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魔人バグザー

作者: 理乃碧王

 嘲り、嗤い、失笑の音が深い森の闇夜に響く。

 かのものは黒い道化師。

 顔は月白色に塗り固め、右目に青緑の泪、左目には深紅の心臓が描かれる。

 特徴的な先端が左右に尖った口ひげは見るものを挑発するようであった。

 衣装は黒曜石のように艶やかな布が使われ、袖はゆったりと膨らんでいる。

 そして、所々にダークエメラルドグリーン色の刺繡が走り、首元には大きな象牙色の襞襟が巻かれていた。

 この暗い道化師は右手に持つ銀色の短剣をペンのように走らせながら、こう告げた。


「バグザーと申します。貴殿らが生きたつもりの物語――それは既に私の掌の上にございます」


 この黒い道化師の名は魔人<バグザー>。

 遥か昔、闇の神<ネロムルス>と契約し、人でなくなった男である。

 このバグザー、実に偏執としていた。

 人族であろうが、魔族であろうが生という舞台で演じる役者に過ぎないと断じている。

 バグザーにとって、生きるということは喜劇に他ならなかった。


「生きるというのは、まこと愉快なもの。信じて、願って、裏切られて、なお舞台に立ち続ける――まるで物語の結末を知らぬ道化ではございませんか」


 バグザーは、生きるものの舞台の脚本を書き変える。

 アドリブにより共演する者達を戸惑わせ、極められた結末を塗り替えるのだ。

 英雄譚に悲劇を、恋の誓いに死別を、勝利の宴に毒酒を――。

 あらゆる予定調和を書き変えては、人生の役者達が戸惑う姿を楽しむのである。

 彼はいかようにして歪んだのか、それは太陽が蒼く地を照らしたときから始まる――。


 蒼焔歴零年。

 世界は一面に蒼き光に包まれる。

 それは大世界<シャリリカムラ>の創生させた太陽の子、ソルによる裁き。

 大地を、海を、自然を、生物が住む生命の勾玉。

 その珠を作り出した<太陰珠神>の一人であるソルは、創生したもので一番手をこまねいていたのが人間であった。


 人は珠の根底に流れる生命の循環を巡るための自然の一部。

 核となるべき存在であった。

 人はそのためにソルと同じ形に似せて作られたのであるが、彼らはいつしか自らを神と近い存在であると錯覚し、自然のバランスを無視していった。

 太陰珠神の太陽の子・ソル、月の子・ルビナディアの子達である火、水、風、土の神々は人を愛で、共に世界を築こうとした。

 しかし、人は理を忘れ、己を中心とする文明を拡げ始めた。

 火は都市を焼かれ、水は汚され、風は祈りを失い、土は命の循環を断たれた。

 強者は弱者をなじり、踏みつけ、凌辱し、命を奪っていく――。


 驕りである、傲慢である、慢心である。

 シャリリカムラは太陽と月の愛と慈悲により誕生した世界。

 人が神の形に似せて創られたのは、彼らが自分達の同じ愛と慈悲を地上に満たすと思ったからである。

 それがいつしか彼らは、人は神々の力に似せたもの<魔導>により世界を破壊していく――。

 そして、遂にソルと子である神々は苦渋の決断を果たす。


「天より蒼き審判を――生命の再起動を告げよ、零にせよ」


 その日、世界は蒼く染まった。

 空は蒼白に裂け、大地に降る蒼き陽光は、かつての慈しみを棄てた冷光。

 木々は散り、海は泡立ち、命あるものは光の下で眠りについた。

 それが蒼焔の裁き、その日より<蒼焔歴>と呼ぶこととなる。

 地上に人により作られた数多の国や文明は――。


 ――滅び去った。


 だが、それでも全ての人が滅び去ったわけではない。

 蒼き太陽の啓示者<エルス>と、導かれし<ルファの民>はソルの啓示により生き残った。

 エルス達は人の秩序と罪を識る最後の審問者として、魂の深奥に裁きを刻まれながらも、生き残ることを赦されたのである。


 これが所謂、人の新たな始まりとされているが、それは表向きの歴史であり裏の歴史で生き残る者達もいた。

 慈悲深き月の子・ルビナディアと闇の神ネロムルスにより助けられた生命もある。

 花還す王国ヴァルセオンのバグザー、花の紋章を戴く騎士は死に絶える女と子の遺体を抱え咽び泣いた。


「何故だ! 神々よ! 我らはただ自分達の小さな灯を守りたかっただけなのだ……!」


 全てが凍てつく世界、冷たい石の床でバグザーは絶叫した。

 彼の腕の中にあるのは、妻と生まれたばかりの娘の亡骸。

 蒼き裁きの光は善悪を問わず、ただ人であるという罪に等しく降り注いだ。

 彼は銀の剣を捨て、血に濡れた手を天へと伸ばす。


「理不尽だ、無慈悲すぎるぞ神々よ、私は貴方達を憎む! 」


 バグザーが絶望で打ちひしがれたとき、その耳元に低く囁く声が響いた。


「悲劇に身を落とした騎士よ。ならば、喜劇を受け入れよ――汝は世界の調和を保つために生き残るべきだ」


 彼の影が揺らぎ、そこから現れたのは仄かに赤黒い光を灯す異形の手。

 それが差し出したのは『白紙の書』――。

 神々の記録に記されぬ、もうひとつの物語の帳面であった。


「この世界の脚本家になれ。悲しみを、滑稽に書き換えよ。生を舞台に、死を幕引きに、結末を笑いに――正しさばかりが正義や調和ではない」


 その声こそが、闇の神ネロムルスであった。

 月の子・ルビナディアが夜の慈悲をもって哀れな者を抱く一方で、ネロムルスは深淵を見つめる者に手を伸ばす優しさがあった。

 世界は光と影、陰陽一体でこそ調和が保たれる。

 そのために、ルビナディアとネロムルスはソル達に見放された者達を助けた。

 ――これが<魔族>と呼ばれる始祖達の起源である。


「神よ……あなたは……」

「我が名はネロムルス。影の彼方より現れ氏調和の一端――汝の愛と絶望を受け止めよう」


 バグザーの身は黒き夜に包まれた。

 血と涙にまみれた騎士は、道化の仮面を被った魔人へと転生するための儀式。

 その契約は顔を白く塗り、喪の色をまとい、心臓の赤と涙の緑を記すこと――。

 それが彼に残された、かつて『愛した者達』の色だった。

 ――そして、最後に刻むのは嗤いであった。


「生きとし生けるもの全ての劇を塗り替えましょう! 予定調和を破壊するのが私の使命なのだから!」


 バグザーの魂は深淵に染まり、かつて存在していた<花紋の騎士>としての役目は完全にこの世から姿を消した。

 代わりに現れたのは月白の仮面を被り、両目に『哀しみ』と『真実の愛』を求める――黒い道化師バグザー、魔人としての姿があった。


 かくして、魔人バグザーは人知れず世に誕生した。

 深く、暗く、夜が包む森でバグザーは無意味に銀色の短剣を振り回し、狂ったように踊り、何者かを嘲笑い続ける。


 バクザーの役割は光の英雄ではない。闇の魔王でもない。

 世界に与えられた『予定』という名の物語に、たった一度の『否』を突きつける唯一の道化なのだ。

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