エピソード8 ほろ酔いナイト
これは都原達がジョブを終えて夕食を摂っている時の話である。
「マスター、ウイスキーならなんでもいいから頼む…」
琥珀色の照明が落ち着くバーのカウンターに座り、テッツが注文する。
「はい…レモンサワーですね」
「ウイスキーを頼んだんだが…まあいい、それで頼む」
髭を蓄えた厳格そうな顔立ちの初老の店主を軽く睨むと、テッツは店内を見回す。
カウンター席が八つの狭いバーだ。大理石で出来たカウンターテーブルは豪華さを醸し、店主の後ろの棚に並べられたバリエーションに富んだ酒たちは、ここを満足させてくれる場所だと思わせてくれる。煉瓦調の壁と暗めの照明なのもあって雰囲気に酔わせる。
住人の大半が十代の学生のレゾナンスにバーは珍しく、数少ない大人のための店であり、取り分けここはロンズバットによると、潜入したら顔を合わせたくない、大人でも寄りつかない場所だ。
その理由はおそらく、
「なあ、マスター? ここのやり方だとレモンサワーはシェイカーで振って作るのか?」
慣れた手つきでシャカシャカとシェイカーを振る老人を見つめながらテッツが尋ねると、
「おっと…失礼…コレだと炭酸が抜けてしまいますね」
マスターがシェイカーを開けると、中のレモンサワーがジュワーっと溢れる。
「・・・・・・」
まあ、下見を頼んだロンズバットからはこういうマスターなのもあって夜はここで時間を潰せると聞いた為、この店を選んだのだが、とテッツは頬を人差し指で掻く。
「レモンサワーです」
さっきのシェイカーで振ったレモンサワーをジョッキに入れたものを、マスターがテッツの眼前に置く。
それをテッツはゆっくり傾け一口飲む。
「・・・・・・」
顔を顰めるテッツの前にマスターが皿を置く。
「三種のチョコレートです。左からビター、ミルク、オレンジピールのチョコレートになります」
「ああ…」
こういう店だ、と自分に言い聞かせながらテッツはなんとか寛ごうとする。
「ところでマスター、ウーディー・ロア博士ってこのコロニーじゃ発明王で有名だが、実際のところ何してた人なんだ?」
マスターは、ふーむ、と一瞬考え込むと、
「思い立ったらなんでもやる人、という印象が強いですが、行方不明になるまでは地下で新基軸のVSAの開発に携わっていたとか、その他もろもろですね。行方不明になる直前には確か・・・そう、植物の研究をしていたそうですよ」
「植物…」
テッツが訝しげに眼を細める。
「…博士はよく地下研究所に出入りしていたんだな?」
「私の知る限りでは、ですが…お客さん科学系の仕事の人ですか?」
「まあ、そんなところだ」
「もしかして別のコロニーから来たばかりとかです?」
「ああ、前までグラムライズの薬科大の研究員だった」
適当な経歴を言うテッツを疑う様子もなく人の良さそうなマスターは信じ込む。
「ほほう、グラムライズとはリッチなんですな」
「あそこの住人の経済状況なんてピンキリだ。俺の儲けなんて生活してくのでギリギリだ」
「これは失礼」
そこで一旦話は途切れ、テッツがビターチョコを口に運んでいる時だった。
カラン…と店のドアを開け一人の女性が入って来た。
ブラウンの長髪に眼鏡のどこか硬い表情の白人の女性、白いワイシャツにタイトスカートを履いている。
「いらっしゃいませ」
マスターが挨拶すると、女性はテッツの隣まで来て、
「お隣、よろしいかしら?」
「構わんが…」
そう言ってテッツは最早レモン風味の薄い酒を口に含む。
「マスター、軽めのお酒、おまかせでお願いします」
注文しながらテッツの横に座る、正直美しい女性にテッツは、
「教師か何かか?」
「あら? そう見えます?」
上品な笑顔を作り当たりと答える女性に、
「OLにしては気品があるし、このコロニーで大人の女なんて教師か研究員だろう?」
気品があると言われたのが嬉しいのか、女は少し照れたように笑うと、
「ロザンナと言います。あなたは?」
「グレイグだ」
瞬時に考えついた偽名を名乗るテッツ。
