろ」のような奇妙な回転台を設置した。その上には、男の持ってきた遺品を細かく砕き、泥と混ぜ合わせたものが置かれている。
「四ツ谷、始めるぞ。……今日は『第一回、五十分の一』だ。欲張るなよ。少しでも欲を出せば、バイパスが焼き切れる」
四ツ谷は、回転台の前に座り、左手で印を結んだ。
右手の麻痺が、回転に合わせるようにズキズキと脈打つ。
「……分かっている」
四ツ谷が低く唱え始めると、回転台の上の泥から、黒い糸のような煙が立ち上った。
それは蛇のようにのたうち、換気扇の隙間を抜けて、夜の街へと消えていく。
それと同時に、店内の空気には、鉄錆のような匂いが立ち込めた。
ピシッ、ピシッ、と、壁のあちこちに小さな亀裂が入る。
「……返りが来ました。九十九さん」
九十九は、インコではなく、今度は小さなケージに入った「ハツカネズミ」を数匹、四ツ谷の足元に置いた。
「……こいつら一匹で、五十分の一の毒を中和する計算だ」
ネズミたちが、一斉にキーキーと鳴き声を上げる。
やがて、一番端にいた一匹が、何かに押し潰されたように、ぺしゃんこになって動かなくなった。
四ツ谷は、その瞬間、喉の奥からせり上がる血の味を飲み込んだ。
「……一回目、終了だ」
翌日も、その翌日も、同じ作業が繰り返された。
依頼人の男は、毎日のように店を訪れ、九十九が撮影した「標的の近況」の報告を受けた。
標的の上司は、最初の一週間で不眠症になり、二週間目には大事な契約の場で幻覚を見て失態を演じ、三週間目には家族から見放され、酒浸りになっていった。
「……いい。もっとやってください。あいつが完全に壊れるまで」
男の顔は、復讐の悦びに歪んでいたが、同時に彼の瞳も、店内の淀んだ空気に侵食され、どす黒く濁り始めていた。
施工の二十日目。
店内に、異常な「音」が鳴り響き始めた。
カチ、カチ、カチ……。
誰もいない場所から、時計の針を刻むような音が、壁を這い回る。
「……『音』が出始めましたね」
冷泉が、受話器を置きながら言った。
「近隣から、夜中に変な音がするとクレームが入っています。四ツ谷さん、処理が追いついていません。呪いの『残りカス』が、店内に残留し始めています」
四ツ谷の顔は、幽霊のように蒼白だった。
分割払いにすることで、一度の衝撃は抑えられたが、逃がしきれなかった微細な「毒」が、毎日少しずつ店の中に堆積していたのだ。
九十九が廃棄したネズミの数は、すでに二十匹を超えていた。
「……九十九、より代を、もっと増やせ」
四ツ谷の声は、枯れた木の葉が擦れ合うような音だった。
「これ以上増やしたら、店の中が死体だらけになるぞ! 四ツ谷、お前、もう限界だ。右手の麻痺が肩まで上がってきてるじゃねぇか!」
不意に、店の扉が乱暴に開かれた。
入ってきたのは、あの依頼人の男だった。
だが、その様子がおかしい。彼は虚空を見つめ、自分の首を掻きむしりながら叫んだ。
「……あいつが、あいつの目が! 俺を見ている! 部屋の中に、あいつが立っているんだ! 分割払いなんて嘘だ、俺にも呪いが返ってきてるじゃないか!」
冷泉が、男の前に立ちはだかった。
「落ち着いてください。それは呪い返しではありません。……お客様が、毎日この店に通いすぎたせいで、店内に溜まった『残りカス』に中てられただけです」
「うるさい! 助けてくれ! この音を止めてくれ!」
男が冷泉に掴みかかろうとした瞬間、四ツ谷が立ち上がった。
震える右手で、男の額を強引に掴む。
四ツ谷の目から、一筋の鼻血が垂れた。
「……この男の『共鳴』を、俺が引き取る。……九十九、台を回せ! 最終回まで、今すぐ全部、流し切るぞ!」
「死ぬ気か! 残りの三十回分を一気に流したら、お前の脳が焼き切れるぞ!」
「やれ!……このままじゃ、この男が先に壊れる。……商売に、ならんだろうが!」
九十九は、呪いながら回転台を全力で回した。
店内の空気が、爆発的な圧力で膨れ上がる。
カチカチというラップ音が、絶叫のような音に変わり、店中の窓ガラスに一斉にひびが入った。
四ツ谷の口から、どす黒い血が溢れ出す。
男の首に纏わりついていた「影」が、物理的な重力となって四ツ谷へと流れ込み、そして九十九が用意していた最後のアタッシュケースいっぱいのネズミたちへと、雷のように落ちた。
……沈黙。
数十匹のネズミが、一瞬で物言わぬ肉の塊に変わった。
依頼人の男は、腰を抜かしたまま、震えが止まらない様子で床に座り込んでいた。
「……終わったぞ。……全部、流した」
四ツ谷は、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
数日後。
あの依頼人の男は、二度と店に現れなかった。
標的の上司は、最後には発狂して線路に飛び込んだという。
店の中は、九十九が撒いた大量の塩と薬品の匂いで満たされていた。
四ツ谷は、寝椅子に横たわり、感覚のなくなった右腕を見つめていた。
「……四ツ谷さん、今回の収益ですが」
冷泉が、淡々と計算機を叩く。
「修理費と、より代の仕入れ値、そして近隣への口止め料で、利益はほぼゼロです。……分割払いは、二度と受け付けません」
「……へっ、そりゃいい。……俺も、ネズミの鳴き声は、もう聞き飽きた」
九十九は、新しい鳥籠を掃除しながら、吐き捨てた。
だが、店内の隅。
一箇所だけ、何度拭いても消えない黒い染みが、壁にこびりついていた。
それは、分割払いで払い切れなかった、「業」の利息だった。




