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今更溺愛されましても

作者: 新井福

お読みいただきありがとうございます。

 ぱちり。

 目を覚ますと、目の前にいっぱいの美形がいた。黒髪の美形は、紫色の瞳をとろりとさせる。


「目が覚めたのか。――グレッチェン」

「……グレッ、チェン?」


 あまり聞き慣れない名前に違和感を持つ。

 ぼんやりとする思考とは反対に、心臓は早鐘を打った。


「……? お前の名だろう、グレッチェン。まだ気分が悪いのか?」

「え、と……。すみません、なんだか混乱しているみたいで……」

「どうしてそんなに他人行儀なんだ。グレッチェンは私の娘だ、かしこまる必要はない」

「娘……」


 この人の、娘……――娘!?


「あ、あ――! 思い出した!」

「それは良かった」


 記憶は花の開花のように、鮮やかに蘇った。


 この人は、冷酷非情で名高い魔法使いエメスト。

 そして私は、彼に愛されない娘グレッチェンだ。


◇◇◇


 グレッチェンは愛されることがなかった。

 エメストが屋敷を囲うように張り巡らした結界のせいで外に出ることも叶わず、日がな一日、図書室の本を読みふける少女。

 大きくて寂しい屋敷だけが、彼女の世界だった。


 抱き締められたことはない。何度も手を伸ばしたけれど、きつく睨みつけられるだけだった。

 側に近寄ることすら阻まれ。食事の時も長いテーブルの端と端に座る。


 およそ愛というものを感じたことはない。けれどグレッチェンは父を愛していた。

 ――それは一種の防衛反応だったのかもしれないけれど。



「お嬢様、今日はどのような髪型にいたしましょうか」

「編み込んで欲しいわ。それでこの可愛いリボンを結んでね」

「かしこまりました」


 年配のメイドが目を細める。


 エメストは人を拒むためか、屋敷にいる人物は少ない。

 今日だって、屋敷には数人しかいなかった。

 

 ……そういえば、グレッチェンのお世話をしてくれた母のようなメイド――リーナも見ない。どこに行ってしまったのだろう。なにか、エメストの不興でも買ってしまったのだろうか。

 心臓がきゅっと痛くなったが、すぐに見ないフリをした。


 鏡に写った十二歳ほどの自分の頬を触る。丸々としているが、あまり柔らかくはない。でも痛くて、これは夢ではないのだとため息をついた。


「完成しました、お嬢様」

「……っ、ありがとう!」


 はっと顔を上げ礼を言う。

 見事に結い上げられた髪には赤いリボンがチョンと乗っていて、白いワンピースに良く映えていた。

 

「これなら、お父様も可愛いと言ってくれるかな」

「旦那様はいつだって、お嬢様を愛していますわ」

「……そうかな」


 グレッチェンは捨て子だった。

 寒い日に屋敷の前に捨てられていて、メイドが放っておけず屋敷に入れたらしい。


 そしてその赤子を、なんの気まぐれかエメストが引き取り養子にした。

 

「……私は、お父様を愛しているわ」


 多分グレッチェンは恐ろしかったのだ。冷酷非情な彼に捨てられることが。

 だから父を愛し媚びることで、自分を守ろうとした。


「……お嬢様」

「なぁに」

「抱き締めても、よろしいですか?」


 はたと目を見開く。

 彼女はなぜか、泣きそうな顔をしていた。


 父に愛されないグレッチェンに、思うことでもあるのかもしれない。 


「……うん、いいよ」


 それを合図に、彼女は私を抱き寄せた。

 膝を折り、祈るように。


「私は、お嬢様の味方でありますからね」

「ありがとう」


 唇を噛み締めた。決意を新たにする。


 まずは、あの冷酷非情なお父様とどう関わるか決めなければ――!




