リオスの答え
裁定塔の最上階は、いつも静かだ。
ここでは叫びも、嘆きも、祈りさえ音にならない。
リオスは石窓の前に立ち、境界の向こうを見下ろしていた。
そこに広がるのは、裁定されなかった者たちの気配。
数ではなく、重さとして感じ取れるそれ。
――また一つ、終わった。
あの少年の気配は、もうない。
「……シンは、まだ理解していないな。」
背後で衣擦れの音がした。
裁定補佐官の一人が、ためらいがちに口を開く。
「なぜ、彼にここまでを任せたのですか。
赤紋が出た者など、本来――」
リオスは振り返らなかった。
「赤紋は“罪”ではない」
低く、はっきりと言った。
「赤紋とはな、
他者を信じる力が、完全に欠損している証だ」
補佐官は言葉を失う。
「シンが来た時は分からなかった……
が、あの “紋”は善悪では測れない。
法でも裁けない。
共存の“前提”が壊れているだけだ」
だから人々は逃げる。
危険だからではない。
関われないからだ。
「では、なぜ彼は――」
「緑紋が出た、か?」
リオスは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「あれは“善”ではない」
裁定官である彼が、初めて感情を含ませる。
「彼が、誰かを抱いていた。
それだけだ」
猫。
あの小さな生き物を、手放さなかった事実。
「他者を信じてはいない。
だが、他者を切り捨てもしていない」
矛盾。
未完成。
判断不能。
「だから私は、裁定しなかった」
裁定官が、裁定を放棄した理由。
「最初から、
彼は裁定できない存在だった」
補佐官は、静かにうなずいた。
沈黙の中で、リオスは思い出す。
――紋すら出なかった、あの少年。
恐れず、望まず、選ばず。
自我が芽吹く前に、押し潰された存在。
「裁定塔に来なかったから死んだのではない」
誰に言うでもなく、リオスは呟く。
「裁定されるだけの
“自分”が、育っていなかっただけだ」
だから、救えなかった。
そして――
それを見届けたのが、シンだった。
リオスは歩き出す。
境界へ続く扉の前で、足を止める。
「彼は問う者になった」
裁定官としてではない。
神でも、救済者でもない。
ただの人間として。
「……もう、裁定する意味はない」
それが、この世界の限界であり、答えだった。
扉の向こう。
境界の外。
裁定官は、最後まで裁定しない。
ただ一度だけ、心の中で告げる。
――驕るな。
――だが、忘れるな。
――命は限りある。
――そして、生き方だけが、他者に影響を残す。
その影響を、
彼はすでに受け取ってしまった。
選ぶかどうかは、
もう誰の役目でもない。
リオスは踵を返した。
境界の光が、静かに揺れている。
物語は、
そこから先を語らない。
語らないまま、
終わる。




