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のろいだいこうや  作者: 五平


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第14話:負債のマネジメント

 「四ツ谷・負債管理事務所」の応接室には、常に一定の室温と、それ以上に息苦しい「沈黙」が保たれている。

 この部屋の空気は、最新の空調システムによって管理されているのではない。四ツ谷という男の肉体が、周囲の熱を、そして人間が持ち込む「嫌な気配」を、無尽蔵に吸い込み続けているからこそ保たれる、不自然な均衡であった。


 冷泉が手元の漆黒のタブレットで管理しているのは、高尚な概念や、目に見えない霊的な正義などではない。

 顧客が「自分が何をしたか」という恐怖にどれほど怯え、その「解決」のためにどれほどの社会的地位や利権を差し出す準備があるかという、あまりにも生々しい損得勘定の記録だ。彼女にとって、呪いとは解くものでも祓うものでもなく、貸借対照表上の「負債」を別の項目へと振り替えるだけの、事務的な処理に過ぎなかった。


「……九十九さん。第十四号案件、進捗はどうなっていますか」

 冷泉の問いに、九十九は分厚いタブレットの画面を、不器用な指先で弾いた。

「へっ、チョロいもんだぜ。例の『清掃業者』……元・組織の生き残りの野郎どもに、ターゲットの代議士の周りを少しばかり『掃除』させた。あいつがかつて切り捨て、自殺に追い込んだ秘書の実家に、それらしい『供養の案内』を匿名で送りつけ、代議士の事務所の周辺に、わざとらしく忌まわしい噂を流させた。……物理的な嫌がらせじゃねぇ、あくまで『あいつの罪悪感』に、鏡を突きつけてやっただけだ。……おかげであいつ、今じゃ自分の影を見るのすら怖がって、夜も眠れねぇらしい」


 九十九の言う「清掃」とは、ターゲットが心の奥底に封印していた後ろ暗い記憶を、緻密な情報工作と心理的な揺さぶりによって「呪い」という逃れられない現実へと受肉させる工作のことだ。オカルトを信じるかどうかは重要ではない。人間には「後ろめたさ」という、決して修復できない欠陥がある。それを突けば、どれほど強固な精神を持つ者でも、自ら崩壊への坂を転がり落ちていく。


「……四ツ谷さん。そろそろ、あちらの『精神的な限界』が来ます。……準備を」


 部屋の最奥、光を一切反射しない遮光カーテンの影で、四ツ谷がゆっくりと瞬きをした。

 彼の右胸、高級なスーツの下にある「穴」は、かつて地下で暴発していた頃のように、不気味な脈動を繰り返すことはない。だが、そこには依然として、触れた者の体温を奪い、魂の芯を凍らせるような、絶対的な静寂が居座っている。

「……ああ。……分かっている。……あいつ、さっきからドアの外で、自分の吐息の音にすら怯えてやがる。……早く入れてやれ。……この右半身の刺すような冷えを、誰かに移さないと、俺が内側から腐っちまう」


 数分後。

 防音仕様の重厚な扉が開き、一人の男が滑り込むようにして入ってきた。

 若手代議士としてテレビや雑誌に華々しく取り上げられている男だが、今の彼にその覇気はない。仕立てのいいジャケットは冷や汗で汚れ、その目は何かに追い詰められた獣のように、部屋の隅々を泳いでいる。


「……助けて、くれ。……夜、眠ろうとすると、あの秘書の顔が天井に浮かぶんだ。……事務所の電話が鳴るたびに、あいつの遺言なんじゃないかと震えが止まらない。呪われているんだ。私は、死んだあいつに、呪い殺されようとしている!」


 冷泉は、男の醜態を憐れむこともなく、無言で契約書のファイルを広げた。

「代議士。貴方が感じているのは、単なる気の迷いではありません。……貴方がこれまで積み上げてきた成功の裏側で、同時に膨らみ続けた『不利益』が、今、貴方の立場そのものを担保として差し押さえようとしているのです。……私どもの代表、四ツ谷が、その重みを一時的に『肩代わり』いたします。……いわば、因果の債務整理リスケジューリングです」