「あの……お父様?」

「なんだ」

「わ、私、もう子どもじゃないですっ」

「……私からしたら、いつまで経っても子どもだ」


 食堂。

 そこで私は、エメストの膝の上に乗せられていた。しかも食事の介添え付きで。


 エメストが丁寧に冷ましたスープを口に入れられる。パンプキンスープがなめらかに舌の上を滑った。


「美味しいか?」

「は、はい。とっても……」


 だれがどう見ても、これを冷酷非情とは言わないだろう。むしろ過保護……いや溺愛という表現の方が合っている。


 なにがどうなっているんだろう。頭でも打ったのか。


「お父様、大丈夫ですか? 体が、痛くはありませんか」

「……? 心配には及ばない」


 首を傾ける彼は惚れ惚れするほど美しい。

 魔力量の多い人は歳を取るのが遅いと言うが、彼もまたそうなのだろう。グレッチェンも実年齢は知らなかった。


 小さく千切られたパンを食べながら頬に触る。

 う~ん、よく分からない。


 ペタペタ、ペタペタ。


「私の顔になにかあるのか」

「い、いえ!」


 慌てて手を引っ込める。危ない危ない、急に丸くなったからといって油断してはいけない。

 彼は冷酷非情の魔法使い。竜退治の際、敵味方容赦なく焼き払おうとしたという噂は何度も聞いたことがあるし。使用人が自分の体に触れようものなら、叩くようにして振り払っているのを見たことだってある。

 それ以来グレッチェンは軽率に彼に触ろうとしなくなった。


「そうか」


 一言頷いて、エメストはぎゅうと抱き締める腕に力を込めた。


「グレッチェン、私の娘……」


 息を多分に含んだ言葉の、衝撃。瞬間涙がほろりと溢れた。

 慌てて手で拭う。幸いにも顔を俯かせていた彼は気づかなかったようだ。


 胸が痛くなる。

 違うよ、私はグレッチェンに乗り移った別人なんだよ。どうして今グレッチェンを抱き締めてそんなことを言うの? 

 もっと早く、この体の持ち主がグレッチェンの時に言ってあげてほしかった。


 恨み言がぽろぽろ零れてしまいそうで、手で口を押さえる。


「お父様、私のこと、好きですか?」

「あぁ、愛しているよ」

「やったぁ、私もお父様大好きです」


 やるべきことが明瞭化された。

 グレッチェンの体に憑依してしまった私。私の魂を出し、そこにグレッチェンの魂を入れなくては。


 だってグレッチェンがこの言葉を聞けないなんて、そんな理不尽ったらない。


「ねぇお父様、約束してください」

「なにがだ」

「ずっと私に、『愛してる』って言ってくださいね」


 目がきゅぅと細まる。

 エメストは今にも泣き出しそうだった。


「勿論だ、約束する」


◇◇◇


 部屋に戻ってから思案する。


 グレッチェンが読んだ本の記憶は、私の中にもある。その中に参考になりそうな本はなかった。

 そしてエメストの自室に行ってもなにも参考にはならないだろう。


 天才肌過ぎるが故に本は一回読むだけで事足りる。だから彼は本を一冊も持っていない。


「だったら、外に出るしかないよね……」


 ゴクリ。唾を呑む。

 エメストは毎日王城で働いている。一緒に連れて行ってもらえば、道は拓けるかもしれない。


 ……だが、グレッチェンはお願いしても一度だって連れて行って貰ったことはなかった。

 グレッチェンは夢見がちな乙女であった。そうであると自覚しているだけましだが、白馬の王子様がいつか私を……なんて妄想をよく脳内で繰り広げている。

 そんな彼女の憧れは、金髪碧眼という乙女の夢をこれでもかと詰め込んだアルベアト殿下。一度で良いから会いたいと何度も切望する程に。


 だから勇気を振り絞ってお願いしても、エメストは頑として頷かなかった。


 しかしエメストはもう少しで行ってしまう。悩んでいる暇はない、早くしなければ。


 部屋から出て、階段へ向かう。

 既にエメストは外に出ようとしていた。階段を下りる暇なんてない。お腹に力を込めた。


「お父様、お待ち下さい!」

「……っグレッチェン、どうしてそんな所にいるんだ」


 見上げ顔を青ざめさせるエメスト。


「私も、王城に連れて行って欲しいのです!」

「駄目だ。外には危険がいっぱいある。部屋に戻りなさい」

「い、嫌です」


 勇んで一歩前に踏み出す。

 そこで風に体をすくわれ、ふよふよ浮遊した。

 

 エメストの腕にすっぽりと収まる。

 彼を見れば、とんでもなく怖い顔をしていた。美形の怒った顔ほど怖いものはない。


「いいか、階段はこの世界で最も危険なものだ。一人で登り降りしてはならない」

「そこまでですか?」


 この世界で最も危険な魔法使い、エメストにそう言わしめるとは。おそろしき階段。


「あ」


 凶悪な考えが浮かんでしまった。


「でも〜。お父様がいない間に勝手に階段を登り降りしちゃうかもしれません〜。だから、お父様が私の側にいてくれないといけませんね〜」


 エメストは絶句した。私の強かさに。

 なにかを言いかけて、口をつぐんで。それを何度も繰り返す。


「…………はあぁぁ」

 わぁ、大きなため息! こんな顔初めて見た!