「塩梅サワーです」
赤い酒の入ったジョッキをロザンナの前に静かに置くマスター。
「グレイグさんは何の仕事を?」
「薬品の研究員だ」
それを聞いてロザンナは目を大きく開け輝いた表情を一瞬すると、
「とても立派なお仕事ですね」
「あんたも優秀な教師のようだ」
「いえいえ、生徒にからかわれたり、おちょくられたりするので殴っ・・・ごほん、指導するので手一杯ですよ」
「・・・・・・教師も大変なんだな。マスター、チョコもう少しくれ」
「かしこまりました」
静かに店の奥に入っていくマスターをロザンナは目で追いながら、
「突然ですが、お付き合いされている女性とかいるんですか?」
「本当に突然だな、俺に気があるのか?」
あっ、とロザンナは思わず口に出した言葉に赤面する。
「私ったらいきなり何を・・・? あの、その、ですね‼︎ あなたが素敵だー、とかそういうあれが・・・‼︎ あーもー‼︎」
あたふたしながら手元の赤い酒をグイーッと一気に飲み干すロザンナ。
それを横目にテッツは、
「意外と表情豊かなんだな。鉄仮面かと思ったが…」
淡々とジョッキを傾けるテッツの前にマスターがそっとチョコの乗った皿を置く。
「学園コロニーなんて生意気なガキが多そうなとこで教師なんて感情でも殺さないと出来なさそうで、俺には無理だな」
と、横を見たテッツが異変に気付く。
ジョッキを持ったままロザンナが下を向いて固まっている。
「ふーふへへ・・・」
「おい、どうした?」
心配というわけでもないが、流石に彼女の様子を窺ってしまう。
「・・・れるん・・・ですね・・・」
「はっ?」
聞き取れなかったので聞き返すと、ロザンナはばっと顔を上げ、
「わかってくれるんれすね‼︎ あーし、生徒にクソ舐められててセクハラまがいの毎日ばかり何レス‼︎ ちっくしょー‼︎ チックショー‼︎」
「おいおい? あんたどうしたんだ?」
「ドルチェとかいう見た目のいい子には下に見られてるし‼︎ リッジスとかいうへんちくりんはわけわかんない返答するからちゃんと授業聞いてんのかわかんないしー‼︎ 都原は真面目なのに時々お笑い芸人みたいな寸劇始めたりなんなんレスあの子たちーーーーーーーーー⁉︎」
テッツの腕にしがみついて泣きじゃくるロザンナ。
「おい? マスター、コイツに何飲ませた?」
「98%のスピリタスに梅干しを混ぜてシェイクした物です」
「お前、それ大抵の人間アウトな酒だ‼︎ そんなん飲ますな‼︎」
くず折れるロザンナを腕で支えながらテッツ。
「わたしびじんでゆうめいなんれすけどかれしできたとおもったら、すぐバイバイでお金もいっぱい稼いでるのにーーーーーーーっ‼︎」
「わかった・・・わかったから」
「なんれわたしのへやのなかアニメのイケメングッズばかり何レス⁉︎ なまみのおとこくれよーーーーー‼︎ どっこいしょーーーーーっ‼︎」
「あんた美人だから大丈夫だって‼︎」
テッツがそう言うとロザンナは一瞬で泣き止み。
「じゃあ、あなた付き合ってくれるんレス?」
ぐいっとこっちの腕を引っ張り前傾姿勢で顔を近づけてくる。
「あー」
「美人だと思うなら付き合ってくらさいよ?」
酔っ払い特有の虚ろな眼で凄みを効かせて言ってくる。
「んー? それはちょっとやだかなーーーー?」
流石のテッツも汗ばんで、彼女から目を逸らす。
「またまたまたフラれたーーーーーーーーーーーッ‼︎」
両手で顔を覆い床にしゃがみ込んで叫ぶロザンナからテッツは離れると、
「マスターお勘定‼︎」
「五万です」
「チョコと出来損ないのレモンサワーだけでその価格かよ‼︎」
ぼってくる店主に文句を言いたいが、
「グレイグ付き合えよーーーーーーーーっ‼︎」
床に仰向けになって奇声を上げるように叫ぶ女から逃げたくてテッツは、端末から電子マネーをレジに飛ばすと一目散にドアを開けて出て行った。
悪役も大変なんですね。最近なんかまぶたが重いなーと思ってたんですが、謎の腫れが発生。本日近所の病院全部休みなので気休めに目薬こまめに挿してます。