「……肩代わり……? 本当に、そんなことができるのか。あいつを……あいつの影を、消してくれるのか」


「施工を開始します」

 四ツ谷が音もなく立ち上がり、男の背後に立った。

 彼が冷え切った右手を、男の脂ぎった背中に当てた瞬間、室内の空気が「ピリッ」と震えた。

 四ツ谷の右胸の穴に向かって、男が纏っていた嫌な汗の匂いと、目に見えない「執着」が、物理的な重力を伴った圧力となって吸い込まれていく。それは蛇が獲物を飲み込むような、あるいは底なしの沼が泥を呑むような、不快な音を伴う感覚だった。


「あ、ぐ……っ、は、はぁ……!」

 代議士が、肺の中の空気をすべて吐き出すように大きく喘ぎ、大理石の床に膝をついた。

 対照的に、四ツ谷の蒼白な顔には、一瞬だけ不健康な赤みが差し、すぐさま元の冷徹な表情へと戻る。


「……回収、完了だ」

 四ツ谷の声は、ただ事務的に、男の不安という名の汚泥を吸い取った事実のみを告げた。


「……ああ……消えた……。……あの嫌な囁きが、聞こえない……。……軽くなった、信じられないほどだ……。世界が、明るく見える……!」


 代議士が安堵の涙を流し、救われたと錯覚している間に、冷泉は一本のペンを無機質に差し出した。

「では、お約束の報酬について、最終確認を。……貴方が手放したその『重荷』は、弊社の管理下に置かれます。……見返りとして、来月の都市開発計画における入札権。これを、弊社の指定する協力会社……例の『清掃業者』のフロント企業へ、優先的に回していただきます。……もちろん、表向きは適正な審査の結果として」


 代議士の顔から、一気に血の気が引いた。

「……それは、明らかな便宜供与だ。……公権力の私物化、汚職になる……。発覚すれば、私の政治生命は……」


「……おや、代議士。……貴方は今、その『汚れ』を、四ツ谷さんに預けて楽になったばかりですよ?」

 冷泉が、懃懃無礼な微笑を浮かべた。その瞳は、獲物を値踏みする高利貸しと同じ色をしていた。

「……もし、清廉潔白でありたいと仰るのであれば、今すぐその不安を貴方の肩へお返しいたします。……そうなれば、貴方はまた今夜から、あの死んだ秘書の影に怯え、狂気に身を委ねることになりますが……いかがいたしますか? 我々の利権を助けるか、死人の視線に殺されるか。選ぶのはお客様です」


 男は、四ツ谷の闇のような、光を通さない深い瞳に見つめられ、蛇に睨まれた蛙のように震えた。

 そして、震える手で、自らの魂を売る代償としての契約書に、汚職のサインを記した。


 男が去った後、九十九が床に除菌剤を撒き散らしながら、満足げに鼻を鳴らした。

「……ケッ、上等な利権だぜ。呪いだ幽霊だと騒いでくれるおかげで、こっちは合法的に金の成る木を引っこ抜ける。……四ツ谷、お前、さっきの『味』はどうだった?」


「……相変わらず、脂ぎっていて不快な味だ。……だが、これを定期的に食わないと、俺の右半身が腐っちまうからな。……呪いも利権も、同じだ。……人間が吐き出した、一番汚い部分こそが、俺たちの糧になる」


 四ツ谷は、右胸の穴をさすりながら、暗闇の中で微かに目を細めた。

 オカルトを信じようが信じまいが、人間には「後ろめたさ」という逃れられない根源的な欠陥がある。この事務所は、その欠陥を「負債」として買い取り、冷徹な現実の権力へと変換する、ただの換金所に過ぎなかった。


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