「しょうがない。良いか、私の側を離れないように」

「はぁい」


 こうして、エメストに抱っこされたまま私は王城へ向かうこととなった。


 初めて見る王城は、想像の何倍も大きい。

 手入れが行き届いているとすぐに分かる白い王城は、荘厳の一言に尽きた。暖かい陽の光が差して影を形作り、空の下に鎮座している。


「わぁ……お父様凄いですね、とっても大きいですよ」

「なぜ大きいだけでそんなに喜ぶのか、理解に苦しむな」

「だって素敵じゃないですか。大きいものは正義です。すごくかっこいいですから」


 ふむ。顎に手を当てたエメストは、さらさらと宙になにかを書く。


「なにをなさっているのですか?」

「……屋敷の改築をするようにと執事に手紙を書いている」


 まさか、今の私の発言を聞いて?

 やだ、グレッチェン凄い愛されてる。


「って、お父様待ってください! そんなことしなくて大丈夫です!」

「だが大きいものはかっこいいのだろう」

「今も十分大きいですし、かっこいいですっ」


 少し残念そうにしながら、そうか、とだけ呟いてまたなにかを書き出した。


「グレッチェンがそう言うなら、なしにしよう」

「ありがとうございます、お父様」


 そのまま王城に入ると思ったが、なにを思ったのかエメストは裏へと回った。

 

「ここからの方が近い」

「なるほど」


 入れば一面が白く、開けた廊下に繋がっていた。

 ローブを着た人たちが歩いていて、エメストと同じ魔法使いなのだろう。


 てっきり注目の的かと思ったが、皆目をそらすだけで特段変わった様子はない。


「……?」

「グレッチェンには透明魔法をかけている。並大抵の魔法使いには知覚すらできない」


 凄いの一言しかでない。


 そのままエメストは、自分の執務室であろう場所の前で足を止めた。

 勝手に扉が開く。


 またエメストの膝の上に乗せられた。

 執務仕事をしだすエメストにそれでいいのか? 一抹の疑問が湧き上がったが思考を放棄する。


「お父様、私どこかに行ったりなんて……」

「駄目に決まっているだろう」

「ですよね〜」


 でもこのままではグレッチェンの魂を元に戻すことはできない。


「お、お父様」

「なんだ」


 にっこぉ……。不器用に笑ってみる。


「ちょっとだけで良いの。お外に出たいなぁ。ね、良いでしょお父様?」


 真顔のまま、うぐとなっている。

 駄目押しとばかりに首を傾げた。


「お願い、大好きなお父様」

「……………………少しだけだぞ」


 見事勝利を勝ちとってしまった。


「遠くまでは行かないように」


 風で膝から下ろされる。


 意気揚々と飛び出していく私の後ろで、エメストはなにかを呟いた。

 振り返るが、なんでもないと首を横に振られる。


「今日……、……は外出……だ」


 それだけかろうじて聞きとれた。


◇◇◇


 部屋から行儀よく出た私は、扉が閉まると同時に走り出した。

 時間は少ない、早くしなくては。まだ透明魔法は有効なようで、周りの人は私に気づかない。


 どこかに、手掛かりとなるもの……!



