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のろいだいこうや  作者: 五平


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第28話:空白の帳簿

 再開発の波に取り残された、腐った果実のような雑居ビル。

 かつては風俗店や違法な金融業者がひしめいていたであろうその一角に、今、異様な熱気が立ち込めていた。ひび割れたアスファルトには、吸い殻と、誰かが吐き捨てた「救済への期待」が泥にまみれて散乱している。

 四ツ谷たちは、そのビルの三階、かつての貸金業者の跡地に足を踏み入れた。


「……九十九さん、周辺の不利益の滞留が想定値を越えています。……これは単なる悪意の集積ではありません。……不利益の付け替え(ロンダリング)が行われている」


 冷泉の声は、暗い廊下で微かな震えを伴って響いた。彼女の持つ携帯用端末は、周辺で無理やり「なすりつけられた不運」の偏りを検知し、耳障りな警告音を鳴らし続けている。

 九十九は、絶縁バールを低く構え、先行した。

「……ケッ、鼻が曲がりそうだぜ。……まともな掃除屋なら、この臭いを嗅いだだけで逃げ出す。……おい四ツ谷、足元のこれ、見ろよ」


 床には、夥しい数の帳簿が散らばっていた。だが、そこに記されているのは金銭の貸借ではない。

『息子の交通事故の責任を、相手側の過失に書き換える:五百万円』

『配偶者の不貞の事実を、隣人の記憶から抹消する:八百万円』

『会社への横領の疑いを、部下の不審死として処理する:二千万円』


 それは、負債を「引き受ける」のではなく、他人の人生という帳簿を勝手に書き換え、その差分から生じる「歪み」を、別の誰かになすりつける、最悪の錬金術だった。


「……いらっしゃい。本物の『四ツ谷』様が、わざわざこんな吹き溜まりまで、何の御用で?」


 部屋の奥。かつての社長席に座っていたのは、安物のスーツを派手に着崩した、顔色の悪い男だった。彼の周囲には、四ツ谷のような「穴」こそないが、その代わりに数台のサーバーが不気味な冷却音を上げ、そこから伸びる無数のコードが、部屋の隅で拘束された「負債の供給源ドナー」たち――意識を失った人々――に繋がっていた。


「……四ツ谷・負債管理事務所。……そんな堅苦しい看板はもう古い。……これからは、不利益を消すんじゃない。……『加工』して売る時代だ。……アンタが溜め込んできたその右胸のコレクション、うちの回線に通せば、ビルの一本や二本、簡単に建つぜ」


 四ツ谷は、無言で男を見つめていた。

 彼の右半身は、この部屋に充満する「加工された悪意」に反応し、激しい痙攣を起こしている。肺の奥を突き刺すような、腐ったプラスチックのような異臭。それは、彼がこれまで守ってきた「掃除の倫理」を、根底から汚泥で塗りつぶすような侮辱だった。


「……帳簿が、……白いな」

 四ツ谷の声は、極限まで圧縮された氷のように冷たかった。

「……あんたの書いてるこれには、……『対価』の記録が、どこにもない」


「対価? そんなもん、適当な奴になすりつけりゃゼロだ。……効率がいいだろ?」


「……ゴミは、……消えない。……場所を動かせば、……そこが、腐るだけだ」


 四ツ谷が、一歩前に出た。

 その瞬間、部屋の中のサーバーが一斉に火花を散らし、過負荷の悲鳴を上げた。四ツ谷の右胸の穴が、周囲で無理やり歪められた「不利益の流れ」を、その本来の重みのままに引き寄せ始めたのだ。


「な……っ、何をしてやがる! 在庫が……っ、俺が隠した負債が、逆流して……!」


「……九十九さん。……この部屋の『ゴミ』を、一箇所にまとめろ。……冷泉、……この帳簿の宛先を、……すべて、本人のところへ、送り返せ」


 九十九が、バールを床に叩きつけ、絶縁用の消却剤を噴霧し始めた。

「……へっ、了解だ。……おい、詐欺師。……不利益のロンダリングなんて、素人が手を出すもんじゃねぇ。……帳簿を白くしたツケは、……自分の人生の『余白』で払ってもらうぜ」


 冷泉が、端末から男のサーバーへ、直接的な「記録の強制照合」を叩き込む。

 

 サーバーから黒い煙が上がり、男が「加工」して隠していた数千人分の恨みの声が、狭いオフィス内に解き放たれた。物理的な突風が吹き荒れ、男は自身のデスクごと、壁際まで吹き飛ばされた。


「あ、が……ああ、ああああ! 見える……っ、俺が売った連中の顔が、……みんな俺を見てる……!」


「……それが、……あんたが書き残した、……『本当の帳簿』だ」


 四ツ谷は、膝をついて絶叫する男を冷たく見下ろし、足元に落ちた白紙の帳簿を、灰色の指で踏み躙った。

 部屋を支配していた不自然な熱気は、本物の「穴」がもたらす無慈悲な静寂によって、一瞬で凍りついた。


 三人は、混乱の極致にある雑居ビルを後にした。

 背後からは、逃げ場を失った悪意が、その生みの親を食い荒らす、断末魔のような叫びが響き続けていた。


「……四ツ谷さん。……まだ、同様の拠点が、この区内だけで五箇所確認されています」

 冷泉が、夜の街を見つめながら告げた。


「……すべて、……回るぞ。……俺の名前を、……不吉の象徴のままにしておくためにな」


 夜の風は、以前よりも鋭く、彼らの輪郭を削り取ろうとしていた。

 空白の帳簿を埋めるための、本当の「清算」は、まだ始まったばかりだった。


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