序章 エピソード0 生命の価値
西暦205X年、4月、欧州某国の片田舎。
少年は1匹の子羊と、北方の頂上にまだ雪の残る山脈を眺める、生まれ育った集落から歩いて半日程かかる小さな街に、食料を買いに、大きなカバンを肩にかけ、慣れた歩調で出向いていた。
それはまだ日がほんの少し傾いた昼のこと。
買い物も終わり、少年は買ったものをカバンに両手を突っ込み確認する。
「父さんの薬は買ったな…ベーコンにチーズに…あとは……これだ‼︎」
少年の手には小さな本、街の古書店で買った、ページの四隅がやすりをかけたようにボロボロになり、相当古いと見受けられる、空想小説だ。
何せ娯楽の少ない土地柄で、少年の家は人里離れた小さな農家。電気もまともに通っていない少年の家では、彼の楽しみは、家畜の世話の合間や寝る前にオイルランプの光の中で読む本ぐらい。
しかも、手に入る本は書かれた時代も国もジャンルもバラバラな、買う時の気分で手に取ったものばかりで、彼の本棚には統一感という言葉はない。
まるで、今の世界の歴史のようだ…と少年はたまに思うことがあった。
そう…世界は…まとまっているようでまとまりを失っていた。
少年の住む地域は戦争とは無縁というほどの平穏な場所、それは単なる偶然で、世界は戦乱の最中だった。
2020年代より、人類は宇宙への開拓に積極的に乗り出し、宇宙には小規模な植民地が無数に作られた。その当時の世界は遺恨の残る関係の国々もあったが、大きな戦争も無く、むしろ手を取り合う国々が世界の七割はあった。宇宙への進出は世界共同で進められ、10年のうちに人類の総人口の約半数が宇宙へと移民を果たすまでになった。
しかし、
204X年、太平洋のど真ん中、オーストラリアの東端から少し北の位置に人工島を作り突然現れた新興国『エデン』が、世界全土に宣戦布告した。2040年代から著しく技術的進歩が速度を緩めていた世界の中、『エデン』はロシアで噂されていたツァーリボンバーを凌ぐ破壊力のラグナという原理も何もが不明、ただ威力でいうと、極少量でアジア圏全てを吹き飛ばすと予想される兵器を作り出した。現に『エデン』が宣戦布告の際、日本近海にラグナを積むミサイルが発射され、爆発、衛星カメラの観測では爆発の起こった周囲50キロを真空状態にし、海の底以外の何もかもを消滅させた。その際使われたラグナ弾頭は、米粒一つにも値しない量だったという。
それから、世界は均衡を崩した。
なぜなら、『エデン』という国は複数、いや、地球人のほとんどの人種を集めたような国だったからだ。
この事実が各国に『エデン』のスパイの存在を疑わせ、極めつけに日本では、最も日本との友好関係の厚いアメリカの要人が『エデン』を恐れ、疑心暗鬼に陥った日本の一般人に集団リンチの末、殺害されるという事件が起こり、それが火種となり、地球は戦火に包まれた。
第三次世界大戦の始りである。
戦闘機、戦車、戦艦。
平和であった頃の裏で、残酷にも進化を遂げていた兵器たちが、当たり前のように空を、陸を、海を舞台に火花と血を散らし、もう10年が経った。
確かに、少年も山肌に作られた見晴らしのいい彼の村から、平地を見下ろすと、軍用の装甲車両が列をなし隣国へ向かって走って行くところが見える時もある。
見ているだけの自分には関係ないのだろうと深く考えたことはなかった。
「これ、どんな本なんだろ? 表紙も掠れてよくわからないけど、本屋のおっちゃんも貴重なもんだって言ってたし、楽しみだな‼︎ 戦争なんて俺の村になんて関係ないし、のんびりゆっくり本でも読んで過ごすのが賢いってもんさ。なあ? カイロ?」
隣を歩く子羊が言葉でもわかっているかのように、櫂で船を漕ぐような鳴き声で返事をする。
仄かにカビた匂いのする本を、ガラス玉のように輝いた目で眺めて、帰り道の草木生い茂る丘を少年が登っている時だった…。
遠くからものすごいスピードで何かが近づいてくるような、空気の壁を切り裂く音がした。足元の草は風に薙ぎ震える。
「うわっ‼︎」
あまりの風圧に少年は腕で顔を覆い、彼の髪は逆立ちなびく。
子羊のカイロも少し体勢を崩してたじろいだ。
かろうじて目を開けた少年の目には、鋼鉄の翼の生えた巨人のようなものが、自分の住む集落に向かって飛行していくのが見えた。
少年はそれの名前を知っている。
「リンクドールだっ‼︎」
リンクドール、新興国『エデン』が代表する戦争の為の鉄の塊。
「あっちって…」