 小さな体を精一杯動かす。

 曲がり角に差し掛かった所で、ぬっと現れた何かにぶつかった。


「……っ」


 勢いで尻もちをついてしまう。


「おや、今打つかった感触があったが……誰もいないようだね」


 穏やかな声が耳朶に響く。

 顔を上げれば、金髪の男性が辺りを見回していた。

 傍に控える侍従が礼をする。


「視察が予定より早く終わったとはいえ、お疲れなのでしょう。マッサージを予定に入れておきます」

「えぇ……。あれ痛いから嫌なんだけど」

「文句は仰らないで頂きたいですね。――アルベアト殿下」


「……え」


 アルベアト殿下と呼ばれた男が目を瞬かせた。


「うん? 今声が聞こえたような……」

「やはりお疲れなのですね。おいたわしや」

「こらこら、年寄りのような扱いはよしてくれ。まだ三十二歳だ」


 口をパクパクと開閉する。


 だって彼は――グレッチェンと同い年だったはずだ。グレッチェンに歳の差の趣味はない。


 ではなぜ、彼だけ大人に。


 逃げるようにどこかの一室に入る。そのまま崩れ落ちた。


「なんで……」


 呼応するみたいに心臓がずくんと痛んだ。


 痛みを堪えながらも、思考はクリアになっていく。


「……ちが、う……」


 痛いのは、魂だ。

 

 ぶわりと記憶が溢れ出す。体がばらばらに千切れてしまいそうなほど、沢山の記憶。 

 一番新しい思い出が、そんな私を繋ぎ止めた。


 寒い冬の日。どこにいても寒くて、グレッチェンは父を探した。今日こそは抱き締めてもらえるかと思って。

 外に行こうとしている父を見つけた時、彼女は階段の上にいて。急いで降りようとした。

 だけど階段を踏み外して。転がり落ちて。振り返った父が手を伸ばして。間に合わなくて。自分を呼ぶ声だけが聞こえて。


「そうだ。……そうやって、()は死んだんだ」


 ずっと考えていた。グレッチェンの魂はどこにあるのかと。

 答えはすぐ傍にあった。


 私が、グレッチェンだったのだ。



 ぱちり。

 目を覚ますと、目の前にいっぱいの美形がいた。

 私のお父様だ。どうやら気絶していたらしい。

 

「大丈夫か!? 痛い所はないか……」


 焦った様子で私を抱き締めるお父様。執務室のソファに座っている。


「……ねぇ、お父様。私は今一体どうなっているのですか? アルベアト殿下を見て、全てを思い出しました。――私は、死んでしまったんですよね」


 確信に迫ったことを聞けば、顔が青を通り越し白くなった。


「私は、もう魂だけのはずです。でしたら、今の私は」

 なにになったんですか。


「…………」


 沈黙が続いた。


 お父様は私を強く抱き締める。痛いくらいで、目に涙が滲んだ。


「王太子殿下を見れば、記憶を取り戻すかもしれないと危惧していた。今日は外出中だと油断したな……。――そうだ、二十年前のあの日、お前は死んでしまった。グレッチェンの魂は……今魔法人形の中に入っている」

「……それは、違法では」

「知っている」


 俺は……俺はただ。


 雲を早く動かす風。チューリップは頼りなくゆらゆら揺れる。

 それぐらい、お父様の声はか細かった。


「グレッチェンに、もう一度会いたかったんだ……」


 涙が私の頬を濡らした。

 初めて見るお父様ばっかり。


 ……違う。忘れていただけで、お父様はいつだって表情豊かだった。

 アップルパイを食べる時、顔が緩むこと。魔法に失敗した日は眉根が寄っていること。たまに思い出したように口角を上げること。……全部遠目からしか見ることは叶わなかったけど。

 ずっと、忘れていた。


「お父様、私を愛しているんですか?」

「勿論だ。愛してる」

「じゃあどうして、いつも私を拒絶したんですか」


 お父様はまた黙り込んでしまった。


「私、いつも寂しかったんだよ……お父様」


 鼻がツンと痛くなる。涙が次から次に溢れて止まらなかった。


「すまない。……だが、私が触ればグレッチェンは死んでしまったかもしれないんだ……」


 途切れ途切れにお父様は語った。

 魔力の多い者は、周囲にもそれを振りまいていると。そして素養のない普通の人間には、その魔力は毒だということも。

 声にも魔力は宿る。触るもの全てに魔力は宿る。だから極力、私に近づかないようにするしかなかった。


 しかし私の魂は今、魔法人形に入っている。魔法人形は魔力で壊れるなんてことはないから、お父様は私に触れられているのだろう。


「すまなかった、不甲斐ない父を許してくれ……っ」


 泣き出す彼は、疲労の色が濃かった。

 

