無味
境界区域には、時間だけじゃなく
順番もない。
誰が先で、誰が後か。
どんな人生を送ってきたか。
それはここでは、意味を持たない。
ただ、落ちてくる。
俺は、昨日と同じ場所にいた。
壊れた家の壁。
ネコを足元に置いて、空を見ていた。
期待しないようにする、
なんてことはできない。
でも、期待してはいけない、
という感覚だけは、少し分かってきた。
空気が、また歪んだ。
今度は男だった。
年齢は分からない。
若くも、老いてもいない。
スーツ姿。
でも、もう「仕事」をしていない人間の顔だった。
男は、地面に立ったまま、きょろきょろと周囲を見回した。
「あー……」
最初に出た声が、それだった。
「……あれ? 死んだ?」
独り言みたいに呟いて、
次に俺を見た。
「あ、すいません。
ここ、どこですか?」
俺は、何も答えなかった。
男は少し困った顔をして、
でもすぐに肩をすくめた。
「まあ、いいか」
いいのか。
「正直さ……」
男は、俺じゃなく、
裁定塔のほうを見ながら話し始めた。
「もう、どうでもよかったんだよね」
声は穏やかだった。
「仕事も、家庭も、
うまくいかなかったわけじゃない。
でも、全部“想定内”だった」
想定内。
「失敗も、成功も、
全部だいたい予想通りでさ」
男は、苦笑した。
「だから、期待もしてない」
その言葉が、
胸に、すとんと落ちた。
「異世界?なぜあの塔に行かないといけないんだ?
どうせ、ここでも同じでしょ」
男は、裁定塔に向かって歩き出した。
足取りは、軽かった。
止まらない。
止められない。
裁定官が、現れた。
淡々と、機械みたいに告げる。
男は、最後まで表情を変えなかった。
驚きも、嘆きも、怒りもない。
裁定は、下った。
男は、静かに消えた。
何も残さず。
空気が、元に戻る。
俺は、動かなかった。
ネコが、足元で一度だけ伸びをした。
期待していなかった人は、
壊れなかった。
でも。
救われた、とも思えなかった。
ただ、
「そういう終わり方」だった。
俺は、初めて思った。
期待がないのは、
強さじゃない。
逃げなのかもしれない、と。
シンは、そうだと思った。




