Ⅰ-1 初授業
晴れ渡った穏やかな空に、軽やかな小鳥の鳴き声。そんな素敵な朝をぶち壊すため、一匹の鳥が寮の屋根に立つ。すうっと息を吸った鳥は、カッと目を見開いた。
「ギエエエエエエエエエエエエエエ!!!」
「ぎゃあああああ!」
何とも耳障りな地獄のような鳴き声に、私は悲鳴を上げて飛び起きた。視界に入ったのは見慣れぬ部屋で、窓の外には見慣れぬ景色が広がっている。
「……あ、そうだ私、カノンになったんだ」
一拍遅れて転生したことを思い出す。ふあぁと欠伸をすると、肩から髪がするりと落ちる。それは見慣れた黒色ではなく、まるで血のような赤色だった。
それにしても、あんな全力で叫んでも誰にも何も言われない、というのは中々精神にくる。私と同室になるはずだったあの子はどうなったのだろうか。せめて名前くらい聞いておけば良かった。
「今日は何をするんだろう……もう授業始まるのかな?」
髪をポニーテールに結って制服を着て部屋の外に出てみると、他の生徒は何処かに向かっているようだった。着いて行ってみると、彼女達の行き先は寮の一階にある食堂だった。
かなり広く、テーブルと椅子が幾つも置いてある。Aセット、Bセットとあり、日替わりのようだ。適当にAセットを頼み、端っこの方の席に着く。
丸パンとミネストローネ、スクランブルエッグと中々に洋風なメニューだ。こんな美味しそうな学食が無料で食べられるだけで凄いことだとは思うが、欲を言うなら米が食べたい。この世界にはないのだろうか。
「いただきます」
周りが友達と一緒に食べている中ぼっちなのは寂しいが、クリスタルなので仕方ない。今もひそひそとこちらを見て何かを話している声が聞こえるので、落ちこぼれとは話したくないのだろう。
溜め息を吐いた瞬間、頭に何か冷たいものがかかった。驚きのあまり何も言えず、ぽたぽたと水滴が落ちるのを眺めるしか出来ない。笑い声が聞こえてきてそちらを向くと、数人の男子生徒が居て、そのうちの一人がコップを傾けていた。
「あっ、悪い。透けてるから気付かなかったよ」
「お前、よくクリスタルなのに入学出来たよな。恥ずかしくないのか?」
透けてるから? と疑問に思ったが、クリスタルの星飾りは透明なので、恐らくそれを揶揄しているのだろう。
クリスタルで何かしら嫌な目に遭うことは覚悟していたが、まさか初日からこうなるとは思わなかった。
反抗するべきか、しないべきか。平穏に過ごすためには反抗しない方が賢明だろう。しかし、それではスティリアへ入学するためにカノンが必死に頑張ったことまで否定されてしまう。それは駄目だ。
私は一度息を吐き、男子生徒に向き直った。
「ちょっと、私濡れたんですけど。謝ってください」
「……は?」
「わざとにせよ何にせよ、やらかしたら謝るのが道理ってもんでしょ。落ちこぼれだから何しても良いって言うのがスティリアの教育方針なんですか?」
まさか言い返されるとは思っていなかったのか、男子生徒達は目を白黒とさせている。涙を流すと思っていたのかもしれない。
正気を取り戻したのか、コップを持った男子生徒が口を開く。
「お、落ちこぼれが居ると目障りなんだよ! 真面目な奴等が頑張ってても、駄目な奴が一人居るだけで全員駄目だって思われる!」
「まだ授業も始まってないのに決めないでください。私のことが気に入らないならそれで構いませんけど、ちょっかいかけてくるならこっちもやり返しますから!」
いつの間にか周りの生徒に見られていたが、私は構うことなく叫ぶ。男子生徒が怯み、私は睨み返す。暫し見つめ合い、折れたのは相手の方だった。
「……チッ。行こうぜ」
男子生徒達が去って行く。それと同時に、静まり返っていた食堂にざわめきが戻った。その大半が私に関するものだが、気にせず席に座る。そのまま突っ伏した。