 それは、私が死んでからのおよそ二十年という歳月を感じさせた。


「……じゃあ、もう一回愛してるって言ってほしいです」

「もう一回なんて寂しいこと言わないでくれ。何度だって、何度だって言えるんだ。魔法人形になったグレッチェンになら……」


 そっとお父様の胸に額を寄せる。


「でもねぇお父様。私このままだと生まれ変われなくなっちゃう」


 それはお父様も周知していたはずだ。証拠に、動きが止まってしまった。


「……いやだ。いかないでくれ……」

「ごめんなさい、お父様」

「お前が私の下に来た日。笑う顔を見て決めたんだ。全てを以て幸せにすると。私はまだ、なにもしてあげられていない。だからいかないでくれ……」


 魂の輪郭があやふやになって、空気に溶けていくのがわかる。

 時間だ。私が私であると気付いた瞬間が契機となった。


「ごめんなさい。私をどうか許してね。生まれ変わったら、絶対にお父様に会いに行くから」


 ――その時はまた、愛してるって言ってね。


 思い出したことが一つある。

 グレッチェンは、いいえ私は、お父様をとても愛していた。


 だって屋敷の図書室は、お父様には必要のないものだから。

 年々増えていく本。私の好きな本ばかり。

 私はたしかに、お父様からの愛を感じていた。


 さようなら、お父様。どうかお元気で。




 秋がゆっくり足を忍ばせやってくる。

 執務室には座り込んだ男が一人。


 すすり泣く声だけが、微かに外に漏れていた。


◇◇◇


 私は明日、村の青年と結婚する。

 その前に屋敷を訪れていた。


 私は孤児院で育った。でもその孤児院はとにかくお金がなくて。シスターや仲間と身を寄せ合って生活をしていて。

 そんなある日。魔法使いだというお爺さんが孤児院にやってきて、大金をポーンとくれた。


 最初は皆で断ったけど、お爺さんも譲らなかった。かなりの頑固者だねぇ、皆で夜話し合ったのは今でも覚えている。


 お爺さんは昔凄い魔法使いだったらしい。もう魔力は殆ど残ってないらしいけど。

 だからか、お爺さんはとってもおしゃべりだった。あのおしゃべりについて行ける人間はほんの一握り。

 


 屋敷はいつも開けてある。

 防犯上よくないよぉ。長い階段を上る。

 上ってすぐの部屋――図書室の隣にお爺さんはいつもいる。


「おじーいさん」

「……おや、来てくれたのか」


 その口ぶりは、私が遠くの地に行くことを知っているようで。

 やっぱりお爺さんは凄い。


 今は髪も真っ白だけど、整ったお顔と澄んだ紫色の瞳。昔はモテていたと一目でわかるお爺さんは、背筋を真っ直ぐなチューリップみたいにりんとさせ本を読んでいる。


「お爺さんなんの本読んでいるの?」

「王子様に求婚される女の子のお話だよ」

「お爺さんって趣味が随分可愛らしいねぇ」


 何度も読んで擦り切れたであろう本。

 図書室の本はお爺さんのお気に入り本ばかりなのだろう。……ちょっと乙女趣味なものが多いと思うけど。


「君も好きな本だったよね。いるかい?」

「あはは、そんな大事にしてるの貰えない貰えない」

 たはーと笑う。何度もお爺さんからされた問いかけに、同じように答える。


「そうかい」

「うん」


 優しい沈黙が続いた。

 両手を握りしめる。


「……私ね、結婚するの」

「知っているよ。相手はパン屋の息子、だったよね。大丈夫、きっと全て上手くいくよ」

「ありがとう、お爺さん」


 お爺さんの言うことならきっと本当で。私は緊張が解けはにかんだ。


「結婚式は必ず来てね」

「あぁ、約束する」



 勢いに任せて口を開こうとした。だけどなにもいえずに、時間切れで口を閉じる。

 息を吸って吐く。

 言葉を大事に口の中で練った。


「ねぇ、お爺さん。今まで、本当にありがとう」


 ずっと思っていた。

 ご飯を持ってきてくれて。本を読み聞かせてくれて。沢山抱き締めてくれて。いっぱい愛してくれて。


 私はそれを知らない。だけどきっと貴方のような人を、そう呼びたいと思うから。


「――お父さん、大好きだよ」


 春を告げるすみれ色の瞳が、零れんばかりに見開かれた。


「……お父さんって呼んでも、良い?」

「あぁ、勿論だ。私も愛しているよ」


 目尻に涙をためたお父さんの胸に飛び込んで。


 いつもみたいに、強く強く抱き締められた。

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