あまりに自分の村の方角へ正確に飛んでいった、その凶兆の権化に少年は背筋に悪寒を覚え、走り出した。
少年が村に着いたのはリンクドールを目にしてから、3時間近く後だった。
小さな集落である彼の村はすでに火が放たれ、煉瓦造りの民家や家畜小屋は無惨に崩れ、燻った炎が微かに夜の闇を照らしていた。
「母さん‼︎ じいちゃん‼︎」
最早原形を留めていない彼の自宅の入り口のあった場所に、身体の数カ所に皮膚が黒く見えるほどの火傷を負った二人が、力なく項垂れていた。
彼の顔から血の気がひく。
彼は二人に駆け寄る。
頬を軽く叩いてやると、二人は苦痛に耐えるように目を開ける。
「なにがあった⁉︎」
「帰ったのか…見ての通りだ…」
老人、少年の祖父は右半身を強大な力で潰され、喉の辺りを軽く焼かれていた。村の村長をしている力自慢の祖父がこんなに憔悴しきった表情をするのを少年は初めて見た。
ただ事ではない。
「リンクドールよ…いきなり現れて…村に火を…」
まだ二十代だろうか、彼の母も上半身に大きな裂傷を負い、皮肉にも火で炙られたことで止血され、なんとか命を保っていた。静かな面持ちだがしっかりした根の強い母もまた、目は虚で彼の顔が見えているのかもわからない。
「…」
説明をもっと聞きたいが、この二人の様子を見るに、充分な説明をさせるのも生死に関わるだろう。ただ一つ、なんとしても聞かなければいけないことがある。
「父さんは⁉︎」
「風車の方に…行ったはずだ…」
そう言って祖父は目を閉じる。
呼吸はしているようだったので、このままそっとしておいた方が良いと判断する。
「じいちゃん、母さん、ありがとう。カイロはここにいるんだよ?」
子羊のカイロに餌を与え、少年は二人の足元にそっとカバンから取り出した水筒を置くと、一目散に村の端にある風車小屋へと駆け出した。
なんだこれは? なんだこれは⁉︎
倒壊した友達の家、学校、慣れ親しんだ村の住人の傷ついた姿、日常からはかけ離れた光景に少年は歯を食いしばりながら走る。
煙でかなり接近するまで見えなかった風車小屋を眼に捉えると、少年は立ち止まる。それしかなかった。
「父さん‼︎」
そこには、先ほど彼の頭上を飛んでいったリンクドールに首を片腕で掴まれ宙ぶらりになった、父親の姿。
中世の甲冑に翼を付けてそのまま二階建ての建物大に大きくしたような見た目の機甲甲冑、リンクドール。
人間の運動能力を何百倍にし機械式に再現する鎧。搭乗者は機体を着るように装着し、身体的感覚のズレを頭部カメラの映像を元に修正しゴーグルに投影、殆ど自身の身体のように扱える。
新興国『エデン』の侵略兵器。
リンクドールの油圧式人工筋肉がゆっくりと締まり、父親の首に徐々に力が加えられていく。
「ヒロル‼︎ 逃げろ‼︎」
少年の名はヒロル、村の収穫祭に生まれた彼につけられた名前。
「そんなことできるわけないだろ‼︎ あんた‼︎ この村にはあんた達の用のあるもんなんてなにもないじゃないか‼︎ 何故こんな事をする⁉︎」
『……』
聞こえてるはずだが鎧は答えない。
容赦なくリンクドールの指は締まる。
「そもそもなんなんだよあんたら⁉︎ 世界に喧嘩を売って何がしたいんだ⁉︎」
『…』
機械音を立て、鎧の指に力が入っていく。
父の首に鎧の指が沈んでいく。
「ぐ…か…は…っ…」
「父さん‼︎ うわぁぁぁぁぁぁっ!」
リンクドールに向かい駆け出す少年。
突然の理不尽な状況に少年の眼には涙が溢れる。
そこで、鎧が甲高い駆動音を上げてこちらを向く。
そして遠くで馬鹿でかい花火が打ち上がるような音。
『それは…これからわかる…』
大人にも子供にも聞こえる男の声。
鎧の頭上の遥か上の空に白い球体が確実に登って行く。
巨人まで数歩というところで、少年はそれを見上げる。
「?」
それは鎧の指が締め上げた父親の首がもげ、地面に落ちたのと同時、夜空が昼のような光に包まれた。
異様な雰囲気を感じ取り立ち止まった少年のポケットから本が落ち、乾いた音を立て開く。
そこには、『生命の価値』と記されていた。
初めまして、ブーメランを河原で投げたら戻ってこなかった電解水トシアキです。今回書かせていただいた話はかれこれ20年近く温めて来た長い話の本の序章です。まだこの序章が後の話にどう繋がっていくか謎がいっぱいだと思いますが、興味のある方は、続きが書き上がったら読んでいただけると嬉しいです。では、もうなんかいっぱいいっぱいなのでこの辺で失礼します。