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のろいだいこうや  作者: 五平


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第16話:隠蔽(カモフラージュ)の極致

 銀座のオークション会場を後にした三人の車内には、言葉にするのも憚られるような「重い沈黙」が立ち込めていた。

 四ツ谷の右胸が吸い込んだ数千人分の怨念は、彼の中で消化されることなく、どろりとした黒い塊となって彼の肉体を内側から押し広げていた。高級セダンの本革シートは、四ツ谷が触れている場所からじわりと腐食し始め、異界の沼のような鼻を突く悪臭を放っている。


「……四ツ谷さん、意識を保ってください。まだ『荷物』が安定していません」

 冷泉がバックミラー越しに、四ツ谷の様子を鋭く観察する。彼女の指先は、タブレットを叩きながらも、微かに震えていた。

 吸い込みすぎたのだ。

 人の欲が煮詰まった「負債」を一度に食らえば、どれほど強固な器であっても、その因果の重みに耐えきれず、自らも「呪い」の一部として溶けてしまう。


「……分かっている……。だが、九十九さん……窓の外を、見てくれ……」

 四ツ谷の声は、もはや人間の喉から発せられたものではなかった。複数の男女の呻き声が重なり合い、地底から響くような地鳴りとなって車内に震動を与えている。


 九十九が助手席から窓の外を覗くと、走行中の銀座の街並みが、まるで水面に映った影のように激しく歪んでいた。

 歩道を歩く人々が、一様に足を止め、虚空を見つめている。彼らの背後には、本人たちも気づかない「黒い影」が、四ツ谷の乗る車に向かって一斉に頭を垂れ、まるで神を拝むように跪いていた。


「……ケッ、最悪だ。四ツ谷、お前が引き連れてきた『不利益』が、街中のゴミを呼び寄せてやがっぞ。……冷泉、隠れシェルターへ急げ! このままじゃ、夜が明ける前に銀座中の連中が、自分たちの罪を思い出して発狂しちまう!」


 車が滑り込んだのは、事務所ビルとは別の、地下深くに埋設された「特殊消却施設」だった。

 そこはかつて、組織が失敗した「依り代」を処理するために使っていた場所だ。冷泉は、かつての利権を駆使して、この場所を密かに買い取っていた。


 コンクリートに囲まれた冷たい空間。

 四ツ谷は台の上に横たわったが、その身体からは、すでに物理的な質量を持った「影」が溢れ出していた。

 

「……ああ……、聞こえる……」

 四ツ谷が虚空を指差す。

「……隠蔽しろと言っている……。あの大臣が、あの夜に轢き殺した子供の……泥だらけの靴の音が、部屋中に響いているんだ……」


 オークションの戦利品として四ツ谷が吸い取ったのは、大臣の「社会的地位」だけではない。彼が葬り去った、数え切れないほどの「真実」そのものだった。

 呪いの正体とは、忘れ去られたはずの真実が、形を変えて戻ってくる現象に過ぎない。


「……九十九さん。隠蔽カモフラージュの準備を。物理的にではなく、人々の『認識』を書き換えます」

 冷泉が、壁一面のモニターを起動させた。

 そこには、今夜オークションに参加していた富裕層たちの、プライベートな醜聞がリストアップされている。


「四ツ谷さんが吸い取った重圧を、彼らの『記憶』に等分して分け与えます。……彼らが自分の罪を思い出すたびに、四ツ谷さんの中の『穴』が少しずつ空いていく。……他人を呪おうとした連中に、その呪いの断片を、一生背負わせ続けるのです」


 施工が始まった。

 四ツ谷の右胸の穴から、真っ黒な「糸」のような影が噴き出し、冷泉が操作するサーバーを通じて、ネットワークの海へと消えていく。


「あ、が……あああああ!」

 四ツ谷がのけ反り、全身の血管が黒く浮き上がる。

 その瞬間、都内の各地で、何百人もの富裕層たちが、同時に眠りから覚めた。

 彼らは、暗闇の中に、見知らぬ「子供の泥だらけの靴」が置かれているのを見て、絶叫した。

 それは四ツ谷が「隠蔽」の名の下に、彼らの脳に直接送り込んだ、消えることのない不利益の刻印しるしだった。


「……隠蔽完了です」

 冷泉が、事務的にログを閉じた。

 四ツ谷の肉体からは、ようやくあのどす黒い圧力が消え、彼の中には再び「虚無」の静寂が戻ってきた。


 だが、九十九は、四ツ谷の横たわる台の周囲を見て、凍りついた。

 四ツ谷の影が落ちていたコンクリートの床が、完全に「消滅」していたのだ。

 そこには、底の見えない暗黒の穴が開き、下層にあるはずの構造すらも無視して、ただ冷たい「無」が口を開けていた。


「……四ツ谷。お前、もう吸い取ってるだけじゃねぇな。……お前の存在自体が、この世界の『現実』を削り取ってやがる」


 四ツ谷は、震える左手で右胸の包帯を巻き直した。

 その顔には、もはや苦痛すらなく、ただ氷のような無関心だけが宿っていた。

「……ああ。……隠蔽すればするほど、世界が薄くなっていく気がするんだ。……九十九さん。……俺が完全に消えるのと、この街が完全に空っぽになるの……どっちが早いかな」


 地下の施設に、カチ、カチ、と、また壊れた時計の音が響き始めた。

 それは四ツ谷の喉からではなく、消滅した床の穴の底から聞こえてくる、数千人の「隠された真実」の足音だった。


 隠蔽の極致。

 それは、誰も救われない代わりに、誰もが等しく「消えることのない恐怖」を分け合う、この世で最も公平で、最も残酷なホラーだった。


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