第2話:呪われるにも、作法があります
地下街のどん詰まり。湿気で壁紙が剥がれかけたその店には、今日も「正規の呪い」を求める客が訪れていた。
二番目の客は、ブランド物のバッグをこれ見よがしに抱えた、承認欲求の強そうな若い女だった。彼女は冷泉から差し出された契約書に目を通すこともせず、鼻息を荒くしてスマートフォンの画面を突きつけた。
「この女なんです。モデルの真似事して、私のフォロワーを横取りして……。あ、これ、インスタの投稿なんですけど、この『不幸の予告』みたいなのを、彼女のアカウントのコメント欄に毎日出るようにしてくれませんか? 私が呪ってるって、アイツに分からせたいんです」
冷泉は、書類を整理する手を止め、眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。
「……お客様。失礼ながら、それは呪いではありません。ただの稚拙な嫌がらせです」
「はぁ? 何よそれ、代行屋でしょ? お金払うって言ってるじゃない!」
奥の暗がりから、四ツ谷が音もなく現れた。右半身を引きずる足音が、コンクリートの床に重く響く。彼は女の目の前に立ち、そのスマートフォンの画面を、ゴミでも見るような目で見下ろした。
「相手に呪いを自覚させるのは、三流のすることです。いえ、おまじない以下の、単なる露出狂の遊びだ」
「な、なんですって……!」
「いいですか」
四ツ谷の声は、氷のように冷たかった。
「本物の呪いとは、証拠を一切残さないものです。相手が『自分が呪われている』と気づくのは、すべてが終わった後、あるいは一生気づかずに自滅していくのが理想だ。自覚させることで恐怖を与えるのは、ただの脅迫であって、私どもの『業務』ではありません。……九十九さん」
九十九が、奥の作業場から、錆びついた鏡を数枚抱えて出てきた。
「へっ、最近の若いのは、何でもかんでも見せたがる。呪いってのは、暗闇の中でじっとり育てるもんだ。光に晒した瞬間に、そいつは腐っちまうんだよ」
九十九は、鏡を床に並べ始めた。それらは合わせ鏡のように配置され、中心に置かれた何もない空間には、歪んだ光の渦が溜まっているように見えた。
「作法を教えましょう」
四ツ谷が、女の背後に立った。
「呪いたい相手の『認識』を奪うんです。相手が普段通りに生活している中で、ふとした瞬間に足元が揺れる。信号を渡る時、なぜか一歩踏み出すのが遅れる。階段を下りる時、一段飛ばしたような錯覚に陥る。……そうした小さな『綻び』を積み重ね、自ら事故や病気へと転げ落ちるように仕向ける。それが、私どもの『施工』です」
女は、四ツ谷の放つ異様な威圧感に、毒気を抜かれたように黙り込んだ。
「冷泉さん、規約の再説明を」
「はい」
冷泉が、事務的な口調で続けた。
「呪いには厳格な契約と規約がございます。第一に、施工内容を第三者に、ましてやSNSなどで口外することは禁じられています。情報の漏洩は、そのまま因果の逆流を招く。つまり、相手が死ぬ前に、お客様が社会的、あるいは物理的に破滅することになりますが、よろしいですね?」
「そ、それは……」
「第二に、呪いの『指向性』はこちらで管理します。お客様が勝手な念を付け加えれば、調整した『バイパス』が焼き切れ、呪い返しはすべてお客様の元へ直撃します。……九十九さん、インコの準備を」
九十九が新しい鳥籠を差し出す。中のインコは、何を感じているのか、激しく籠の網を嘴で叩いていた。
「……竹コース。相手の生活基盤の毀損。入金を確認次第、九十九が現場工作に入ります。お客様は、ただ自宅で『何もせず』に、相手の凋落を待っていてください。それが、最も効果的な作法です」
女は、震える手で追加料金の札束を置いた。
欲しかったのは、相手に自分を誇示することではなく、相手がいなくなることだったのだと、ようやく気づいたような顔をしていた。
女が帰った後、三人は手早く「施工」の準備に取り掛かった。
九十九は、ターゲットの自宅周辺に、特殊な加工を施した「種(より代の欠片)」を配置しに行く。冷泉は、入金を確認し、かつての組織へ「みかじめ」としての端金を送金する処理を行う。
そして四ツ谷は、合わせ鏡の中心に座り、右半身の痺れを増幅させていく。
「……四ツ谷、無理すんなよ。さっきの女の念、浅ましくて歪んでやがる。バイパスが詰まりやすいタイプだ」
九十九の忠告を無視し、四ツ谷は意識を沈めていった。
鏡の中に、数千、数万の「視線」が反射し、増殖していく。
それは、世界中に溢れている「誰にも向けられない恨み」の集積だった。
突然、店内の電球が激しく明滅した。
壁の隙間から、黒い泥のような液体が染み出し、冷泉のスチールデスクの脚を侵食し始める。
「……不備です!」
冷泉が叫んだ。
「依頼人が、帰りのエレベーターでスマホを弄っています! アカウントにログインしようとしている……契約違反です、因果が戻ってきます!」
「九十九、インコだ!」
四ツ谷が鏡を叩き割るようにして立ち上がった。
九十九が慌てて鳥籠の覆いを剥ぐが、今度のインコは、呪い返しを受ける前に、自ら首をひねって絶命していた。
「クソッ、より代が足りねぇ! 呪いの『鮮度』が強すぎる!」
逆流した闇が、逃げ場を失い、店内の空気を凍らせる。
四ツ谷は、咄嗟に自身の右腕を、その闇の通り道へと突き出した。
バチッ、と肉が焼けるような音がして、四ツ谷の右腕が不自然な方向に曲がり、黒い斑点が浮かび上がる。
「あ、ぐ……っ!」
「四ツ谷さん!」
冷泉が駆け寄るが、四ツ谷は左手で彼女を制した。
「……構うな。……なんとか、逃がした。……あの女のスマホ、今頃壊れているはずだ。……ログインできなきゃ、それ以上の逆流はない」
四ツ谷は、汗だくになりながら床にへたり込んだ。
右腕の感覚は、もはや石のように冷たくなっている。
「……へっ、間一髪だったな。だが、これで店の一部がまた『感染』したぞ。九十九、除染の準備だ。……冷泉、あの女には追加の清掃費用を請求しておけ。……作法を守れないバカの尻拭いは、高くつくとな」
九十九は毒づきながら、塩と薬品を撒き始めた。
冷泉は、四ツ谷の怪我を見つめ、短く溜息をつくと、電卓を叩き直した。
「四ツ谷さん。次からは、契約書に『端末没収』の項目を追加します。……プロの仕事の邪魔をする客は、もう、いりません」
地下街の静寂が戻ってくる。
だが、店内の隅、九十九が捨てたインコの骸から、一筋の黒い煙が立ち上り、天井の闇へと消えていった。
呪われるにも、作法がある。
そして、呪いを扱う側にも、守らねばならぬ規約がある。
それを破った時、本当のホラーが始まることを、三人は誰よりも知っていた。