「き、緊張した……」
心臓がバクバクうるさいし、手は震えているし、酷い有様だ。喧嘩を売るなんて前世含めても人生初で、慣れないことをしたせいでドッと疲れてしまった。
これからも色々されると思うが、その度にこんな疲れなきゃいけないのか。前途多難過ぎる、と私は溜め息を吐いて顔を起こす。
丸パンを齧りながら、濡れた制服はどうしようかな、とまるで他人事のように思った。
授業は本校舎で行われる。部屋に戻ってタオルで身体を拭き、一年生の教室に入ると、中は階段教室のようになっていた。周りの視線を感じつつ、一番端っこの席に座る。朝のことが知れ渡っているのか、私の周りは誰も座らなかった。
「み、みみみ皆さん、初めまして、魔法基礎学担当の、ア、アリン・コノムルです。さ、早速ですが授業を始めます」
最初の授業は魔法基礎学だった。アリン先生は小動物のように可愛らしく、黒板の一番上に手が届いていない。と思ったら、背中から白い羽を生やしてふわふわと飛び始めた。愕然としているのは私だけのようで、アリン先生は普通に授業を進めていく。
「この世界には先人が残した様々な魔法がありますが、どんな魔法にも属性があります。火、水、風、雷、土、光、闇の七つがあり、扱いやすい属性は種族によって異なります」
前世では学ばなかったことがたくさんあるので、話をされても右から左に流れていってしまう。深く理解することはとりあえず諦めてノートに書き写していく。
種族は、人間族、魚人族、獣人族、天使族、吸血鬼族、妖精族、魔族の七つがあるらしい。アリン先生は恐らく天使族だろう。
「私達は異なる属性の魔法を扱い、互いに助け合いながら生活しています。各種族で扱いやすい属性は──あ、今日はここまでですね」
「皆さんごきげんよう。楽しい楽しい魔法歴史学の時間ですよ」
魔法歴史学の担当はエリザベス先生だ。柔和な笑顔を浮かべているが、なんとなく一番怖い先生な気がする。居眠りしたらチョークで額に穴を開けられそうだ。
「こんなことをしたい、こう出来たら良いな、そういった願いから魔法は発達していきました。しかし、平和なことばかりではなく、特に魔法が発展した時代には必ず大きな戦争が起きています。戦争によって魔法は発展したと言っても過言ではありません。千年前のヘアン戦争、八百年前のアエヘル大戦、五百年前のリンドの乱……それから、百五十前の人魔戦争」
この世界でも戦争は起きているようだ。今は平和だが、魔法を使える人が戦うとなるとかなり怖い。
戦争の時代に発展したのは攻撃魔法だけでなく、回復魔法や腐り止めの魔法などもそうだ。新鮮な食べ物が貴重になり、どうにかして食べ物を確保しないと、と苦心していたらしい。
「強い魔法使いになれば、それだけ戦うことも増えます。今まで世界中で起きた戦争の戦死者にも、スティリアの生徒はたくさん居ました」
ふいに、エリザベス先生がこちらを振り返り、ニコリと微笑みかけた。
「歴史を知ることは未来を変えることにも繋がります。先人達から教えを学び、明るい未来を切り開いていってくださいね」
「魔法創造学担当、ヘルメス・トリートだ。以後宜しく頼む」
かなり怖そうなヘルメス先生が魔法創造学の担当だ。なんというか、一睨みで象を殺せそうな気がする。耳がヒレのようになっているので、彼は魚人族なのかもしれない。
「魔法創造学では魔法を使って何かを作ることに焦点を置く。前半は主に魔法薬学を学んでいく。貴様らが楽しみにしているであろう魔導具作成は一年生の後半で行うが、魔法薬学の知識も使うので、しっかり勉強していくように」
魔道具とは、魔力を注ぐことで動くようになる道具だそうだ。電気ではなく魔力を使う家電みたいなものだろうか。
魔法薬は、材料を煮詰めて魔法をかけたものらしい。疲労回復、筋肉増強、魔力増加など、かけた魔法によって効能は異なるそうだ。
「魔力を蓄積しておける魔道具を作れば、魔力を持たぬ者でも魔道具を使えるようになる。魔法創造学で学ぶのは、どれだけ世界の役に立つ魔法使いになれるのか、ということだ」
この世界では皆魔力を持っているものかと思ったら、そういう訳でもないらしい。もっと詳しく聞きたいけど、多分この世界では常識だと思うから、何でそんなことも知らないの? ってなっちゃうかもしれない。
どれが常識で、どれが質問してもおかしくない情報なのかをしっかり見定めていかないと、また目立ってしまうだろう。
「魔法基礎学をしっかり学び、簡単な魔法は各自で練習しておくように。魔法が暴発なんてしたらその者の四肢を爆散させるからな」
「新入生だろうが何だろうが、魔法武闘学ではビシバシ扱いていくぞ! 魔法使いは根性だ!」
ゴルトルク先生は魔法武闘学担当。明らかに脳筋なので、とんでもないことをやらされそうな気がする。マラソン千周とか。
「基本的に魔法武闘学はグラウンドで行われるが、まだ整備がされていない! ということで、今日は全員でグラウンドの草むしりをするぞ!」
え〜、と生徒達が嫌そうな顔をするが、構わずにゴルトルク先生が「始め!」と手を叩く。渋々生徒達はグラウンドに散らばった。前世でも体育祭の前はこんなことやってたなぁ。
グラウンドに生えている雑草は、ピンクだったりオレンジだったりととてもカラフルだ。形も細長いものもあればゼンマイのようになっているものもあり、適当に一本抜いてみると小さく叫び声を上げてぼろぼろと消えてしまった。大丈夫、もう驚かない。
「うおおおおおおおおおお!」
突然雄叫びが聞こえそちらを見てみると、ゴルトルク先生が地面に向かって拳を振り上げていた。ガンッと勢いよく地面を殴ると、草だけが綺麗に宙を舞う。あの人何者? 化け物?
プチプチ草を抜きまくって、たまに草に追いかけられたりして、ようやく授業が終わる。疲れた顔の生徒達を見て、ゴルトルク先生は愉快そうに笑った。
「はっはっは! 良いぞ、身体を動かすのも魔法使いには必要だからな! 机に向かって勉強するのも大切だが、運動することで魔力の巡りが良くなるからな」
「つ、疲れた……」
まだ初日だというのに、疲労感は凄いし全身筋肉痛だ。主にゴルトルク先生のせいなのだが、こんなのでこれからやっていけるだろうか。
今日はもう授業がないので、とりあえず寮に戻って休もう。そう考えながら廊下を歩いていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと、そこにはどこかで見たことがあるような吸血鬼族の女の子が居る。
「えーっと……誰?」
「は? もう忘れたの? あんたと同室だったのに。流石クリスタル」
そうだ、昨日私の顔を見るなり逃げ出して行った子だ。『だった』という言葉から察するに、別の子の部屋へ移動したのだろう。これで本当に一人になってしまったが、この子と同室でも上手くやれていなかった気がする。
これで良かったのだと小さく息を吐くと、女の子はにっこりと笑みを見せた。
「あたしの代わりに別の子が入ったから、出来るもんなら仲良くしてあげてね」
「え、別の子?」
まさかの言葉に目を見開くが、女の子はにやにやと笑いながら去って行ってしまった。一人じゃないのは嬉しいが、『出来るもんなら』とはどういうことだろうか。めちゃくちゃ頭が良くて話が通じないとか?
あの女の子の顔を見た感じ、あまり良い子ではないのかもしれない。ちょっと嫌な予感がして、足早に寮へ向かう。
自分の部屋へ辿り着きドアを開け、私は言葉を失った。
「あ、えっと……」
そこに天使が居たからだ。